エプスタ編集長による『小さいおうち』

写真/文・鎌田浩宮

山田組に、
さくらと
満男が
帰ってきた。
山田洋次監督、

ここ数作で
1番の快作。

 

どうしたって倍賞千恵子さん吉岡秀隆くんが1本の映画の中に出演している事は、僕らにとってスペシャルな事であり、それは勿論、「遙かなる山の呼び声」「男はつらいよ」の山田組の復活だからだ。

 

親戚
総出で

観て
きました。

 

他にも、山田作品に出た俳優さんで、ああ、また山田組に出てほしいなあ、と思う人は沢山いる。
「続・男はつらいよ」の佐藤オリエや「男はつらいよ 奮闘編」の榊原るみに始まり、「息子」の和久井映見や、「虹をつかむ男 南国奮斗篇」の小泉今日子など、数えたらきりがない。
その中でも、「隠し剣 鬼の爪」で、江戸時代の身分を超えた恋愛を初々しく演じた松たか子は、ぜひ山田作品で、もう1度観たかった俳優だった。

エプスタでの連載「キャマダの、ジデン。」でも書いている通り、うちの父というのがこりゃあもうろくでなしで、女を作っては仕事を辞めちゃって家出して帰ってこない、負けじと母も浮気したりして。
そんな中、僕が預けられていた實おじさんの家族と、小岩の二番館で寅さんを観たりして、僕の映画人生が産声あげたりするんである。
そんな風にして出逢った山田作品が、今回は何と、「男はつらいよ」では決して描かなかった、道ならぬ恋を描く。

僕ももうとっくに大人で、父や母を恨んだりもしていないし、道ならぬ恋を批判したりしない。
そもそも、もう、父も實おじさんも、この世にはいない。
僕がこの映画で見つめてみたかった1つは、監督が戦前の束の間の平和だった時期を描く事によって、まるで戦時中のようになっちまった現代をどうあぶりだすのかな、という点もあった。

僕が、世界で1番敬愛している映画監督は、山田洋次さんに違いないのだけれど、前作「東京家族」は、エプスタのこちらにも書いたけれど、現代をあぶりだしきれなかったと思っている。

それはともかく、とあるきっかけで、この映画の前売券を大量に手に入れる事になりまして、だったらもう、僕の家族史を知っている親族皆呼んじゃえ、ってなわけで、母と、母の今の旦那さん、母と實おじさんの兄で、僕も赤ちゃんの頃から可愛がってもらっていた修おじさんと、その奥さんの律子おばさんとの5人で、ロードショウに繰り出す事になりました!
ココトラの皆さん、ありがとう!

場所は、渋谷シネパレス
なのでハチ公の向かいのツタヤで待ち合わせをしたんだけれど、僕以外、渋谷を歩くなんて数十年ぶりなもんで、ドキドキウキウキ。
すぐにはぐれそうになるので、後ろを振り向いては、添乗員さんのように誘導して。
そもそも、できたばっかりのツタヤには、以前何の建物があったのか、皆分かんない。
人の記憶のあやしさは、恐ろしい。

映画館に着き、ロビーで開映時間を待つ間の、お喋りが楽しかった事!
なんたって、親戚同士で映画を観に行くなんて、今までなかったんだもん。
会話、全く、途切れない。
でも、昔話になると、ひやひやして。
だって、僕の父の話題が出てきたら、今の旦那さんに悪いでしょ。

さあ、幕が開いた。

「東京家族」では、フィルムで撮影したものをデジタルで上映する際の、メディアの違いによる画像の微妙な荒れが少し気になったんだけど、今回は大丈夫。
でも、本当は、フィルム上映で観たいなあ。

すごいぞ、母の旦那さん、仕事の徹夜明けだったので、もう寝てる。
一瞬、いびきも。

ベルリンで賞を獲った黒木華ちゃん、確かにいい演技だ。
今時、こんなにほっぺが赤くて田舎臭い演技ができる娘、いるんだろうか?
一生懸命、演じている。

でも、やはり僕の1番の目当ては、久々に山田組に帰ってきた、千恵子さんと秀であります!

