EPSTEIN TALKS ABOUT FUTENMA#52「那覇市民との対話」

写真/構成・鎌田浩宮

普天間移設先
「沖縄と言っていない」
モンデール元駐日大使、
日本が決定と強調。

 

沖縄生まれ・那覇在住のヒジュルさん(会社員)から、メールが来た。
僕が、最近の辺野古の動きをどう見ているかを、尋ねたのだ。

ヒジュルとは、ウチナーグチで「冷たい」「冷徹な」という意味がある。
その通り、ヒジュルさんはこの問題を、熱くならずに語ってくれている。
僕がそれに返事を書き、しばしやり取りをした。

それでは以下、お読み下さい。

【ヒジュル】

お久しぶりですね~
元気にしておりますか?

国からの自治体の1000万ですね。

国も露骨で嫌らしいですな。
すんなり貰う自治体もえげつないのですが、自治体が貰うという事は、自治体は辺野古建設賛成なのかとも思えますね(少なくとも貰った自治体は)

今日はオナガ氏も指示の拒否を正式表明、という事でいよいよ裁判らしいですな。

辺野古は大変重要な事案なので文句は言えないのですが、辺野古以外の事は大丈夫なのかと、心配になりますね。

子供や次世代に基地や負の遺産を残さないべき、という事は理解できますが、仕事やお金がないと次世代自体の存在が危うくなるのでは、というのは言い過ぎでもないと思うのですが。

なんてね!

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【鎌田】

翁長知事についてですが、大田知事の時も
「基地問題ばかり力を入れて、交付金は減るし沖縄経済はどうなるんだ」
と批判されたんですよね。
それで、選挙に負けて稲嶺知事になった。

でも、それでうちなーが裕福になったのかな?とも思うんですよね。

長期的なヴィジョンで言えば、基地を減らして、その跡地に、北谷や那覇新都心のような街作りをした方が、あとあと絶対に経済は発展すると思うんですよね。

いかがでしょう…?

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【ヒジュル】

まさしく、その通りです。
その長期、というのが現状の問題だよね。

10年なのか、100年なのか。

100年先でもその指針はブレないのですが、そんな先まで普天間にあり続けて欲しくない、というのが本音です。

確かに、移転してしまうと根付きますから辺野古へは移設しない方が良いと思います。
国外に移転してくれれば最高です。

もっと、言えば(基地の必要が)無くなってくれればもっと良いでしょうね。

でも、それだといつになるのか誰にも判らない状況ですよね。

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【鎌田】

確かにその通り!
普天間基地があと100年もあり続けるだなんて
考えただけでも怒り狂います。

そこで思考停止になってしまいそうだったんですが…こんな記事を見かけました。
琉球新報ですね。
普天間の移設先は沖縄県内に、と言ったのは、アメリカではなく日本だったという事です。

普天間移設先「沖縄と言っていない」
モンデール元駐日大使、日本が決定と強調

【ワシントン=問山栄恵本紙特派員】1995年の米海兵隊員による少女乱暴事件当時に駐日米大使を務め、翌96年に当時の橋本龍太郎首相とともに普天間飛行場返還の日米合意を発表したウォルター・モンデール氏(元副大統領)が事件から20年の節目を迎えたことを機に、琉球新報のインタビューに7日までに応じた。モンデール氏は米軍普天間飛行場の移設先について「われわれは沖縄とは言っていない」と述べた上で「基地をどこに配置するのかを決めるのは日本政府でなければならない」との考えを示し、移設先は日本側による決定であることを強調した。名護市辺野古移設計画については「日本政府が別の場所に配置すると決めれば、私たちの政府はそれを受け入れるだろう」と述べ、米政府が計画見直しに柔軟な姿勢を取る可能性にも言及した。

また、少女乱暴事件に対する県民の大きな反発を受け、在沖米軍や日米安全保障条約の存続問題へと議論が発展したことを説明し、しかし日本側が沖縄からの米軍撤退を望まなかったこともあらためて明らかにした。
モンデール氏は少女乱暴事件について「身の毛のよだつような残酷なことで、少女に申し訳ない気持ちになった」と述べ「大衆の怒りが爆発した。デモの人たちが私のオフィス(駐日大使館)の外にもいたことを覚えている。私はとても取り乱した。本当に緊迫していた」と振り返った。その上で、「少女に起きたひどい出来事というだけでなく、日本との同盟条約を維持するかどうか、沖縄の人たちが米軍を周囲に置きたいかどうかの議論に変わっていった」と述べ、米政府が当時、在沖米軍の撤退を懸念していたことを明らかにした。
一方、米国務省系研究機関による退任後のインタビューで、当時日本側が「われわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と証言したことについては「日本政府や外務省で関わった人たちのことを引用したのは確かだ」と述べ、日本側が普天間飛行場をはじめとする沖縄の米軍基地駐留の継続を求めていたとの認識を示した。
県内移設の条件が付いた普天間飛行場の返還合意については「完全だったとは思わない」と振り返り、合意から19年たっても返還が実現していない現状に「こんなにも長い時間がかかるとは想像もしていなかった。当惑している」と述べた。
沖縄県が求める日米地位協定の抜本改定については「協定は米軍駐留の基礎だ。私たちがしたように、少しのルール変更は可能だ」と述べ、否定的な見解を示した。

(琉球新報2015年11月9日)


2015.11.18