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キャマダの、ジデン。50 都立新宿高校の思い出
鎌田浩宮・著
自伝、
記念すべき50話目は、
先日とある誌面で
ボツになった原稿を
こちらに転載しますね。
高校在学当時の僕は、自我の形成過程にある思春期の真っただ中。自意識過剰ぶりはひどく、全ての物事を疑えという信念で日々を生きており、おかげで友達は数えるほどしかいない始末。トホホな少年でした。
自意識過剰に加え、小中学校時代の悪ガキ共と常につるんでいた僕にとって、いわゆるエリート進学校である新宿高校は、当時の僕をいらだたせ、居心地の悪い空間でした。
サッカー部部員が早朝練習の際に体調が悪化し急死されるという非常に悲しいことがあった、その日のホームルーム。担任の先生がそのことについて説明をしていた時、クラスメートの1人は出来事に心痛めることなく話も聞かず、1時間目の小テストに備え、隠れて予習をしていました。
こんな奴が一流大学へ行き、一流企業へ入社し、成功者としてのジンセーを歩むのだと、僕はそいつに殴り掛からんほどに立腹しました。その感情は今でも間違っていないと思っています。
生徒の無気力無関心ぶりも目立ちました。毎週月曜の朝礼の際、壇上の先生の話を聞く者はおらず、私語の多さに先生も立腹していました。4月、他の学校へ転任する先生が、お別れの挨拶をされていた際も状況は変わらず、僕は思わず壇上に立ち「先生がどれだけ寂しい思いでここを離れていくのかも分からないのか!」と激高したことがあります。
生徒会が主催する生徒総会でも、生徒会役員が発表する事柄を聞いている者はいませんでした。役員が夜遅くまで一生懸命作った総会資料を、皆が丸めて体育館に捨てて帰っていきます。ゴミとなった山のような資料を清掃するのも役員でした。彼らはどんな辛い気持ちで掃除をしていた事でしょう。僕はまた立腹しゴミ箱を蹴飛ばし「掃除は捨てていった生徒にさせろ」と叫びました。
朝陽祭の盛り上がらなさも、この現状を示していました。年齢的にも文化的にも最も成熟している3年生が、受験勉強を理由に参加を免除されていました。つまりこの期間は学校にも来なくていいのです。こんなバカげたくだらねえ制度、今でもやっているのかな?
1・2年生しか参加しない文化祭は、とても貧弱でした。各クラスの出し物は、お化け屋敷や焼きそばの模擬店など準備に数日しかかからない安易なものばかり。これがエリート校の情けない実態でした。
ただ、この現状に満足せず青春の日々を燃焼させたいと、有志が数十人も集まって毎年ミュージカルを上演しました。彼らが自身で脚本を書き、オリジナルの振付をし、汗だくになって演じるこの伝統は何年も続きました。素晴らしい事でした。さらにはその情熱を持ち続け、大学へ行かず演劇の道に進む者もいました。48歳になった今もなお、経済的に安定しない生活を送りながらも俳優を続ける同級生には誇りを感じます。
朝陽祭や体育祭、戸山戦の後は、皆で打ち上げに行きました。学ランの標準服のままで居酒屋へ入り、ゲロを吐くまで呑みました。警察へ通報もされずマスコミも騒がない、いい時代でした。大人が子供の何を守ってあげるべきか、その本質が分かっていた時代でした。
僕は、もっと同級生とコミュニケーションを取る努力をするべきでした。どうしてこの3年間を無気力無関心で過ごすのか。辛い大学受験勉強やその先の就職戦争へ備えての、ホテルでの休憩時間のように過ごすのか。それらを上からものを言うのではなく、同級生の心情を察し、共に考え時には笑い合い慰め合い、共に動くべきでした。
ただ、そんな僕と友達になってくれた同級生は、当時わずかながらいました。彼らとの友情は厚く、あれから数十年も経っちまい、おっさんになった現在もなお頻繁に連絡を取り合い、語り合い悩みを打ち明け、酒を酌み交わす最高の仲間です。
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