緊急連載「有志連合と協力して」㉓

文・鎌田浩宮

ぼくは、ここにいる。
どうか、愛してほしい。
どうか、受け入れてほしい。

 

「ダイヤモンドより平和がほしい ‐子ども兵士・ムリアの告白」を読み終えました。
全106ページ、2005年に発行されたこの本を、最寄りの区立図書館で借りました。
この本も含め、後藤さんの著書は、全て図書館で借りることができます。
皆さんも、図書館で借りて読んでみてはいかがでしょうか?

彼の本が、なぜ図書館に多いか?
子どもでも読める内容になっているからだと思います。
文字は大きく、難しい漢字にはカナが振ってあります。
文体は、です・ます調で、読みやすいのです。

 

後藤さんが
いなければ、
子ども兵士
なんて、
知らなかった。

 

この本の舞台は、西アフリカのシエラレオネという、聞いたこともなかった国です。
平均寿命が世界で最も短い国、として有名なんだそうです。
女性が35.7歳、男性が35.4歳(2002年現在)です。

質の高いダイヤモンドの産地で有名なシエラレオネ。
でも、その利益は国民にはもたらされず、内戦での武器に使われました。

大人だけではなく、子どもが兵士にされました。
反政府軍が、時には親を殺すなどして、子どもを誘拐するんです。
10歳から16歳の子どもが、5000人ほど兵士にされました。
なんと恐ろしいことでしょう。
そして、眼の下などにナイフで傷をつけ、そこに麻薬を擦り込み、子どもの感情を麻痺させます。
麻薬中毒になった子どもたちは兵士として訓練を受けます。
拒否して脱走すれば、殺されます。
上官の命令を拒み敵を殺さなければ、殺されます。
殺すか殺されるかの生活なのです。

なぜ、子ども兵士か?
巨大兵器を使わず銃による戦闘が中心なので、ジャングルの中などで敏しょう性の高い子どもが必要になるのです。
さらには、子どもは疑われないので、スパイにもなれるし、敵地への潜入も容易です。

こうして子ども兵士は、沢山の人の腕や足や耳を切断し、時には殺しました。

後藤さんは、最初に手足を奪われた人々が住むキャンプへ行き、その後、反政府軍から、兵士だった子どもたちを保護している施設を訪問します。
子どもたちはここで、衣食住を与えられ、まず麻薬中毒を治療し、リラックスできる当たり前の生活を与え馴染ませ、希望する子には学校へ通わせたり、職業訓練へ通わせたりしています。

 

彼の
取材対象は
この広い世界で
たった
1人。

 

後藤さんは、その中で15歳の元子ども兵士、ムリア君を取材します。
これまで後藤さんの本を全て読んできましたが、彼は複数の人を広く浅く取材するのではありません。
必ず、この人と決めた人1人に、細く深く、その人の心の傷を広げないよう慎重に、互いの心を打ち溶かせながら、友情を作りながら取材をしていきます。

複数の人にまとめて取材をすれば、限られた短期間でかなりの情報や証言が集まります。
ドキュメンタリーを映画やテレビで観る際も、そうした手段で創られたものが多いです。
しかし、後藤さんは、1人に的を絞るのです。
その方が、深い交流ができるという思いがあったのではないでしょうか。
今では、彼にそれを尋ねる事はできませんが…。

僕も福島の被災地のドキュメンタリー映画「鎌田浩宮 福島・相馬に行く」を制作した時に、様々な住民にインタビューをするのではなく、1つの家庭に的を絞り、その家庭と寝食を共にし、深く友情を結ぶ事で何かを得ようとしました。

人の心の奥深くに入っていく事は、簡単ではありません。
思い出したくない事を思い出させ、心にふたをしていたことを話させます。
双方に、忍耐と時間が必要とされます。
複数に広く浅くでは、そこまで辿り着かないのです。

 

子ども兵士に
腕を切り落とされた
大人は
彼を
許すのか。

 

ムリア君は、誰よりも真面目に学校で勉強をしていました。
教会にも、通っていました。
人を殺していた頃は、思い出したくない。
でも、思い出してしまう。
そして戦争では、何も悪いことをしていない自分の家族も殺された。
ムリア君は、自分の家族を殺した人を許すと言います。
戦争は、皆が悲しい思いをし、傷つく、その事を誰かのせいにする事はできないからだ、と言います。

一方、キャンプの被害者は、言います。
「彼らはまだ幼い子どもだ。俺は彼を責めない。俺たちは何よりもこの国に平和がほしいんだ。彼らを許さなきゃいけない。でも、絶対に忘れる事はできない。朝起きると、どうしてもこの切られた腕を見てしまうからだ」

この本のテーマは、許す事だと思いました。
ムリア君の場合は、教会から学んだ事も多いようです。
「今、僕は人を殺すのは絶対にいけない事だと思う。だって、彼らを創ったのは僕らを創ってくれた神様なんだ。同じ人間なんだ。神様が創った人を、人が殺してはいけない」
そして照れくさそうに、しかし決心したように言います。
「この国から戦争をなくして、平和にしたい。この国の大統領になりたいんだ」

被害者も加害者もないような状況下で、互いが全てを許すのです。
僕自身は無宗教ですが、宗教が心を救う一場面ですね。

 

死刑。
許し。

 

例えば、日本には死刑制度があります。
残忍な事をした人は、死刑になります。
被害者の復讐したい思いを、国家が代行するという役割もあります。
もう、その人は更生しない、更生させる必要もない、という烙印を押します。
残された加害者の家族の心情は、決して顧みる事をされません。

先日、僕の近しい人が誤認逮捕され、2週間も不当拘留を受けました。
無罪が証明され、今は釈放されています。
この経験の前までは、僕も死刑制度に賛成でした。
全く反省をしない人殺しは、復讐の代行として殺されるべきだと思っていました。
しかし仮に、この近しい人が実は有罪で、死刑に値すると裁かれた時、僕は身を引きちぎられるような思いに押しつぶされるだろうという事が、皮膚感覚で分かりました。
この近しい人は、冤罪だろうと悔い改めようと、問答無用で国家により殺されるのだけは許してほしい。
そう、許しです。
許しを、乞いたいのです。

僕はようやく、大好きな忌野清志郎「恩赦」という曲の真意を知った気がしました。

報復は、報復しか、生まない。
これからも、後藤さんの志を、継いでいきましょう。

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エプスタインズでは、様々な人から原稿を取り寄せ、2月2日から集中連載をしています。
連日更新が途切れないよう、皆さんよろしくお願いしますね。
後藤さんの殺害が安倍政権により、憲法9条改悪に利用されてしまう、大変な時です。


2015.04.15