第七十九夜:「いきものアルバム <うさぎ>」

今晩は久々の「いきものアルバム」をどうぞ。
皆様もこれまで飼ってきたペットの事、
今晩はすこ~しだけ思い出してみて下さいませ。
あなたにはどんな思い出がありますか?
 
 
 
 
「うさぎ」
 
多分、彼は父に貰われてウチにやってきました。
私はまだ幼稚園くらいだったと思います。
彼は「ぴょん吉」といいました。
少しまだら模様の入った白うさぎ。 いやグレーだったかも。
うさぎだから「ぴょん吉」。 うさぎなのに「ぴょん吉」。
どう考えてもわたしネーミングではない…。
じいちゃんか、父のセンスか…。
いや、「ど根性ガエル」にドハマリしていた妹かもしれない…。
 
 
ぴょん吉は本当にアタマの良い子でした。
小さなウチのガレージに置かれた大きなダンボールの中で
おとなしくウサギ生活を満喫していたぴょん吉は、いつの頃からか
名前を呼べばこちらに嬉しそうにやってくるようになっていました。
いつでも逃げ出せるダンボールにいるのに、呼んだ時以外は
絶対にダンボールからは出ないのです。
そして私の足元にやってきては、鼻をフニフニさせて笑うんです。
誰が躾けたのか、元々のうさぎ技なのかは分かりませんでしたが、
その微笑ましくも可愛らしい光景に、バカ家族たちは
 
この子はスゴイ子だ!天才だ!天才うさぎ現るぅ!
 
と、ぴょん吉の評価を勝手にごいごいと持ち上げ、
「これはテレビに出したら儲けられるな!」と一介のウサギに
稼がそうとまで考えていたあさましい頃、じいちゃんがやらかしました。
自転車を停める際に、じいちゃんはぴょん吉を轢いたのです!
正確には少しぶつけただけでしたが、傍で見ていた私は凍りつきました。
轢かれたぴょん吉は首をグッタリさせ、ぜんぜん動かなくなりました。
父と私はすぐにぴょん吉を動物病院に連れて行きました。
ガレージで申し訳なさそうにしていたじいちゃん。
その時、私は初めて、大好きだったじいちゃんをキライになりました。
 
 
しかしぴょん吉は強かった!
首の骨は折れてしまっていましたが、斜めになった首のままで、
以前と変わらず、呼べば私の傍に飛んできてくれました。
首を傾けたまま、嬉しそうにやってきていたぴょん吉。
うさぎを越えたうさぎ。 もはや「うさぎマスター」の姿でした。
首をかしげ、より甘えたよなぴょん吉のフェイスに、
私は前よりも可愛らしさと強い愛着を感じていたのですが、
大きくなってからじいちゃんに聞いたら、
首を傾けたぴょん吉の姿を見る度、
じいちゃんはいつも胸が苦しくなっていたそうです。
そりゃそうだ!それくらい想うがいいさ!謝罪しな!懺悔しな!
と大人になった私はじいちゃんにこっぴどく言いました。
 
 
ぴょん吉はうさぎにしては長生きしたと思います。
何でも食べて丸々と育ちました。相変わらず首は曲がったままで。
そしてある日。
ひっそりと、誰にも見取られず、ぴょん吉はお空へ旅立っていきました。
その頃の私は、まだ「死」がよく分かっていませんでした。
ダンボールの中で眠るぴょん吉を見て、
また病院に行けば元気になる!また治る!と思っていました。
でも、寿命でした。
私は初めて「死」を理解し、何日も何日も泣き続けました。
いきものは死ぬと二度と会えなくなると、初めて知ったのだと思います。
 
 
 
 
ぴょん吉が旅立った直後でしょうね。
私の中には何度もカレージ内で名前を呼び続けている記憶があります。
いくら呼んでもぴょんぴょんとぴょん吉が飛んできてくれる事は
ありませんが、呼び続けていれば、いつか首をかしげて
ぴょん吉が来てくれるよな気がしていたのかもしれません。
 
近くにきて鼻をフニフニしてよ…。
はやく出てきてよ、ぴょん吉…。
 
ほんとはまだ何も理解できていなかったんでしょうね。
まだまだ幼く、愚かだった頃のお話です。
 
 
でも、今でも実家に帰り、現在は締め切りになったガレージ内に入ると、
うさぎのぴょん吉を思い出す事があります。
そんな時は、誰にも知られないようにそっと名を呼ぶのですわ。
 
 
 
 
 
 
 
 

2012.04.19