- 2015.11.02:第-8 「三宅島から避難して」
- 2015.06.20:第-7 「一方、日本では」
- 2011.09.26:第-5 「兄と私は毎晩、寝ずに見守っていました。」
- 2011.08.02:第-4 「もう一度、新しく生活を始めよう」
- 2010.12.03:第-3 「あきらめない。生活のためには常に努力する。つづき」
- 2010.11.26:第-2 「あきらめない。生活のためには常に努力する。」
- 2010.08.30:どくしゃの かたがた へ アンケートを とってみたら・・・
- 2010.08.12:第-1 「モンゴルに いたころの おはなし」
サブ・コンテンツ
- 2023.03.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑦
- 2023.03.04:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑥
- 2023.02.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑤
- 2023.02.25:[Radio] walkin’ to the beat everlasting④
- 2023.02.19:[Radio] walkin’ to the beat everlasting③
第-6 「兄はとても困った表情で話しました。」
Тэрбээр Японы эмэгтэйтэй гэрлэсэн нь уулзалтын Монгол , Япон руу цагаачилсан юм. Монголчууд Японд амьдарч , маш хэцүү байдаг. Энэ өгүүлбэрийг уншиж, зориг уу.
Камата хийж Hironomiya
Terbeer Yapony emegteitei gerlesen ni uulzaltyn Mongol , Yapon ruu tsagaachilsan yum. Mongolchuud Yapond amidarch , mash khetsüü baidag. Ene ögüülberiig unshij, zorig uu.
Kamata khiij Hironomiya
すばやく服を着て外に出ました。
一体、何が起きたのかと考えました。
おそらく兄は少し眠ってしまい、その間に羊・ヤギは移動してしまった。
目覚めた兄は、あわてて自転車で探しに消えてしまった。
そう考えました。
夏から秋は、昼間より夜中の方が涼しいので、夜中1時頃の涼しい時間に羊・ヤギは食欲がわき、草を食べに移動していくことがあります。
ラクダは鼻からひもをつないで固定していたので、そこにいたわけです。
私は近くで一番高い丘に登り、見わたしましたが、羊・ヤギの一匹も見つかりませんでした。
兄の姿も見あたりません。
双眼鏡を当てて見ると、ずっと5㎞ほど北の山の上に、他の家の羊・ヤギがいるのが見えました。
そして、そこにうちの羊・ヤギが混じっているのを見つけました。
そこには兄の姿がなかったので、兄は反対の南の方向へ探しに行ったのだろうと思いました。
そこで私は羊・ヤギのいるところへ歩いていきました。
羊・ヤギのいるところへ着くと、子どもが放牧していました。
その子と私で、うちの羊・ヤギと、その子が連れている羊・ヤギを分けました。
私は自分の羊・ヤギは毛の色、顔の色で分かります。
しっぽの上に緑色の印もつけてあったので、すぐに分けることができました。
そして、テントの場所へ連れて戻ってきました。
すると、兄も反対の南側から戻ってきました。
兄はとても困った表情で話しました。
夜中、とても眠かったので少し目をつむったそうです。
そうしたら、目を開けたときには、羊・ヤギはもういなかったそうです。
兄は、私たちが移動してきた道を羊・ヤギは戻っていったにちがいないと考え、南に探しに行ったそうです。
私の考えは逆です。
私は夜中、寝ているときに遠くでオスヤギの低い鳴き声を聞きました。
うちのヤギはメスが多いです。
この時期、秋はメスとオスがもとめ合う季節です。
夜中に草を食べながら移動し始めたうちの羊・ヤギが、遠くの群れの中にいるオスヤギの声と匂いに反応して、さらにそちらへと向かっていったのでしょう。
私たちがテントに戻った時は、すでに太陽は高く昼になっていました。
私たちは昼食をとって、また移動の旅へ出発しました。
この日は大変な一日でした。
へんしゅうぶ から せつめい
鉄から、原稿が郵便で届きました。
今回も、鉄が当時の日記を読み、日本人の奥さんが聞いて日本語に訳して代筆してくれました。
奥さんの手書きの字にも、温かいものを感じます。
写真は、鎌田が以前モンゴルの、当時の鉄の実家を旅した時に撮ったもので、本文とは関係ありません。
原稿のお礼に、鉄に電話をしました。
この夏は生まれて初めて海に行ったことを嬉しそうに話してくれました。
鉄に「双眼鏡を使ったとはいえ、5㎞先の羊やヤギを見分けるなんてすごい!」
と言ったら、照れ臭そうに、「日本人でもできるよ…」と言っていました。
でも、日本人の視力じゃあ、無理だろうなあ!
この、羊やヤギがいなくなった時、狼がとても怖かったそうです。
狼というのは、自分が食う食わないにかかわらず、そこにいる全ての羊・ヤギをかみ殺してしまうからです。
人生を賭けて600kmもの大移動をしているのに、そんな目にあったら、元も子もありません。
鉄は「ゾド(雪害)は、自分だけではなく、皆に起こった。だから、皆が頑張っている。皆で頑張ろうと思った。」
と言っていました。
僕もほんの少々被災しましたが、この度の東北大震災や原発の事故にも通ずる話だと感動しました。
僕は「頑張ろう日本」とか「1つになろう日本」というスローガンは、好きじゃありません。
他人はどれだけつらい思いをしているか分からないのに、安易にそんな励ましは、あまりにその人を思いやっていないからです。
でも、だからこそ鉄の言ったことは事実なのです。
このままだと自分の人生は駄目になる、という究極の状況で、家族皆のためにも、歩いていくのです。
泣きたいだけ泣いて、ベッドから出てこない、やけ酒もあおった、けんかもしたかも知れません。
その上で、それは誰かのスローガンで強要されるのではなく、自分が家族と決めたことなのです。
つづく…
Column&Essay
