福島県相馬市のダチからの便り 第2便

鎌田浩宮

テレビで見た地獄のような光景が、
実際に自分が育った土地に広がっていたら。
例えば、僕の住む三軒茶屋が、
そんな事になっていたら。

友達の両親が住む家が津波で流されていたり、
友達のやっているお店が大破していたら。
僕は、目を覆いたくなるだろう。

ましてや杉ちゃんの気持ちは、いかほどだったか。

さて、先に進めましょう、質問2です。
ライフライン・・・水道・電気・ガス・電話などは
どのくらい経ってから使えるようになった?
使えない時は、どんな風に
食事やお風呂を過ごしていたの?
あと、電話が通じない時は、
杉ちゃんの親戚とかに
自分達の安否を知らせることができなくて
相当大変だったんじゃない?

 

杉本敏之

電気は大丈夫だった。
ガスはプロパンで、交換したばかりだった。
灯油もうちでは、200リットルのタンクに貯めてあり、これもちょうど業者が満タンにしていったばかりだった。
灯油が満タンで助かった。

水道は10日程出なかった。
これが大変だった。
お風呂に入れないのは我慢できるとして、トイレの水を流すのに、大一回でバケツ1杯の水がいる。
(父はバケツ半分で良いと言っていたが、、)
それで、近所の井戸水のある家に水を貰いに行った。
最初は、バケツやポリタンクに入れていったが、すぐに釣り用の大きなクーラーボックスをみつけて、それに水を入れて、車で運んだ。
近所の人は、「いちいち断わらなくていいから勝手に持って行きな。」と言ってくれた。
とてもありがたいです。
それで、近所の井戸水をもらいに、車を使って、2日に1回は行った。

ものすごくおいしい井戸水を、トイレを流すのに使うのはもったいない。
こんどから、災害用に雨水をためて、トイレ流し専用に保管しておこうと思った。、、、

それで、お水をいかに、無駄なく使うかなんだけど、洗いもので、水を使わないように、皿やしゃもじにラップを巻いて、食べ終わったら、ラップをはがすだけで済むようにした。
父がこんなやり方を、どっかで見てきたらしい。
そして、ラップを使わない、ご飯茶わんやみそ汁のお椀は、洗剤で洗ったら、最初、タオルで泡をふきとってから水で流すようにした。
(これは私が考えた。)
こんな風にして、水の使用を最小限にする努力をした。

 

そして、電話なんだけど最初の五日位はなかなかつながらなかった。
遠くにいる親戚はその間も何度も、家に電話をよこしていたそうだ。
しかし、携帯のメールは良くつながっていたので、それが役に立った。
携帯の通話の方は18日からつながり始まった。

それで、関東や新潟の親せきからの連絡は直接電話がつながらないので、宮城県の古川に住む、上の妹の方に連絡が行って、そこが中継みたいになり、相馬の家に電話連絡が行くというパターンが多かった。

災害時、このように、誰かの電話や携帯を中継にして、迂回するように連絡を取るというのは、結構有効なのかと思う。

2011.04.04