第七十五夜:「旋律とたわむれて」

今週の日曜日に、歳の離れた親友が無事出産をしました。
元気な男の子です!
不思議な縁で知り合った友の出産に、
私は本当に穏やかな気持ちになれました。
その時入り込んでいた風も、祝福しているようでした。
ほんとうにおめでとう。
あなたとあなたの子供に、永遠の幸いを祈ります。
 
 
 
だからかは分かりませんが、私は不意にピアノが弾きたくなりました。
以前の私を知ってる人はピアノなど全く不釣合いに感じる事でしょう。
まあ、ギターボーカルだったし、拡声器も使っちゃうような、
かなりの強面パンクな荒くれ者でしたし、致し方ないです・・・。
でも弾けちゃうんです、これが(笑)。 とはいえ、普通レベルです。
旧館には、今はほとんど調度品的な扱いで置かれている
古いピアノがあります。
春の混雑時期を待つ、この隙間のような時期に、
一人、旧館のピアノに向かっていると、
私はものすごくこの人生の不思議さを想います。
何故でしょうね。
 
 
私は大好きな曲を弾きました。
ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」という曲です。
フローティングで、歌声にも聞こえる旋律。
ロマンティックやセンチメンタルすら越えた強い美しさ。
そんな事を感じさせてくれる曲です。
まあ難しい曲なのですが、和音を多少省略すれば
私にも弾けるのです。 はい、その程度なんでね。
 
 
 
冬の柔らかい日差しが入るちょっとした一角から流れゆく旋律。
 
新たな命の誕生と幸いを願う気持ち。
 
小さい頃、嫌々ピアノ教室行ってたくせに、とか、
 
憧れの人が、ピアノの弾ける女性が好みと知り、
 
ピアノが弾ける自慢を一度だけしてしまった事とか。
 
あの日、一緒に音楽をやっていた友人が亡くなった時の事とか。
 
何処か遠くへ飛んでいきたい心。
 
青空と平原と暖かい風が吹く世界を、夫と息子と歩く景色。
 
今はもういない旦那様と、
当時ブームだったブーニンのリサイタルに行った事。 一緒に泣いた事。
帰りのラーメンが異常に美味しかった事。 ニンニク臭かった事。
 
一度だけ、ヘタクソなピアノを夫に聞かせた事。
さらりとやってみせたフリして、
ホントは顔から火が出るほど緊張していた事。
 
 
 
などと曲を弾いていたら、走馬灯が見えてきたというよりは、
ずばばっと丸裸にされていくよな気分になりました。
ラヴェル恐るべし!
 
そんなラヴェルさんも晩年は記憶障害を患ったそうです。
ある日ラヴェルさんは「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いたそうです。
そこで彼はこう呟いたそうです。
「とても美しい曲だね。誰が創ったの?」と。
なんとまあ、哀しくもおかしくも美しいお話です。
あなたが創ったんですよ。 そう言ってあげたいな。
 
 
 
ひとつ鍵盤を叩けば、ひとつ音が出る。
その単音ひとつも本当に美しいもの。
でもそれが連なると、より輝きを増します。
そしてその連なりが旋律に変わると、輝きは一層増して、
私たちの聴覚だけでない、視覚、嗅覚、そして
こころのいたる所をつつき、強く旅立たせていく。
 
人もまた、たった一つの鍵盤。
そこに一つの善良な意志や意図が舞い降りると、
美しい旋律をこの世が奏でるのかもしれません。
音楽とは、ヒトの行く末を示しているのかもしれませんね。
ま、ヘタクソな単音の私が、言える事ではないですが(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2012.03.08