 

山田洋次
ではない、
と思って
観てほしい。

 

僕は途中から、先入観を消すために、これは山田監督の作品ではなくって、無名の若手が創った映画だと思って観る事にした。
山田監督、と思って観ると、どうしても彼の持ち味を期待してしまうからだ。
そうすると、どうだろう。
何と静かで、寂しくて、淡々と、瑞々しいんだろう。
道ならぬ恋を描いても、乙女の如き初々しさになる、これが山田洋次だ。
最近の若手で、こうした描き方ができるのは、去年僕の見た映画で断トツの1位だった「箱入り息子の恋」の市井昌秀ぐらいしかいないんじゃないかしら。

でも、昭和モダンの文化の描き方も豊かで、これは実際にその時代に生きていた人にしかできない。
負の部分しか語られてこなかった、田舎娘の都会への女中奉公が、実は本人には夢のような仕事だった。
日本建築とアールデコが絶妙に合わさった、当時の中流家庭の一軒家、「小さいおうち」の外装、内装の美しさ。
食料が配給になっても、闇でとんかつが食えた。
二・ニ六事件の頃も、生活は楽しかったと述懐するタキ。
全部書いちゃうと種明かしになっちゃうんで止めておくけれど、どれも目から鱗。
今流行りのアベ・ナショナリズムのような、嘘っぱちだらけの戦前美化じゃなくって、その時を生きていた山田監督ならではの説得力。
ネトウヨと呼ばれる人達にも、好感を持って観られるんじゃないかなあ。

だから、妻夫木くん演ずる大学生が、晩年のタキ(倍賞さん)が
「あの頃は楽しかった」
と言うのを、いかにも紋切り型で、中学校の社会科の先生の授業のように反論して聞かせるのも、微笑ましく映る。
この紋切型は、評論家がうるさく批判しそうなところなんだけれど、僕らは、どちらの視点も、微笑ましく見守れるのだ。

歴史を描き、人間を描かず、失敗した映画は、沢山ある。
スパイク・リーの「マルコムX」はその最たるもので、歴史の教科書を読む以上でも以下でもない作品になってしまった。
「小さいおうち」は、まず人間1人1人を、豊かに描いている。
そこからしか、歴史が、あぶりだされない。

黒澤明にしても、新藤兼人にしても、山田監督が敬愛していた先達の晩年の作品は、ストーリーの起伏のあるなしに関わらず、描き方が淡々としていた。
芸術家は、齢を重ねると、カタルシスに対し興味が薄くなるんだろうか。
それは、小津のようなスタイルに回帰していくというよりかは、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)やアッバス・キアロスタミら、80年代以降に起きた「静寂を以って描く」ムーブメントの方が近しい気がする。
(そりゃそうだ、ホウもキアロスタミも、小津の子供たちなのだから)
近年の山田監督作品が海外で評価されるのは、そういった事もあるんじゃないかしら。
彼らは、僕らのように、ドラマチックでカタルシスのある過去の山田作品を知らずに観ている。

 

自分をだまさず
生きる、3人。
しかし、タキが。

 

起伏の少ない物語を、わざと起伏をつけるのではなく、起伏の少ないまま描いているのに、予感通りのラストなのに、とっても情感が豊かで、何度も涙が出てしまった。
そこには、まるで「遙かなる山の呼び声」のラスト、ハナ肇が列車の中で泣きながら独り言を絶叫する傑作シーンにも似たカタルシスが、あるいはカタルシスに代わる静かな素晴らしいものが、あった。
思想信条からではなく、心のおもむくままに、行動し、人を愛する、松たか子、吉岡秀隆、黒木華演ずる3人。
そして一生を、後悔して生き、死んでいった、倍賞千恵子(若い頃は黒木華)演ずるタキ。

 

戦勝セール、
の今。

 

僕ら5人は、口々に
「いい映画だったねえ」
と満足げにコヤを出て、記念写真を撮り、僕が探しておいたレストランに入った。
渋谷では珍しく、比較的静かな店だった。
お喋りは弾んで、あっという間に楽しい時間が過ぎていくよ。

宮崎駿の「風立ちぬ」もそうだけど、作者の意図の有無に限らず、受け手は現代とダブらせて観る。
道ならぬ恋を歩む松たか子演ずる時子に、あからさまに憎悪を示す、国防婦人会の姉。
「そんな恋愛をしていい時代じゃないのよ!お国のために尽くす兵隊さんに悪いと思わないの?!」
こんな世の中に、あと何年でなってしまうかも知れない。
僕は、おじさんやおばさんに訊いてみた。
「この映画、現代に通ずるところがあると思うんだけど、どうでした?」
2人とも、答えてくれたのは、道ならぬ恋は今も昔もある…という話で、戦争ができる国に向かっていく現代とのシンクロニシティーは、感じなかったようだ。
山田監督のここ数作の中での1番の快作だと思うので、そこは残念だった。
今、この国は、百貨店の戦勝セールに浮かれ、オリンピックに浮かれ、それ以外は何も感じない頃合いなんだろう。

http://www.chiisai-ouchi.jp/


2014.03.07