「パラサイト」でど突け 第2回

文/名無シー・鎌田浩宮
構成/鎌田浩宮

 

映画「パラサイト 半地下の家族」大ヒットを喜ぶ、鎌田浩宮
それを訝しがる映画評論家・名無シー
2人が、半地下よりも追放された場所で語り合う、第2回。

のっけから、他の映画を批判。
お読み下さい。
なお、第1回はこちらから。

 

 

予告編さえ、苦痛。

 

鎌田浩宮
ところで、「ジョーカー」はご覧になりましたか?僕は、どうしても観る気にならず、未見なんです。

名無シー
観ました。個人的には何も感じない映画でした。他の映画には色々感じ入っていたりするので、映画館に入り浸って感覚が鈍っていると言う訳では無いと思います。この映画の嫌なところは挙げろと言われれば挙げられる位には眠らずしっかり鑑賞したつもりです。


「ジョーカー」「宮本から君へ」などなど、世間は絶賛、俺は全く興味持てず…そんな映画が増えています。


宮本とか、予告編も最後まで見る気になれませんでしたね。


そう!今、予告編が苦痛で苦痛で。


予告編くらい本編以上に面白そうに編集して欲しいですよね。

 

 

ジョーカーを観に行く必然がない。
どこにでもある情景だから。

 


宮本、自分の生活環境にあんなわざとらしい奴がいたら距離を置くくせに、フィクションだと面白い~とか言う人達の感覚に付き合っていると、新しい良いものは先ず生まれてきませんね。「ジョーカー」を持ち上げる群衆というあのステロタイプな潜在的不満の表現も白けました。


いいこと言うなあ!その通りで、現実に宮本がいたら、嫌がって壁を作るタイプのくせに、映画だと「いい」となる。

じゃあ、銀幕とはなんなのか。自慰行為にさえなっていない。カタルシスや憧憬を抱きながらスクリーンを見つめているはずなのに、なんなんでしょうか。「カメラを止めるな」から、観客が銀幕に求めているものが、露骨にくだらないものになりましたよね。

 

 


「学生が文化祭映画の製作で盛り上がっている。楽しそうでいいじゃないか。回収が面白い。」そんなものが、手作りでぬくもりのある映画として評価される。宮本にぬくもりを感じる。「ジョーカー」に現実を感じることと、表裏一体です。

現実の社会をつぶさに見つめていけば、難民を何年も監禁する日本の入管や、父親にレイプされ訴訟しても敗訴する女性、新興宗教に献金し続け冷房もつけられない自宅にて熱中症で死ぬ信者、「ジョーカー」は日本国内でいくらでも見つかります。

僕はそれだけで一杯になります。何も映画館へ行って、その焼き直しを観る暇もない。そこに、新しい示唆があるのなら別ですが。


やや横道にそれますが、色々な嘘を含みながらも、ゴッサムシティーのモデルとなっただろうジャズエイジのニューヨークをモデルにした「マザーレス・ブルックリン」は、ワイズマン的視点の起こりの辺りに光を当てていて面白かった。バットマンはマンガだけど、これは映画だなと思えるウソでした。

銀幕とは、と言うところにも関わっているかも知れません。

 

 

愛さずにはいられない良さ。

 


おお!エドワード・ノートンが監督も。面白そう!


一方で、今公開中の「風の電話」や、ソフト化されていない「SHARING」は、相当に誠実で、日本にも未だこう言うものが!と、唸らされました。


「SHARING」は2016年公開。もんのすんごい称賛の嵐じゃないですか!「風の電話」は公開中。行きます!

 

 


「マザーレス~」。主人公は、世界のナベアツを髣髴とさせる、特異なパーソナリティ故の辛い生い立ちの男で、エドワード・ノートン演じるこの男の人物が先ずどことなく愛さずにはいられない良さを醸しています。

話の展開は良く出来てしまっている探偵ハードボイルドものなんですが、フレデリック・ワイズマンの近作を連想させるニューヨークの大切な多様性を護る闘いが、都市の負の形而上学に対置される様に描かれます。

そこにバップが絡むので、エドワード・ノートンがバップをどの様に捉えているのかよく分かります。ジャズシーンの中の人はウィントン・マルサリスです。トム・ヨークのテーマソングもなかなかで、映画は、全体家族の昔の写真を見るような愛おしさに捕らわれました。

 

 

自分が評価をしている、
と錯覚するな。

 


文脈をばっさり斬って完全に脇道にそれてしまい失礼しました。ただ、こう言う愛着を様々な映画で体験すると、ジョーカーを取り巻く環境は、一犬影に吠え、百犬声に吠えるパブリシティ戦略と、言葉の感染を自分の判断と錯覚する群衆を誘導する宣伝の悪い構造があるように見えてしまうのも事実です。


自分が判断しているかのような錯覚をさせてしまう。おっしゃる通りだと思います。本来なら自分が避けている「宮本」のような人物を、皆が関心を持っているから観に行こうとなる。

皆がそんなに評価するなら、私も「ジョーカー」を観に行かねば、となりますね。みんながそんなに「回収の見事さ」を評価するのであれば、あれはいい映画なんだ、評価すべきだ、となる。


と言う訳で、口コミの風に乗りやすい評論やコメント、いいねを含む宣伝を踏まえつつも、「パラサイト」、アメリカではどんな人達が観に行って、評価しているのだろうと言うところ気になりますね。


「parasite」のFBページツイッターを覗いてみました。僕はそれほど英語が得意じゃないんですが、アメリカ人を含め、世界中の人から好意的な書き込みが多いように見えます。

なんだか、世界中のあちらこちらから、この映画が生まれ、大きな評価を得ていることを、祝福しているように見えるんです。暗いニュースばかりの世界で、ここだけは明るい。祝福に満ちている。

「万引き家族」だって、このようになり得たかも知れない。ただ、「パラサイト」はエンターテインメントが基調であり、笑えるカットがいくつもある。1行で表現してしまうコピーライティングのように、ワンカットで表現しきっている画がいくつかある。


SNSで国境をこえたいいね等が当たり前になっていることも、海外の映画に対する気分を身近にしているのかも知れませんね。良い面を見るなら。
台湾の若者のシティー・ポップ掘り起こしとか、より濃い次元の結びつきも、将来的にはもっと、世界各国互いになされるようにもなるかも知れませんね。

 

 


ター坊・大貫妙子さん。逆に僕は現代の韓国、SE SO NEONに興奮したり。フィリピンのTHIRDSは、大好きな芸人・松浦真也さんのリツイートで知りました。


日本では映画の配給に専門性の高い個人の方なども参入されていらっしゃいますが、彼等は正に文化の橋渡し的なキーマンとなっていて、我々には欠くべからざる、昔の手紙の代書をなさる人のように思えます。

 

第3回に続く…



2020.02.14