第九十夜 :「あなたは知らない世界」

皆様、お盆をどのようにお過ごしでしょうか?
家族で集まり、御先祖を敬う事、とても大事な事と私は感じます。
そして今日は終戦記念日。
日本での戦争はなくとも、あの日以降も世界では戦争は起こっています。
ただ日本国内の平和を喜ぶだけの日にはすべきではないのでしょう。
形を変えた、平和を壊すものはまだまだあるのですから。
どうか、より良いお盆と終戦記念日をお過ごし下さいませ。
 
 
 
さてさて、この駄文日記も第百夜で終わりを告げます。
そして今宵は百夜まで残り十夜となる、第九十夜。 あと十夜。
今日は少しだけ怖く、少しだけ物悲しい話を
端的に、端的にお話しましょう・・・。
 
 
 
 
 
 
昨日、厨房前を通りかかると、いつも地の野菜を入れてくれている
斉藤のおじさん(仮)が顔を青くしながら、板場の人間と話していました。
なんでも、飼っていた子牛の一匹が突如いなくなったのだそうです。
前日の夕方まで小屋でいい子にしてたのに、斉藤おじさんが会合から
帰ってきた夜には子牛は何処にも居なくなっていたそうです・・・。
居なくなっていたのはその子牛だけ・・・。
外れた首輪がぽつんと地面に転がっていたそうです・・・。
 
キタッーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
 
私はそれまで蓄えてきた知識を紐解く瞬間!と閃き、
厨房に突入し、指をさして叫びました!
 
 
 
「キャ、キャ、キャトルミューティレーションだっ!!!」
 
 
 
皆は一瞬振り向きましたが、私は、綺麗に、無視されました・・・。
 
 
 
 
 
 
如何でしたか? 端的でわかりやすい恐怖話でしたね。
結局、子牛の件は後日判明しました。
斉藤おじさんの息子さんが、調子の悪くなった子牛を
知り合いの動物専門のお医者さんに診せに行ってただけの事でした。
 
つか、そんな事もうどうでもいいんだお・・・
つか、なんで無視すんだよお・・・
お前らが知らない知識を披露してやったんだぞお・・・
牛の失踪っつったら大体そうだろうよお・・・
こっち(オカルト)の世界じゃ常識だお・・・
無視すんなお・・・仲間に入れてお・・・
どうでもいい日記とかゆうなよお・・・すごく悲しかったんだお・・
あと、キャトルミューティレーションの事知りたければ
勝手にググればいいじゃんよお・・・そうしてよお・・・もお・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2012.08.15

第八十九夜:「アキラメナイヨ」

ご無沙汰しております、けい子です。
EPSTEIN’S、2周年おめでとうございます!
早いものですね。 私もここで二年も書いている事になるのですね。
ここ最近は日記をお休みしておりましたが、
それは編集長の鎌田様より、暫く2周年特集が続くので
お前さまもたまには休みなさいな、という事でありました。
とはいえ夏休みシーズン。 わたしにお休みなぞありませぬ編集長…。
そして写真は私じゃないし… いいなあ、美人さんは…
 
 
 
ロンドンオリンピックの盛り上がりにも忙しくて付いてけてません。
時折ロビーを通り過ぎ、テレビからの歓声で「おお!」となったり、
仕事が終わった夜深い頃にテレビを観て「おおおお!」となったり。
その程度なんです。 ネットニュースで大体は把握してますが。
しかし! 日本選手、本当に偉い! 頑張ってる! 光ってる!
昨年の大震災以降、私自身、心の何処かでスカッ!と喜ぶ事は
控えていたというか、喜べる事柄、解放の場を
見つけられずにいたようにも想います。
でも様々な競技で活躍する彼ら、彼女らを見ていると、
日本人の底力を見せられているようにも想え、目頭が熱くなりました。
私も歳を取ったのだと思います。
 
 
少しロンドンオリンピックに隠れてしまっていますが、
各地での反原発デモも活発なようです。 本当に凄い事です。
様々な嘘や隠蔽、情報操作が次々と表に出てくる昨今を見るに、
原発推進の理由がぽろぽろと零れ落ちていっているようにも思えます。
ここでも闘っている人が沢山いる。 今じゃない、未来の為に。
私もまた、できる事をしていきたいと思います。
 
 
 
 
なんだかマジメな感じになっちゃいました。
ま、基本マジメなんですよ私?
え?・・・え?・・・あまり賛同が得られない?(笑)
息子は中学生になっても、何にも変わらず遊びまわっています。
それを心配すべきか、放っておくべきか、
それとも一緒に遊んでしまうか、考え中な私ですからね(苦笑)
周囲何メートルくらいしか知覚も反応もできない、か弱い私達ですが、
それでも、もう少しだけ、視野と心を拡げていきたいものです。
そしたら、もちょっと、世界は動きます。 たぶん、そうです。
あ~暑い~! 冷麺たべたーい!
お腹いっぱいになったら世界が平和になあれ!
 
