- 2015.11.02:第-8 「三宅島から避難して」
- 2015.06.20:第-7 「一方、日本では」
- 2011.10.03:第-6 「兄はとても困った表情で話しました。」
- 2011.09.26:第-5 「兄と私は毎晩、寝ずに見守っていました。」
- 2011.08.02:第-4 「もう一度、新しく生活を始めよう」
- 2010.12.03:第-3 「あきらめない。生活のためには常に努力する。つづき」
- 2010.11.26:第-2 「あきらめない。生活のためには常に努力する。」
- 2010.08.12:第-1 「モンゴルに いたころの おはなし」
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- 2023.03.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑦
- 2023.03.04:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑥
- 2023.02.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑤
- 2023.02.25:[Radio] walkin’ to the beat everlasting④
- 2023.02.19:[Radio] walkin’ to the beat everlasting③
どくしゃの かたがた へ アンケートを とってみたら・・・
せんじつ、どくしゃの かたがたに、アンケートを おねがいしました。
すると、この
「モンゴルのともだち、にほんでくらす。」
が よかったよ、という おへんじが かえってきました。
鉄も、いっしょうけんめい かいてくれましたが、
どくしゃの みなさんも、いっしょうけんめい かいてくれました。
そのことが、とても うれしかったです。
鉄、どくしゃの みなさん、ありがとうございました。
きょうは、それを しょうかい しますね。
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§ モンゴルの方の手紙には心が揺れました。一生懸命日本語で書いてくれて、それをそのまま載せるという両者のまっすぐな心に~
§ 一生懸命な手紙に感動
§ オーストラリアに来て2年3カ月、ケアンズからゴールドコーストに引っ越しをして来て3ヶ月経ちました。(こちらはまだ冬の終わりです。とはいえ日中は薄い長袖1枚で事足りるさわやかな季節です。)
これまでふまじめな読者だったので、アンケートの通りにこたえるのははばかられるため、一つだけ共感した記事についてお話しさせて下さい。
それはモンゴルのお友だちの記事です。丁度彼が日本に来た頃私はこちらに来たと思うのですが、それもあって、一生懸命異国で頑張っている彼にとても共感を覚えました。
私の英語は彼の日本語よりうまく相手に通じているとは思えません。(学習年数ははるかに彼よりも長いと思うのですが…(^^ゞ)でも、やはり必死に相手に気持ちを伝えたい、そして外国人だから感じられる異国の社会の良いところ、こうなったらいいなと思うところを伝えて行くことで、微力ながらお世話になっている周囲の人たちや社会にお返しがしたいという気持ち、私の中にあるものを彼の文章の中にも感じ、共感を覚えました。
日本はオーストラリア以上に社会が病んでいて複雑化した問題がたっぷりあるけれど、彼がご家族や鎌田君のような温かい日本の友人に支えられ、人の善意を信じてそのあたたかな輪を広げていくことを素晴らしく思うし、遠い空の下から応援しています。
異質なものを受け入れることによって、個人も社会(国)も豊かになって行くことを思うと、日本は閉じられた意識を変えていくことによって再生して行くのだと思えてなりません。日本が真の意味で自分のオリジナリティーを発揮して世界に貢献して行くには、まず自分たちの姿を客観的に見つめて、その良さと弱点を認識する必要があると思います。
海外にいると、日本人の感性の鋭さとそこから生まれる製品の精密度をあらためて実感します。(それは、スナック菓子から文房具といった小さな商品から電化製品まですべて共通しています)でもその商品を作りだすために日本の労働者たちがしのぎを削り、擦り切れてしまっていることは、皮肉な現実です。一方、オーストラリアの人たちには、「とことん突き詰めて商品を生み出す努力で自分がすり減ってしまっても、トータルとしてライフを楽しまなければ一体どうなんだ?」という価値観がしっかりと根付いている気がします。
と・・・誰でも既に感じていることを熱弁してしまった自分が青くて恥ずかしいですが、やっぱりあきらめずに置かれている場所でできることを無理せずにしてきたいですよね。
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