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- 2015.06.20:第-7 「一方、日本では」
- 2011.10.03:第-6 「兄はとても困った表情で話しました。」
- 2011.09.26:第-5 「兄と私は毎晩、寝ずに見守っていました。」
- 2010.12.03:第-3 「あきらめない。生活のためには常に努力する。つづき」
- 2010.11.26:第-2 「あきらめない。生活のためには常に努力する。」
- 2010.08.30:どくしゃの かたがた へ アンケートを とってみたら・・・
- 2010.08.12:第-1 「モンゴルに いたころの おはなし」
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第-4 「もう一度、新しく生活を始めよう」
Тэрбээр Японы эмэгтэйтэй гэрлэсэн нь уулзалтын Монгол , Япон руу цагаачилсан юм. Монголчууд Японд амьдарч , маш хэцүү байдаг. Энэ өгүүлбэрийг уншиж, зориг уу.
Камата хийж Hironomiya
Terbeer Yapony emegteitei gerlesen ni uulzaltyn Mongol , Yapon ruu tsagaachilsan yum. Mongolchuud Yapond amidarch , mash khetsüü baidag. Ene ögüülberiig unshij, zorig uu.
Kamata khiij Hironomiya
文:鉄
写真:鎌田浩宮
今回は、前回の続きで、モンゴルを南から北へ一か月かけて移動したときの話です。
出発地は、それまで住んでいたドンドゴビ県の西、ビルゲクという土地です。2000年9月12日、ちょうど正午に北へ向けて出発しました。羊、ヤギ計百頭弱とラクダ二頭と犬二匹、そして私と私の十歳上の兄がオールメンバーです。私と兄は、一人はラクダにまたがり、一人は自転車をこぎました。舗装道路はなく、広がる草原、ときには山を越えます。自転車は途中で壊れることもあり、修理しながら行きました。
そしてナラン村のわきを通り、その晩は遊牧民アマーセレートルさんの家の東側に、持ってきた小さなテントをはり野営しました。
2日目は北西へまっすぐ進みました。このあたりの遊牧民サンジャーさんが以前、馬を売ると話していたので彼を探しました。馬を1、2頭買って連れていこうと思っていたのです。けれどサンジャーさん一家は、私たちが到着する前日に冬営地へ移動しており、会えませんでした。
その夜の月は、とても美しい月でした。山の南斜面で月光がよく当たるところに野営しました。そこは翌朝、太陽が昇るときの光も受けられるからです。
3日目。朝はいつも5時半起床です。日中はずっと羊、ヤギの群れと進みます。お昼ごろ、東西にのびる山脈をこえました。山を下りると4~5つのゲル(遊牧民の家)があり、そのうちの一軒でお茶をいただき、休みました。
となりのゲルではお祝いの最中でした。主人は私たちを招き入れ、馬乳酒やアルヒ(モンゴルウォッカ)をふるまってくれました。私は羊、ヤギの群れと再び進むことが頭にあったので、飲みすぎないようにしました。ところが兄はたくさん飲んでしまい、「今晩はここに泊まろう。」と言い出しました。けれど兄を説得し、再び北へ向かって歩みを進めました。
この日はとても暑くなりました。夜、すっかり暗くなってから“ホンゴルの泉”という地に着きました。日が落ちてから着いたので、ここはどういう地で、どこに野営したら安全なのかも全くわかりませんでした。
なぜ、明るいうちに野営地を決めなかったかというと、その途中には、羊、ヤギが飲む水がなかったからです。長距離の移動で一番必要なのは、水だからです。モンゴルでは川、泉、湖、井戸に水があります。さて、そこでは暗闇の中でも、草たけの高い所を選び、野営しました。
つづく
へんしゅうぶ から せつめい
久しぶりの、鉄からの原稿です。
今回は、鉄が当時の日記を読み、日本人の奥さんが聞いて訳して代筆してくれました。
写真は、鎌田が以前モンゴルを旅したときに撮ったもので、本文とは関係ありません。
モンゴルの草原は、意外と起伏もあり、モトクロス用の自転車でもない限り、1か月も乗り続けるのは不可能だと思います。
通常、移動は馬に乗ってします。
でも、前回書いてくれたように、ゾド(雪害)のために、乗れる馬もなくなってしまったのでしょう。
全くもって困難にあふれています。
移動中ゲルを見かけたら、遠慮なくお茶をごちそうになることができます。
おなかがすいていれば、パンなどもごちそうになります。
それを拒否するゲルはいません。
なぜなら、常に移動をする遊牧民は、このようにして助け合っているからです。
でも、よほどのお祝いがないと、アルヒは開けません。
それほど高価で貴重なお酒なのです。
僕も以前、鉄と奥さんが住む家に、お祝いのアルヒを持っていきました。
数年たった今でも、彼はそれを開けていないそうです。
次に僕が来た時に、お祝いで開けてくれるそうです。
嬉しくて、涙が出そうになります。
エプスタ2年目の今年は、たくさん書いてくれるそうです。
慣れない日本での生活に、加えて放射能汚染やいろんなことが起きているのに、嬉しい限りですね。
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