- 2015.11.02:第-8 「三宅島から避難して」
- 2011.10.03:第-6 「兄はとても困った表情で話しました。」
- 2011.09.26:第-5 「兄と私は毎晩、寝ずに見守っていました。」
- 2011.08.02:第-4 「もう一度、新しく生活を始めよう」
- 2010.12.03:第-3 「あきらめない。生活のためには常に努力する。つづき」
- 2010.11.26:第-2 「あきらめない。生活のためには常に努力する。」
- 2010.08.30:どくしゃの かたがた へ アンケートを とってみたら・・・
- 2010.08.12:第-1 「モンゴルに いたころの おはなし」
サブ・コンテンツ
- 2023.03.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑦
- 2023.03.04:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑥
- 2023.02.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑤
- 2023.02.25:[Radio] walkin’ to the beat everlasting④
- 2023.02.19:[Radio] walkin’ to the beat everlasting③
第-7 「一方、日本では」
Тэрбээр Японы эмэгтэйтэй гэрлэсэн нь уулзалтын Монгол , Япон руу цагаачилсан юм. Монголчууд Японд амьдарч , маш хэцүү байдаг. Энэ өгүүлбэрийг уншиж, зориг уу.
Камата хийж Hironomiya
Terbeer Yapony emegteitei gerlesen ni uulzaltyn Mongol , Yapon ruu tsagaachilsan yum. Mongolchuud Yapond amidarch , mash khetsüü baidag. Ene ögüülberiig unshij, zorig uu.
Kamata khiij Hironomiya
ぶん・かまだひろのみや
モンゴルでうまれそだった、鉄(てつ)くん(仮名)。
かれは、にほんのじょせいとけっこんするのです。
そのじょせいは、大石(おおいし)さん(仮名)といいます。
にほんでとてもゆうめいなえいが「二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)」にでてくる大石せんせいと、おなじなまえでした。
大石さんは、だいがくをそつぎょうして、しょうがっこうのせんせいになりました。
しぜんや、うみ、やまがだいすきなかのじょは、とおくはなれた三宅島(みやけじま)というしまのしょうがっこうで、はたらいていました。
しかし2000ねんに、そのしまのやまが、ふんかしてしまいました。
ものすごいふんかのせいで、三宅島にすんでいたすべてのひと、やく3800にんが、しまをでて、とおいところに、ひなんしました。
大石さんのがっこうのこどもたちは、おやとはなれて、せんせいといっしょに、東京都(とうきょうと)秋川市(あきかわし)にひなんしなくてはならなくなりました。
おとうさん、おかあさんとわかれて、せんせいと、こどもたちだけで、やく2ねんもすごしました。
かぞくといっしょにいられないさびしさと、なれないせいかつで、せいしんてきにふあんていになるこどももいました。
こどものもちものがぬすまれたりすることも、ありました。
そこにはこどもたちしかいないので、こどもがぬすんだのではないか、とせんせいはおもいました。
三宅島のこどもたちは、しまにいるときは、みんなすなおで、こころのやさしいこでした。
だから、よっぽど、せいしんてきにふあんていになっているのだなあ、とおもいました。
もとの、すなおでやさしいこころになるためには、はやくかぞくといっしょにくらせるようにするしかない、とつよくおもいました。
まるで、2011ねん3がつ11にちの、ひがしにほんだいしんさいのように、たいへんなできごとでした。
2015.06.20