キャマダの、ジデン。㉙校内暴力始まる

鎌田浩宮・著

新聞には連日、
校内暴力の報道ばかり。

それまでの戦後教育史に
それ以前も、それ以後もなかったこと、
その最もシンボリックな事象は
「生徒が先生を殴っちゃう」
ということでした。
1980年頃の話です。

僕らの学校生活でも
「隣町の学校、
遂に窓ガラス割られたぞ」
って、風の噂が聞こえたり。

ドラマの中じゃあ金八先生も
バイクで校内に乗り込んだ
ツッパリ生徒と取っ組み合いをして
学校の中に警察が突入して
生徒を逮捕したりしてる。

うちの学校でも
今で言う学級崩壊みたいになってきて
「弱い」先生の授業は
成り立たなくなっていた。

前回書いた
伊藤睦子先生のような
生徒を荒れさせない
「コツ」
をつかんでいる先生は大丈夫なんだけど
体力的に弱い女性の先生はおろか
男の先生でも
授業が成り立ちにくくなってきていた。

僕、足りないアタマで
懸命にこの状況を分析しようとした。

「弱い」先生ばっかし標的にして
暴れている生徒もどうなんだろう
とは思うんだけれども、
中学校という所は
小学校とは違って
随分と「自我」というやつを押さえつけられる所だなあ
という直観的な不快感もあった。

 

中学校になると
制服を着なくちゃいけない。
なんで好きな服を着ちゃいけないんだい?
皆同じ服なんて、軍服みたいじゃないか。

生徒手帳という物が配られ
そこには、まるでこちらが違反を起こす前提で
校則というものが記されていた。

実生活に即役に立つ小学校の授業とは違い
何のために学ぶのか一見分かり難い科目が増えていく。

体力に勝る先生になればなるほど
怒鳴り散らしぶん殴って
生徒を管理しようとする。

その不快感を、
僕のように自覚しているか
無自覚的に過ごし暴れることで発露しているかの違いだけ。

当時から思ってたんだけど
学生運動も、校内暴力も、根は同じで
社会、もしくは自分が今いるコミュニティー=学校の
矛盾を感じ取った若者が
何らかの手段で訴えているんだ、と。
発露の仕方が違うだけ、だと。

 

僕らの頃は全共闘の波がとっくに過ぎ、
少し上の世代は、シラケ世代なんて言われてた。

子供の数が多く、受験戦争がピークに達していて、
偏差値1つでジンセイ決まっちゃうような。
少しだけでも良い大学入って
良い企業入れば、
良いジンセイ、
とゆー良くない幻想が当時は今以上に
雨雲のよーに立ち込めていて
通信簿の内申を稼ぐために
いい子のふりして、なんてのもいたり
自我の発露の仕方が分からなくって、
暴れてる者もいたり。

その前の大前提として、
一様に同じ制服を着せられ、
クダラナイ校則があり、
なんの役に立つのか分からない授業があり。

先生殴っちゃうだの
窓ガラスを割るだの
発露の仕方の良し悪しはあれ、
上手く表現できない思春期のヤツらを
全面否定する気にはなれない
僕なんであった・・・。

(これはもちろんイケナイ事なんですが)
窓ガラスを割ったり、
先生を殴っちゃったり、
とゆー発露・発散もなくなっちゃった
約30年後の現代の学校っつーのは
僕らの頃より
事態が深刻になってる
気もするんですよね。

発露・発散もできなくなっちゃった
今の子供たちは、
遂に共食いを始めた、
そして、
レミング現象が始まった
よーな気がするんです。

具体的に言うと
人を死に追いやるようないじめであったり、
自殺の連鎖であったり。

僕らの頃は金八先生が必死になって
沖田浩之や
松村邦宏のモノマネではない本物の加藤たちが
先生をぶん殴ったりするのに
体、張っててたわけですが
その後急速に
子供たちは
元気をなくして
子供同士でいじめをして
死へと追いやっていくんですね。

つまり、今の子供たちは
全共闘の後の内ゲバのように
内へ内へと向かっていくんです。

もちろん、セクトの内ゲバと
子供たちのいじめ、自殺を
イコールさせる
論理的な根拠なんてないっすよ。

ただ、外に向かって発露するものを見失い、
ひたすらに内向していく自己
とゆー点で
この歴史の流れは
ダブって見えるわけです。

以前たっぷり書いた、
僕が敬愛する和田淨美先生は、
その後校長先生になるんですが、
そこでは、
児童皆に太鼓を叩かせてたそうです。

皆で演目を決めて、
一生懸命、楽しく練習をする。
こんなことだけで
子供たちの目は
とてもきらきらしてくるそうです。

何か体を使って皆でやる
ってのは、とてもいいみたいです。

 

ただ、それでもいじめが
全くなくなることはないんですって。

そーゆー時はね、
いじめられてる子を
和田先生がこっそり
校長室に呼んであげて
思いっきりひいきしてあげるんだって!

一方で愛情を受けられないのだから
和田先生が、無条件で
愛情を注ぎ込むわけですよ。

不登校だった子も
校長室には行くようになったそうですよ。

いい話でしょ!

和田先生という人は
普通のおばちゃんとして
めちゃ魅力的な人なんですよ
だから
校長になっても
あるがままにやってけるんでしょうね。


2013.04.15