第十九夜:「ガンとは何者なのか?」

diary_00

けい子です。
親友のお母様が亡くなった為、東京へ戻っておりました。
葬儀の場で久しぶりに再会した親友の彼女は酷くやつれていました。
お母様は「ガン」でした。
少し体調が優れないからと病院に行って検査をし、
ガンと発覚してから、たった一年ちょっとでの出来事でした。
 
私もまた小さい頃からよく彼女のお母様には面倒を見てもらいました。
ガンと分かってすぐ、私は彼女から聞かされました。
いつもなら私よりも数倍強気でちゃきちゃきの彼女が、
その時だけは声を震わせて、狼狽えていたのを覚えています。
私はその時、何と言って彼女を支えようとしたのか。
残念ながら胸を張れるものではなかったように思います。
 
 
私の叔母も今から五年前にガンで亡くなりました。
千葉に住む男友達のお父様も、彼が学生の頃にガンで亡くなられました。
当館で働く仲居達の親族、長年お越し下さったお客様の中にも、
ガンで亡くなられた方がいます。
私が子供だった頃よりも、明らかに身の回りの方々が
ガンで亡くなられているように思います。
それは私が幼かったから、気づいていなかったから、だけでしょうか?
私にはそうは思えません。
 
「ガン」とは一体何者なのでしょうか?
死に至る病にはガンよりも過酷なものもあるでしょう。
しかし、ガンの発生件数や進行速度には異常なものを感じます。
ガンは当事者だけでなく、家族、親族をも苦しめます。
ガンは人の尊厳を、希望を、歴史を、奪うともいいます。
ガンは、病を創った神様は、人間の何を試しているのでしょうか?
私は未熟者ですから、まだその一端すら掴めておりません。
永遠に分からないかもしれません。
 
年間30万人の方が「ガン」で亡くなるそうです。
それとは反対に、自ら命を捨てる「自殺」は、
完全に自殺と確定されたものだけで3万人だそうです。
確定できず、変死や行方不明と判断されたものを含めれば、
実態は10~20万人とも言われているそうです。
私はこの数字に意味を見出す事はしませんが、
「死」は私たちが思っている以上に、傍らにあるんだと思います。
そして、すこしだけ、憤りも感じます。
 
 
葬儀後、親友と話す事ができました。
彼女はお母様がガンと分かってから、亡くなるまでの経緯を
私に語ってくれました。
必ず治ると家族一同で信じ、お母様にはガンである事を伝えたそうで、
それからはカラダに良いモノを聞けばすぐに取り寄せ、
カラダに良い場所を知れば、出来る限り連れていき、
母がやりたい事あればなんでもやらせたのだという事でした。
短い時間でしたが、本当に充実したお母様との日々だったと、
彼女は気丈に笑ってみせました。
 
「お母さん、自分のお腹もポッコリして、顔色も全然悪いのに、
 わたしの心配ばっかりするんだ。 わかったわかったって言うと、
 今度は旦那と娘の心配しだして・・・。
 一回も弱音を言わなかったよお母さん。 本当につよいよ・・・」
 
話を聞きながら、病室での彼女とお母様を想像して私は泣きました。
何かは、生まれていたのかもしれません。
お母様は確実に、ガンを越え、残されていったのだと思います。
 
 
幸福とは、眼前に不幸を見据える事で
               真に手に入るものなのかもしれません。
希望とは、自身を励ます多くの人間の言葉や温かさから
                 初めて生まれるものなのかもしれません。
 
 
まだまだ解らないこの世の摂理の中、どう歩んでいきましょうか。
それも、これも、わたし次第です。
 
 
 
 
 
 
 

2010.12.15