「パラサイト」でど突け 第1回

文/名無シー・鎌田浩宮
構成/鎌田浩宮

「パラサイト 半地下の家族」について
喋りたくてかなわない貧困隠居爺・鎌田浩宮が、
映画評論家・名無シーを無理くり引っ張り出し、
めしも喰わずに語り倒す。

連載第1回、始めます。
Wi-Fi盗んで、読みやがれ。

 

 

鎌田浩宮
ものすごく期待して楽しみにしていた「パラサイト」。冒頭からびっくりしたんです。音楽のつけ方がひどい。下世話。こってり味に、背脂マシマシを加えた感じ。でもって、トントン拍子すぎるくらい、一家が家族に寄生していく。次々に職へありつける。

音楽の下世話さ…思い出したのは、クドカンの「木更津キャッツアイ」でした。美意識というものがない。でも大好き、「木更津キャッツアイ」。

この辺りは、ポン監督の作戦なんだなと思いながら観ていました。寓話なんですよね。アメコミを徹底したリアリズムで描く「ダークナイト」に突破口を見た2008年以降のアメリカ映画は、その手法を突き詰め、現代社会の問題を描こうとしています。しかし僕らが渇望しているのは「ジョーカー」ではなく、その先を語る寓話だったのではないでしょうか?

 

 


それは「万引き家族」でもよかったし、「テルアビブ・オン・ファイア」でも十分だと思う。ただ、今回は「パラサイト」だった。アカデミー賞に関しては、ポン監督をハリウッドへ本格的に招きたいといった意向もあり「パラサイト」を賞候補に挙げたのではないか、という話も聞きました。

冒頭、都合よく4人が就職できて、間抜けすぎる理由でコトが相手家族にばれそうになり…こんな感じのドラマなら、日テレの10時か11時で放映してないか?などと思いながら、その後の展開を待っていました。

タイプの全く異なる作品ですが、「ブンミおじさんの森」を観た時、パルム・ドールを取った時に近い興奮があります。

新しい才能に出会った時は興奮するものですが、それがアジアだとさらに感慨深くなります。

 

編集部注:アピチャートポン・ウィーラセータクン監督。第63回カンヌ国際映画祭の審査委員長は、ティム・バートン。

 

名無シー
私はこの映画に少し穿った見方をしていました。と言うのも、日比谷の先行上映の際、監督、俳優陣それぞれのネタバレ厳禁前説映像がしつこいくらい入ったことで、先ず出資者の圧迫を感じました。ネタバレ云々の映画を作れという圧力です。

中身を見たときに着目したのはWi-Fi探しです。酸素の少な目な水の中にいる魚が苦しさから水面近くでパクパクやる姿の様な喘ぐ姿のようです。そして排水の関係で高い位置にあるトイレ。掃き出しならぬ掃き入れと言いたくなる窓からのアンダー・ジ・オズ アングルな景色。この三つは貧困をよく象徴していました。


そうそう。冒頭のWi-Fiで、世界中の観客が感情移入できました。画ひとつで、国を越えて共感できるって、すごいです。見事です。


それ以上に気になったのは、そう言う彼等の属性ではない水石です。あれは、物語の入口の様に突然、死に神か運命の神に似た、しかも一度しか現れない友人の手に載って現れました。

しかしその水石は、話がスラプスティクに落ちて行くに従い、それ以上にインパクトのある人物等の香盤表の枠に押し出されるように存在が掻き消されて行きました。

あのドラマツルギー的な破綻は何だったのでしょう。
私はうるさいくらいのスラプスティクに、資本家の声を聴いたと思いました。
結果、出資者に壊される映画のドキュメンタリーフィルムとして鑑賞する事となったのです。

 

 


カンヌは二年前パルム・ドゥオルにリューベン・オストルンドの「ザ・スクエア」を選んでいます。あれは、冗談にもいい映画だったとは思えませんでした。あれよりは勿論「パラサイト」はいい映画だと思いますが、自分なら最高点はつけないと思いました。

編集部注:第70回カンヌ国際映画祭の審査委員長は、ペドロ・アルモドバル。


ただ、ハンス=クリスティアン・シンクの巨大構造物写真に触発されたと思しき、護岸壁や階段の景色の中で、雨に打たれながら押しつぶされそうな豆粒のように配された家族達の姿は見事だと思えました。この映画の中で最高のショットのシーケンスだったと思います。

彼等には抗うことも出来ないような大きな物が、超越的な何かではなく、人間の作ったものなのです。ハンス=クリスティアン・シンクをあのように解釈していたことは、ポンさんの慧眼と思いました。

編集部注:ハンス=クリスティアン・シンクは1961年生まれの写真家。2013年には写真集『Tohoku』を刊行。

 

 


なぜ、アカデミー賞の話ではないのかとも、お思いかも知れませんが、恐らく、軽くお察しの通り、大艦巨砲主義に興味が無いからです。去年のベストに選んだ作品も、予算と作品の何かへの到達点が比例しない作品ばかりになりました。


なるほどなあ。よく分かります。僕は寓話と呼んだけれども、スラップスティックでもいいですよね。後半の展開が評価されていますが、強引だし、現実はもっと込み入っています。殺し合いに至らない現実こそが厄介であり、分断を引き起こしているもっと大きなものへ対峙せねばなりません。

僕はその強引さやでたらめさも含めて好きになってしまっているのでどうしようもないんですが、エプスタインズで連載を開始した野宿者(元映写技師)の嶋岡ひろしさんも、リアリティーが希薄で期待外れだったと言っていました。

 

 


非英語圏の作り手がアカデミー賞を制覇した「ラストエンペラー」も、ベルトルッチが兼ね備えていた芸術性をいったんよそに置いておいて、エンターテインメントとしてアメリカでヒットさせるんだ、役者もすべて英語で話し、カンヌでもベネチアでもベルリンでもなく、アメリカのアカデミー賞をかっさらうんだという意識が見えました。

僕は、両親の観ていた「ウエスト・サイド物語」に狂喜し、「スター・ウォーズ」をコヤで観た、エンターテインメントから映画に入っていった者なので、「ラスト・エンペラー」や「パラサイト」に肩入れしてしまうんですね。


その辺りはよく分かります。私の見方で行くと、映画業界というものは死んでしまいますからね。
むしろ、興味深いのは、アカデミー賞側の思惑です。何の積もりかなと言うそこは、未だ全然考えていませんが、興味があります。
神話になってしまって空騒ぎだけしている「ジョーカー」とか対抗馬の問題だったのかとか、諸々考えて見たいです。


実際、アメリカ国内で「パラサイト」はヒットしているのでしょうか?と思って調べてみると…アメリカ国内で一時は11位にランクイン。これはすごいですね。


カンヌが奏功したようですね。エンターテインメントではない部分もありながら、エンターテインメントとしての部分もあり、売り込みではそこを強調したことが大きいかも知れませんね。


そうですね。アメリカでは字幕上映だったのか、voice actorを使ったのか?字幕だけだとしたら、かなりの驚きです。


字幕だけだとしたら、アメリカの観客の質が激変中みたいなことになりそうですね。オフィシャルトレイラーは字幕ですね。

 

第2回に続く…



2020.02.12