キャマダの、ジデン。⑧ビートルズ

最初は20代の若さで
いきなり子供を2人預かったことと
自分の子供可愛さで
殴られたりもしたんであるが
あっという間に僕らは
おじさんおばさん広実くんと
小岩で楽しく過ごしていた。

何しろおじさんは
夢中になって、たっぷり遊んでくれたからね。

また、僕と弟にとってもいきなり
弟が1人増えたようなもんで
この頃の奮闘努力で、
以降、赤ちゃんや子供をおもりしたりするのが
そりゃあうまくなったってぇことさ。

おばさん、そして女性を敬い、家事を手伝い、助けること。
あとは、1人っきりの血の繋がった弟を大切にする心。
いろんなことを学んださ。

12tv

うちの両親と、テレビの好みが違うのも面白かった。
なんだか、東京12チャンネル(現テレビ東京)ばかり観ていた気がする。
火曜スペシャルだったかな、
アフリカの奥地に潜む原住民の
刺青や鼻輪の穴を開ける残酷シーンだとか食人行為だとか、
今じゃ絶対放送されないすごいもんばかりを
おじさんは楽しそうに夕ご飯食べながら観ていたものよ。
僕?
僕はもう怖くて怖くて、
ご飯の味が分からなかったよ。

mon

モンティ・パイソンをいち早く放送したのも12チャンだった。
理解はできていないんだけど、
なんだか面白い!
12チャンの恐ろしいところは、
その番組の真ん中に無理矢理、
なんとチャンバラトリオのコントのコーナーを挟んでいたのだ。
うわあ、日本のコントはソフィスティケーティッドされてないなあ、
子供でも感じる違和感…。

harisen

そんなある「し」。
僕はおじさんのレコードが、なぜか気になった。

「しろあきそれはな、ビートルズだ。」

beetle

(再度書くが、うちの母の家系は、
江戸っ子でなく長野育ちなのに、
[ひ]と[し]が言えないのよ。
おじいちゃんの家の表札には
[重田博]に[しげたしろし]って仮名ふってあるし、
僕、浩昭のイニシャルはSだって言われるし、
ありえないほどに重症なのだ)

實おじさんはビートルズとはどんなものかを、
夢中で教えてくれたさ。
毎日のように、
おじさんが十代の頃買った
4曲入りのEPドーナツ盤を聴かせてくれ、
カタカナで歌詞を書いてくれて
一緒に歌ったさ。
「♪ユーゴナ ルザーガール イエス セシゴナ ルザーガール!」
僕はあれから35年ほども経っているのに
このカタカナの歌詞は、そらで書けるよ。

「おじさんは武道館行ったの?」
「しろあき、その頃はまだ長野で学生だったから行けなかったんだ」

夜中にFMラジオでビートルズ特集があるって
おじさんは3時まで起きてて録音してくれた。
「I’m so tired(僕は疲れた)」
という曲のところで、タイミングどんぴしゃで
おじさんのいびきも録音されていた。

apple

僕は小学2年でビートルズに夢中になった。
学校で出来た友達はずうとるびしか知らなくって
この気持ちを共有できないのが惜しかったけど
当たり前だろ、この歳で
ビートルズを聴いてる方が珍しい。

学校から帰り、友達と遊ぶ用事のない時は
ラジオにかじりついていた。
当時洋楽はFENくらいでしかかからなかった。

あの頃は、ポールのバンド、ウィングスが流行っていた。
楽しくてたまらなかった。
ジョンの曲は、あまりかからなかった。
あの「イマジン」だって、当時はチャート1位にはならなかったんだから。
ジョージやリンゴなら、なおさらだ。

あの頃はスティービー・ワンダーとかもかかっていたと思うけど、
当時の僕はビートルズ以外理解しようとすらしなかった。
ビートルズが僕にやってきた!ヤァ!ヤァ!ヤァ!、だ。
僕のその後の人生に、
決定的な事が現れてしまったんだ…。

2011.07.12