- 2023.01.04:弐千弐十参年乃御挨拶似候
- 2022.01.01:弐千弐十弐年乃御挨拶似候
- 2021.07.12:だいろくへ、お贈りしました4
- 2021.06.23:アグネス/agnes
- 2021.02.09:reach out I’ll be there take 2
- 2021.01.01:弐千弐拾壱年乃御挨拶似候
- 2020.12.24:浪子心声
- 2020.11.29:だいろくへ、お贈りしました3
- 2020.10.23:だいろくへ、お贈りしました2
- 2020.08.31:だいろくへ、お贈りしました
サブ・コンテンツ
- 2023.03.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑦
- 2023.03.04:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑥
- 2023.02.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑤
- 2023.02.25:[Radio] walkin’ to the beat everlasting④
- 2023.02.19:[Radio] walkin’ to the beat everlasting③
キャマダの、ジデン。㊿高校に馴染めない
鎌田浩宮・著
先日、たまたま母校・都立新宿高校の前を通りがかった。
正門に掲示版があり、A4かB4かA3くらいの小さな紙ではあったが、前年度の3年生がどの大学に何名進学したか、表が貼ってあった。
その上には、カラー印刷による学校案内パンフレットのような物も貼ってあり、きめ細かい教師陣による進学がどうのこうのと記されていた。
どうでもいい話だが、僕らの頃と偏差値は変わっていないようで、東大は0人、京大は1人と表にあり、エリート校であることを誇示していた。
これもどうでもいい話だが、坂本龍一さんがいた頃なら、早慶でも落ちこぼれが進む大学だった。
東大に数十人進学するだのなんだのといった方が本命の高校だった。
http://www.shinjuku-h.metro.tokyo.jp/cms/html/top/main/index.html
こんなもんを貼り出して、教師や生徒の連中、恥ずかしくないのか。
これが私立の高校なら、分からないでも、ない。
偏差値の高い大学への進学は、その高校の宣伝になる。
より多くの優秀な生徒を我が高校へ入学させ、利潤を追求する訳だ。
でも、ここ、公立高校だろ?
僕らの血税で成り立っているんだから、利潤を追求する必要性は、全くない。
そもそも学校というもの自体が、いかに偏差値の高い人材を育成するかを目標にすべきじゃあない事は、誰でも分かっている事だ。
あたりき、しゃりきだ。
かと言って、ジミントーのように、学校とはいかに人格の良好な子供を育成する機関だ、とキモちの悪い事を言う気も、さらさら、ない。
良好な人格に、基準なんぞ、ない。
さらに言えば、体制の定める良好な人格なんぞ、ろくなもんじゃない。
はっきり言っちゃえば、高校というものは、目標なんぞ持たなくって、いい。
学びたい事を学ばせる、それだけで、いい。
そういう考えに至るのは、1年生の時に古文を担当してくれた、窪谷先生の影響が、とても強い。
ある時、現代国語の期末テストを、窪谷先生が作成した。
当時、雑誌「ビックリハウス」内「ヘンタイよいこ新聞」や、NHK教育テレビ「YOU」、そして何と言っても「不思議、大好き。」「おいしい生活。」で僕のようなサブカル少年をぐわんぐわん言わせていた糸井重里のエッセイを全文掲載し、そこから出題するという画期的なテスト内容に、びっくりしてしまった。
対する窪谷先生は、思春期真っ盛りの自意識過剰、同級生を、教師を、社会の全てを疑い斜に構えていた僕を何かにつけ批判し続け、なかなかまともに相手にしてくれなかったのだけれども。
その窪谷先生の、高校生に対する認識というのが、素晴らしかったのだ。
15歳と言えば、もう働いている者もいる、もう大人と同等なのだ、なので自分と同等の大人として接するし、人格なんぞを教育するつもりはない、そんなものは自分で形成すべき年齢だ、というのが持論だったのだ。
高校の教師というものは、担当する科目だけを淡々と教えていればいい、という姿勢だったのだ。
僕にとって、数少ない、信頼できる大人だった。
窪谷先生が、今のこれ見よがしに進学表を張り出す新宿高校を見たら、どう思うだろう?
自分自身でじっくり考え、大学の理念に共感したり、学びたい専門学科があったり、教えを請いたい教授がいたり、その上で進学するか就職するかを決めるのがベターであり、偏差値の高さだけで大学を決めるべきであるような錯覚をもたらすこんな張り紙は、引きちぎってゴミ箱に投げ捨てたんではないだろうか。
僕が在学中の頃も、進学をメインに考える空気は、あった。
1年生の頃から、化学の教師が大学受験に備えるべく特別補講をし、出席しないと呼び出しをしたりして、ただでさえ社会に馴染めない僕の学校嫌い、ドロップアウトは、がしがし進んでいくんであった。
坂本さん達が築き上げた自由と自治は、どこに行ったんだろう?
いや、確かに自由だ。
制服はないし、髪型だって自由だ。
でも今、仲井戸CHABO麗市さんの少年時代の話を読むと、分かる。
エリート校に進学するも、馴染めずに、外れてっちまう…チャボに自分をだぶらせるだなんておこがましいんだけれど、あんなに憧れていた新宿高校と、現実は違った…。
まあ、僕のような思春期ど真ん中自意識過剰ヤローは、どんなに理想的な学校へ行こうとも、外れちまっていたんだろうけれど…。
入学と同時に、家計を支えるために新聞配達を始め、授業中は眠くて仕方ない。
浮気し女の所へ行った父が、完全に家を空けて1年が経とうとしていた。
母は、昼も夜も働いていた。
中学までがっぷり四つにつるんでいた親友達は、皆他の高校へ進んでいた。
つづく・・・
2016.02.09