2001年7月23日(月) Selmasongs: Dancer In The Dark

現代における、ミュージカル映画とその音楽の蘇生論。

文・鎌田浩宮

20世紀に絶滅してしまったように見えるのは、
何も希少動物だけではなくて、
ミゼットプロレスだとか、
βサイズのヴィデオテープだとか、
ワード・プロセッサーだとか、
ミュージカル映画など、様々にある。

あれほど世界中に親しまれ量産され
僕の頬をも濡らしたミュージカル映画は、
「無くなるはずがない」
と思われながら、
(インド映画以外)ほとんど姿を消してしまった。

「ウエスト・サイド物語」
「雨に唄えば」
「マイ・フェア・レディ」
「サウンド・オブ・ミュージック」
挙げればきりがないその傑作達は
いまだに多くの観る者の頬を濡らす。
だが、新たに生産される商品としては
ミュージカルというジャンルは、
興行収入の見いだされない、
完全な不要物となってしまったのだ。

「子供の頃は皆で1つになって原っぱで
真っ暗になるまで遊んでたわけじゃない。
今だにそうありたいっていう願望は、
俺の中に在るんだよ。

だから、大人になってみたら、
辛くて嘘だらけの世の中だったわけだけど、
再び皆で心の底から1つになって
両手を広げ大通りを唄い踊ることができたら。
そんな幻なる想いを
ミュージカル映画は体現してくれるんだ。

そして、ミュージカル映画のような世の中にいつかなれたらなあ、
って、俺は密かに、本気で夢想したりするわけじゃん!」
と、かつて作家の橋本治は
テレビの対談で泣きなじゃくっていた。
(相手は、ヤバい宗教を辿る前の景山民夫だった)

もう、そんな幻想も、幻想の体現も、
あり得ないのかしら??

〜:*:・’★:*: :*:★’・:*:〜

ところがどっこいここ数年、
少しではあるが、ミュージカル映画が、
解体/再構築される形で制作されたんだから、
たまげた、嬉しかった。

1つはウッディ・アレンの
「世界中がアイ・ラヴ・ユー」。
もう1つは、ラース・フォン・トリアーの
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。
おいおい、何れもどのようにして、
ミュージカル映画を現在に甦らせたのだ?

「世界中がアイ・ラヴ・ユー」の場合は、お見事。
ウッディ、ジュリア・ロバーツ等、
歌も踊りもへったくそな役者陣が、
吹き替えなしで大真面目に、唄い、踊る。
そうして、かえってそのヘタウマな唄と踊りが、
かつてのミュージカルに存在し
現代にはそぐわなくなってしまった大仰さを見事に払拭し、
現在の鑑賞に堪えうるリアリティを奪還していたのだ。
ミュージカル映画を愛する僕は大いに満足して映画館を出た。
(ただ、全てオリジナルの楽曲でなかったのが残念!)

その年、故・淀川長治氏はこの映画を
「ミュージカルへのリスペクトが表現されている」
と、ベスト1に掲げていた。
さすが、どの評論家より分かっていた人だった!

さて、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は、
如何に、現代にそぐわない部分を
解体/再構築したのか。

…、これは驚いた。
希望に満ちたハッピーエンドがミュージカルの定石であり、
そのワザトラシさ、安易さが
現代とそぐわなくなったとするのであれば、
この映画は、絶望を描き、
絶望に満ちたエンディングを描ききったのだ。
ミュージカル映画に失われたリアリティを、
そうして奪還したのだ。

しかし、その奪還は僕には響かなかった。
映画としては失敗作に思えた。
ただ、ビョークの創ったこの映画のサウンドトラックは、
永遠に光り輝く鉱石のように眩しかった。

感情が溢れだして、自然と台詞が歌に転じていき、
オーケストラがその声に追従していくのがミュージカルの定石なら、
目の不自由な主人公セルマは、
身の回りのノイズが音楽に聞こえだし、
それに合わせて歌を歌い出すという
定石を逆手に取った素晴らしい設定。

だから、この映画の楽曲は、
それまでのミュージカルにかつてなかった、
工場の機械音や汽車の走る音等の、
機械のノイズのサンプリングによって構成されている。
楽曲のアレンジが、
ミュージカルというものを解体/再構築している。

しかし核となる、
時に楽しく、時に悲しいメロディーと、
後方で奏でられるオーケストレーションは、
決して前衛的ではなく、
あくまで美しく、
往年のミュージカルの音楽を
しっかりと継承したものになっている。

この、アバンギャルドとオーソドックスを
併せ備えたサウンドトラックは、
全編手持ちのデジタルカメラという現代的な手法を安易に導入し、
それでいて古典的な絶望観をテーマに描くことに執着した
トリアーの演出よりも雄弁に、この映画を語っている。

まるで、あの「バットマン」
(1作目のほう。2作目の「リターンズ」は傑作です)で、
ティム・バートン監督の過剰な演出よりも
プリンスの作曲したサウンドトラックの方が
軽やかに「バットマン」の世界を描いてしまったように、
監督の演出よりも、音楽の方がその映画の世界を
美しく豊かに表現できることがあるのだ。

要は、映画そのものを観るよりも、
家でこのCDを聴いている時の方が、
涙腺にガツンと来る。
こんなに力のあるメロディーを、最近、僕は、知らない。


2012.03.26