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1800ミリリットル、朝鮮学校公開授業
文/写真・鎌田浩宮
先日、コーシーなんぞを淹れながら、いつものように新聞を読んでおりますと「とあるところの朝鮮学校が、公開授業を開催しますよ」という記事が載ってありまして。
おお、珍しいな、それは行かなくっちゃ、となりまして。
行ってきたんです、朝鮮学校。
この度お邪魔させていただいたのは、日本のシステムで言う幼稚園と小学校が併設された、幼初級学校というものでした。最長で、2歳から12歳までを過ごす子もいるというわけです。
町ん中を歩いて行くと、校庭が見えてきました。
僕の通っていた都内の小学校の、半分前後の広さでしょうか。
運動会のリレー競争などには、狭そうに感じました。
校舎に入らせていただくと、100人以上の参加者でにぎわっています。準備会の方々や先生方が、丁重にごあいさつしてくださいました。
後でご説明してくださったのですが、図工室と音楽室は兼用、図書室はなく、廊下に₍ハングル順ではなく₎アイウエオ順で本が置かれていました。学習まんが「日本の歴史」も全集そろっています。
体育館はなかったかな…、校舎内1階中央に、バスケットボールができるほどのスペースがありました。プールもなかったのではないかと思います。
朝鮮語の授業があり、日本の学校と同じ分量で日本語の授業もあります。なので、トータルの授業時間は多くなります。そして、この学校の全生徒は漢検を受けます。また、かつては東京都立の朝鮮学校があったことも、ここに来たおかげで知ることができました。
参加者は5人ほどのグループに分かれ、準備会の方々らがガイドとなり、2歳児クラスから6年生の教室までを、すべて順に案内・説明してくださいました。
最初は、2歳児クラスです。
暖かな陽の射す教室で、絵本「さつまのおいも」の読み聞かせをしていました。
今から20年も前ですが、僕は世田谷区の保育園でアルバイトをしていました。あの頃の子供たちを、瞬時に思い出しました。
当時すでに紙おむつが主流でしたが、世田谷区では当時布おむつを使っていました。うんちをしたら、僕ら補助係が、それをきれいにします。楽しかったですよ、偽善で言ってるんじゃありません。
お父さんにはなつかないのに、僕にはなついてくれた子がいました。
またある子は、帰り道が一緒になり、「先生うちに上がって一緒に遊んでちょうだい!」と言ってくれ、お母さんまでぜひと言ってくださった、でも申し訳ないのでその日はバイバイなんてことも。
周りに手を挙げてしまう子がいました。長い時間ハグをしたら、その後だんだん手を挙げなくなっていきました。その子がある日、保育園の門前を走る自転車にぶつかり、すぐに駆けつけたこと、お母さんが泣いて喜んでくださったこともありました。
₍このくだり、僕の単なる自慢と読めちゃうな。ごめんなさい。そうじゃないんですよ。おそらくこのよーな職業は、こーした充足感が多々あるものだとゆーことです₎
あの時の子供たちも、もう大人になってるんだな、目の前のこの子たちもやがて大人になるんだ、そんなことが浮かんできます。僕は、涙が止まらなくなってしまいました。もう、おっさんの涙は、350ミリリットルほどもあったでしょうか。
僕の中の父性や母性が、顔を出したのかも知れません。子供の笑顔や歌声は、無条件に涙腺をゆるませることがあります。加えて、保育園で働いていたころの思い出。この子たちだけではなく、いらっしゃる先生にも、思い出が生まれていくわけです。さらに加えて、この子たちには、何の罪もありません。どこの国に生まれて来たのか、国籍はどこなのか、そんなことは知る由もありません。
暖かな日差し。肌の色も顔つきも、まったく、まったくまったくまったく、僕や僕の子供たちと変わりないんです。でも、この子たちのほとんどが、そんなに遠くないうちに、いじめや差別、ヘイトスピーチや暴力を受けることとなる。僕の涙には、そんな意味合いもありました。
この子たちが、ひどい目に遭っていいわけがない。あっていいわけがない。いいわけがない。笑顔はこのまま維持されるべきだ。笑顔バンザイ。笑顔賛成。笑顔継続。
朝鮮や韓国、中国や東南アジア諸国を蔑視する人が減らないと仮に想定しても、この子たちを守る人を増やすことは可能なんじゃねえか。僕のようなおっさんを増やすことは、できるんじゃねえか。
僕がティーンエイジャーを過ごした80年代っつーのは、YMOがワールドツアーを成功させ、坂本龍一さんがアメリカ・アカデミー賞最優秀作曲賞を受賞した時代。僕らは何人でもない、日本人でもない、コスモポリタン₍世界市民₎である。それが暗黙の合言葉でした。世界中の人と音楽や映画を作り、世界中の人と恋に堕ち、世界中を闊歩する。僕らにとって差別はダサいものであり、クレバーではないものでした。
公開授業の後、子供たちによる合唱・舞踊・太鼓の演奏などが披露されました。小さな学芸会のようです。ハモりもばっちり!この日のために、一生懸命練習してくれたのでしょう。ひょっとしたら妨害する悪いオトナが乱入するかも知れない、そうなっても歌い続けた方がいのかな、逃げた方がいいのかな、本来ならば考えなくてもいいことが、たくさん頭をよぎったことでしょう。
戦後まもなく開校したこの学校ですが、公開授業は初めてなんですって。準備会を開き、親御さんたちを説得し、安全を確保する。そこまでリスクをしょってでも、僕ら日本人に、朝鮮学校がどんなところなのか、どのような授業をしているのか、伝えようと奮闘されたのだと思います。
学校によって変わりますが、この学校では、2~3日前に連絡をすれば、いつでも授業見学などがオッケーだそうですよ。
今の僕らの国や都道府県・市区町村が、どれだけ朝鮮学校に補助金を出しているのか?難しいことって、調べないと分からないです。でも、校庭がどのくらいの広さなの?体育館やプールや図書室がないんだって?ということは、コミュニケーションを交わせば分かることなんですね。
じゃあ、日本の学校に通えばいいじゃない?という意見もあるでしょう。
ただねえ…僕が父ちゃんだったらねえ…今のいじめは深刻だからねえ…。
日本人同士のいじめでさえ、学校や教育委員会が何もしてくれないこと、多いでしょ?自殺にまで追い込まれるでしょ?
ましてや、日本人じゃないということでいじめを受けたら。
加えて、自分の両親や祖父母が使っていた朝鮮語を勉強してほしいなあ、昔の朝鮮の文化を学んでほしいなあとかって、ごく当然の考え方です。海外にいる日本人が、日本人学校に通うか、インターナショナルスクールに通うか、その国の地元の学校に通うか。選ぶ権利は、その人にあるんです。
国や自治体に補助金を要求することも大事なんだけれども、子供たちはどんどん大きくなっていきますよね。時間がないんだなあ。であれば僕らが、ちょびっとだけでいいから、できることをすればいいんじゃねえか。
いや、授業見学へ行くだけで、まったくもって素晴らしいです。ぜひ、行ってみてください。熊本へ行ってらーめん楽しむみたいに、気仙沼へ行ってお寿司を頬張るみたいに、異文化と接するって楽しいことなんです、本来。学術的なデータとして、海外に行ったことのない人ほど、差別的な考えを持つという発表もありますしね。
涙、1800ミリリットルです。かなりの、量です。鏡月の一升分。お伺いできて、本当によかったです。
なんとなんと、続きがあります。
「ダイロクでおしゃべり 第1回」をどうぞお読み下さい…。
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