福島県相馬市のダチからの便り 第13便

文・鎌田浩宮

杉ちゃんだぜぇ~。
こっちの杉ちゃんは、Gジャンの袖捨ててないぜぇ~。
ワイルドじゃないだろう?

3月末で、宮崎の農場で働くのが終了するはずの、僕の友人・杉本敏之。
先日電話をしたら驚いた。
「4月からは相馬に戻って、放射能の除染の仕事をするよ」

えっ!
危険じゃないのか。
期間は1年間。
その後の仕事の保証はないのだ。
日給は1万円という安さにも驚いた。
東京なら、普通の肉体労働でも稼げる金額だ。
依頼元は国か県だろうが、下請けの企業が相当差っ引いてないか?

その手に詳しい他の友人に言わせると、今や福島原発で働く人々も、日給8千円が相場だそうだ。
とにかく、仕事がないのをいいことに、足元を見られている。
腹立たしいし、そんな危険な仕事はやめろと言いたいが、ぐっと抑える。
彼がやっとありつけた仕事に、どうのこうの言える立場じゃない。
僕は恵まれた東京の人間なんだから。

除染の仕事はどうなったか心配で、4月8日(日)に電話をしてみた。

「除染じゃなくて、津波でやられた火力発電所の解体作業に回されたよ」
おおっ!
安心したと同時に、少し拍子抜けした。
しかしすぐに不安がよぎる。
場所はどこよ?
「福島県南相馬市。福島原発から30㎞圏内に入っている地域だよ」

やはりそうか。
しかも、先方の都合で仕事を替えられたのに、日給は9千円に下がったと言う。
オヤカタは、危険度が下がったとでも言うんだろう。

30㎞圏内というのは杉ちゃん曰く、小さい子供などを除き居住が認められている地域だが、彼の住む相馬市より原発に近いことは間違いない。

福島県・原町火力発電所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%BA%E7%81%AB%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80
同発電所は福島第一原子力発電所事故による緊急時避難準備区域内であり、復旧作業が進んでいなかったが2011年秋に緊急時避難準備区域が解除となりようやく復旧作業が開始した。
東北電力によると復旧は2013年夏頃の予定としていたが、2012年3月8日の会見で、復旧時期を2013年3月末頃に前倒しすることを検討すると発表した。
(ウィキペディアより)

「俺も含め、日本全国から作業員が集まっているよ。全員で3千人はいるかなあ」
すごい規模で解体してるんだなあ。
復旧を前倒ししたんだもんなあ。
「俺みたいな未経験者が雇ってもらって、邪魔にならないか、力になってないんじゃないかと思いながら働いてるよ」

安全確保のため昼休みの他に午前と午後に30分ずつ休憩があるのが、彼には新鮮みたい。
僕はかつて20代の食えない時期に色んな仕事をしたので、それが義務付けられているのを知っている。
それを無視する工場が多いのも知っているど。
30分は通常より長いはずだが、それほど報道や世間の目を気にしているんだろう。

でも、まだ除染の仕事の方がいいと思ってるって?
「そっちの方が日給もいいし、皆未経験者だから気兼ねもないし。福島の役に立っているという自負もあるしね」
今のところ、道路などを除染しているそうで、そして県内で除染作業が始まったことは、テレビのニュースでも報道されたそうだ。

話は、宮崎へ行く前の頃に移っていく。
震災で失職し、介護施設で働く資格を持っている彼がありついた福祉施設は、なんと月給が手取りで13万円。
働いてみたがやはり施設側ともめて辞めた。
その後、彼の後を追うようにほとんどの職員が辞めたそうだ。

その時の施設に対する悔しさ、自分の運命に対する悔しさから、相馬から逃げちまいたいと思ったこと。
そんな時にハローワークでのチラシで見た、南国・宮崎の鮮やかな写真。

宮崎へ旅立つ前の日、今回の除染・火力発電所解体などの元締めから、仕事がありますがやりませんか?と電話があったそうだ。
そう、その頃から既に、彼はそちらの募集にも応募していたのだ。
もっと早く電話が来ていれば、宮崎へ行くこともなく、おばあちゃんを看取ることもできたのにね。
人ひとりの人生が、こんなにして、どんどん変わっていく。

今回、宮崎の農場の社長は、残ってもっとやってくれないかと言ってくれたそうだ。
でも、県からの派遣である彼は土日の休みが義務付けられていて、一方以前から農場で働く人々は、繁忙期は土日も関係なく働く。
そりゃあそうだよね、農業には本来、土日もないもんね。

そうして仲間たちと溝ができて、契約の延長はしなかったんだと言う。

杉ちゃん、来週、相馬に行くよ。
亡くなったおばあちゃんに、お線香、お供えに。
放射能、怖いさ。
でも、行くさ。
「来てくれるの?親父もすごく喜んでるよ!」


2012.04.10