キャマダの、ジデン。㉚火をつけると、飛んで行きます。

鎌田浩宮・著

若い先生たちが、放課後保健室に集まって
サイフォンでコーシーなんか飲んでる、
タンチ山なんて山まである
自由でのどかな東京都世田谷区立駒沢中学校にも
校内暴力の嵐は
ひたっひたっとやってきた。

「遂に先生が殴られたぞ!」
「誰が誰を殴ったんだ?」
「どこそこの窓ガラスが割れてたぞ!」
「いつ誰がやったんだ?」

そんなこんなで
僕ぁ2年生になり、
新しい校長先生が赴任して来た。

この校長が、狡猾な管理主義教育の輩で、
同時に異動してきた新しい体育教師なんかを味方につけ
リベラル派の先生を、ことごとく排除しだしたの。

保健室のコーシーが禁じられた。
もちろん、リベラル派の先生が
1ヶ所に集まること自体が睨まれるようになった。

その中に、あご髭とカッチョイイ250ccのバイク通勤が
トレードマークの先生がいて。
彼は髭を剃るよう職員会議で吊し上げに遭い
それでも抵抗し剃らずに通い続けたが、
精神的な疲労で、どんどん精気を失っていった。

校長自身は、手を下さない。
恫喝などは、体育教師にやらせる。

毎週月曜の朝礼も
随分と陰気臭いものになった。
例の体育教師が
お前ら静かにしろと怒鳴り散らし
生徒を威圧する。
静寂しきった頃合いを見計らい
満面作り笑顔の校長が壇上に立ち
訓辞を垂れるのだ。

そんな時困ったことに、オレときたら(by チャボ)
YMOやRCサクセションに夢中になり、
糸井重里がやってたNHK教育のテレビ番組
[YOU]
に岡林信康がゲストで出て、
当時の学生運動とゆーものを初めて知り
彼の曲から
自由やら
自治やら
体制への反抗やら
なんぞを同級生の
岩ちゃんやら、士郎やら、いまこたちと共有していた。

そう、中2のおませな少年に、
「チューリップのアップリケ」
「友よ」
「山谷ブルース」
「私たちの望むのもは」
「コペルニクス的転回のすすめ」
は強烈だったよ。
歌詞の力を、初めて自覚した時だったね。

僕らったら、教室の後ろの黒板に
「友よ 夜明けは近い」
とか落書きして、
もー、やりたい放題。

そして3年生。
リベラル派のほとんどの先生は
何故か、他の学校へ異動してしまった。
校長ら管理教育派が追い出したのか、
出ざるを得ないほどの状況に追い込まれたのか、
嫌気がさして異動を希望したのか。

いずれにしても、
僕は味方になってくれる先生を失って
茫然となってしまった。

 

この学校に自由を取り戻すために、
僕はまず、生徒会に立候補した。
高校受験でクソ忙しい時に、である。
しかも、後述するが、
うちの父、またもや女を作って家出した頃に、である。

当時の中学なんぞはどこもそうだったろうが、
うちの中学の生徒会役員選挙は、
各クラスからツッパリが立候補して
誰が1番票を集めるか、
という人気投票になってました。

で、人気投票なもんだから
当選した後は
何もやらないのね。
だから、生徒会自体、
自治も糞もありゃあしない。
有名無実化してました。

選挙のポスターは
当時、一緒になって
糸井重里のコピーにかぶれていた
士郎が創ってくれた。

「火をつけると、飛んで行きます。」

かまちょにぴったりのコピーだろ?
士郎が、自慢げに言った。


2013.04.24