 
 
 

たった一つのロウソクなどと考えてはなりません。
すべての人が自分のロウソクに火を灯せば、
真っ暗な夜を明るい昼に変えることができるのです。
 
オグ・マンディーノ
 
 
 
 
 
 
 
 

2012.08.08

第八十八夜:「コズミック・ブルースを歌う」

暑いですねえ・・・
ナツがアツいですねえ・・・
脳みそもダジャレに切り替えれないほど暑さに負けてます・・・
それでもお仕事は毎日つづきます。
皆様も日々に疲れたら是非当館へお越し下さいませ。
あ、こっち公式サイトじゃなかった(笑)
 
 
先日、社員と共にストレス解消としてカラオケに行きました!
昔からいる社員は知っていますが、新しいスタッフは
私の歌声に驚きます。
「けい子さん、歌えたんですね・・」
失礼にも程がある。マイクで数回殴りたくなる。
今や信州で第二、いや第三くらいの人生を送っておりますが、
こんな私でも過去はあるのです。音楽と少しだけ暮らした日々が。
 
 
 
 
私は音楽が好きでした。
小学校に入って通わされたピアノ教室。
ピアノは嫌いじゃなかったのに、その時の先生がだいっ嫌いで
通うのが本当にイヤでした。
「なんでできないの!?」が口癖の先生、顔はいつも般若でした。
でもフリフリの服着てて。
ピンクフリルな般若のせいで、せっかく芽吹いた音楽への興味や
音楽を純粋に楽しもうとする心を真っ先に奪われました。
今でも恨んでいます。
それでもピアノもクラシックもジャズも好きだったので、
小学生の頃は聞く専門、時折趣味レベルで弾いたりするくらいでした。
もう音楽は私と共に歩くものではないと想っていました。
 
 
それが中学に上がった頃、純朴で愛らしかった私に稲光が!!!
学校の文化祭で二つ上の先輩がバンドをやっているのを見て、
コレだ!コレしかない!ギターだ!ギターだけが私の武器だ!
と思い、エレキギターを始めました。
ピアノをやっていたとはいえ、根本的には不器用な女、
血まみれになりながら毎晩練習したのを覚えています。
その女の先輩のバンドに入れてもらい、一から教えてもらいながら、
私の高校入学を期に、自分でバンドをやるようになり、
次第に音楽の方向はソフトめなロックから、
どんどんヘビーでノイジーになっていき、
でもメタルはダメだったからパンク側にシフトしていって・・・
大学での数年は音楽をやっていましたが、
かなりノイジーでイングランドなモヒカン女でした。
周りにはドン引かれてましたが、私は内心嬉しかったのです。
それが私の本性でしたから。
初めて裸になれた!と思えていました。
 
 
私はおとなしい顔をしています。小さい頃からそうでした。
おとなしい顔が本当にイヤでした。
みんなは「おとなしい子」「頭よさそう」「ピアノとか似合う」みたいに
勝手に私を決め付けていきました。
わたしゃ小公女セーラじゃないやい!
わたしゃ赤毛のアンになりたいのさ!
そんな怒りが私の中を充満していました。
そういつも怒っている事もずっとイヤでした。
あの頃だってピアノより野球がしたかったし。
クラシックも好きでしたが、じいちゃんが好きだったジャジーな
ピアノの方がカッコイイとさえ想っていました。
でもフリル般若はやらせてくれなかった。
「ジャズなんて」と言いました。
音楽だけでない、女の私は、一般常識の「女の子」像には
あの頃全く勝てなかったのです。勝つ方法も勿論知りませんでした。
だからバンド音楽を初めて見て、いつもはおとなしそうな先輩が
ハメを外して、叫んで、歌って、飛んで、幸せそうな笑顔が
私の鬱憤を打ち壊してくれるもののように映ったんだと思います。
私は見た目とは裏腹に頭は良くなかったし、見た目から要求される
キャラを演じ続ける事が限界だったから、余計にだったんでしょう。
だから、ある種の、パンク・カミングアウトでした(笑)
たまたま私の解放は音楽ででしたが、
もしもパンクな絵画系とかに触れてたら、
私は壁という壁に絵を描きまくっていたでしょうね。
そして警察にご厄介になっていたでしょうね(笑)
 
 
 
 
こんな詳細な話は板前のマサさんくらいしか知りません。
言えませんよね・・
今や「若女将」という、真逆な職種についている私。
でもね、想うとですよ。
真逆を知ってるから、より出来る事もあるのですよ。なんてね。
でもね、カラオケではジャニスくらいで止めてますよ?
私も丸くなったもんです。
それ以上の趣味側に行くと、スタッフが辞めてしまいそうで・・・。
ま、その時は裸一貫で、
パンキッシュなシューゲイザー女将としてやっていきます。
ある意味、世界には打って出られる旅館になるかしら?(笑)
でもそんな趣味のお客様しかこない旅館も
ヤダーーーーーーーー!!!!!
 
 
 
 
 
 
 
 

2012.07.19