第九十六夜:「百夜通い」

百夜通い(ももよがよい)というお話をご存知ですか?
百夜通いとは、世阿弥などの能作者たちが創作した小野小町の伝説です。

深草少将はただただ真面目な男だったのでしょう。
美しいだけではない、人としての魅力も備えていた小野小町に
深草は惚れました。
しかしそんな男は小野小町の周りには沢山いたでしょう。
熱心に求愛していく深草少将を、小町は鬱陶しく思ったそうです。
そこで小町は自分の事を諦めさせようとこう囁きます。

「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの意のままに」

百夜通えば結婚してくれると、
真に受けた深草はそれから小町の邸宅へ毎晩通います。
その日々の訪問は多分、幸せなものだったと思います。
しかし九十九夜目。しんしんと雪が降る晩に、
深草は凍死したと言われています。
元々、身体異常があったのか、死因は私分かりませんが、
それでも身体に降り積もっていく雪の中で、
深草は百夜が明けるのを夢の中で描いていたと私は思います。

私もまた、Epstein’sに通うようになって早2年。
浮世を離れてこちらに立ち寄る事は
私にとってはとても幸せなことでした。
元々、口は悪いのですが、周囲に真意を伝える方では
ありませんので、こうやって日記的なものを
披露するなどという事はなんだか不思議だったり、
心の奥底を自身で見つめるような、そんな有意義な時間となりました。
特に、若くして死んでしまった彼の事を思い出すのを
控えていた私には、ここで文章を書く事は
色々と思い起こさせてもらえたようにも今は思います。
もしかしたら、私もまた、
あの人に会うために、再び添い遂げる為に、
百夜を重ねようとしてきたのかもしれません。
なんてね。それは叶いませんよね。

実際のおはなし、若かれし頃、旦那さんを好きになり、
通いつめたのは他でもなく、私でしたしね(笑)
でも彼は百夜を要求する事もなく、
いつも明るく、優しく、温かく、私を受け入れてくれました。
彼には神通力があったのか、
私が「あ~ピザ食べた~い!」と思っていると
彼の家にはピザがちょうど届けられていたり、
どんなタイミングで私が家に行っても、
彼もものすごいタイミングで家に戻っていたり。
私達は一緒にいられる運命だったのだと思います。
同時に、百夜の明けた日の朝日は
見られないという運命もあったのだと。

さてさて。
震災以降、どこまでいっても私は若女将として
誰よりも冷静でなければ、と努めました。
しかし、それは空回りばかりでした。
そして現在。
今、私が置かれている状況は「人生単位の選択」。
それは私だけの選択ではなく、
周囲への卑劣な啓示かもしれない。
それでも、ただこの身にあるのは諦めない気持ちだけ。
それは人生の楽土、天竺は追うものであって、
到達すべきではないと私は思っていますから。
仕方ない、じゃない、最良の選択を常にするだけなのです。

こちらで百夜を間近に控えた頃から、
抱えるいろんな気持ちからか、
不意に「百夜通い」のお話を思い出しました。
今の私かもしれないなあって。
深草にも百夜を通う理由が他にあったのかもしれない。
だからこそ小町を追い求めたのかもしれない。

だから、この日記も百夜ではなく、
九十九夜で終えたいと私は思いました。
それは追い求め続ける為にです。
人生において、小町じゃなく、深草でいたいと私は思うのです。

あと三夜。
どうか、お付き合い下さいませ。

2012.10.24