緊急連載「有志連合と協力して」④

文・鎌田浩宮

ああ、
謝らない
ってことで、
意思統一
してるんだなあ。

 

最初に湯川さんが殺害された時から、後藤さんが殺され、今日に至るまで、安倍も、菅も、現地の副大臣も、様々な場面で言葉を発している。
痛恨だとか、なんとかの極みだとか、なんとかを禁じ得ないとか、罪を償わせるとか、国語辞典で難しい言葉でも探しながら喋っているかのような彼等。
「お二方の尊い命を救えなかった事に、心から謝罪します」
とは、一言も言わないんだ。

すげえ奴等だなあ。
人並みの心を、どこにしまう場所があるんだろう。
謝罪したら損になると、
弁護士に言われたのかい?
寄付団体から言われたのかい?
アメリカに言われたのかい?
お母さんにそう教わったのかい?

こんな奴等が政治を牛耳っている世の中に、子供を産んで育てようなんざ、到底思えないね。
子供には、悪影響しか与えられないからさ。
自分の力不足で人が死んでも、謝らなくっていいと子供に教育するんだからな。

 

安倍にも、お母さんは、いる。

後藤さんにも、お母さんは、いる。

 

後藤さんの無事を祈る、悲痛で辛そうなお母さんの姿をテレビで観るようになり、自己責任という、他国ではあり得ないバッシングを受けるこの国で、とても勇気のある人だと感じていた。
それから数日して、なぜ後藤さんと苗字が違うんだという書き込みをネットで見かけた。
よくそんなところに目が行くもんだ、カンシンさえした。

どうでも、いい。
どうでも、いいんだ。

僕も、母とは苗字が違う。
簡単だ。
父と離婚して、他の男性と再婚したからだ。
そんな人は、いまどき沢山、それこそ、定員に漏れて保育園に入園できないほどいる。

僕は安倍を心から嫌うが、彼の家庭環境がどうあろうと、決して差別しない。
そんなことは、どうでも、いいからだ。
どうでも、いいんだ。

もっと言えば、彼がどこの生まれだろうと、どんな血だろうと、決して卑下しない。

安倍も、菅も、オバマも、偉い人も、偉くない人も、国民栄誉賞をもらった人も、もらわなかった人も、著名人も、無名な人も、自分の家庭環境など、生まれなど、国籍など、公表する必要もないし、差別される言われもない。
そんな事は、小学校でも教えている。

小学生の時、苗字が変わった親友がいた。
お母さんが亡くなり、やむなく養子に出されたのだ。
それを揶揄する同級生は、1人もいなかった。
いじめなんぞ、なかった。
彼は、誰からも好かれていた。

僕が最も敬愛するキヨシローも、生みの親と育ての親は、違う。

ただ、僕はここで、昔は良かった、今は駄目だ、というありがちな世代論をする気は、ない。
昔だって、その手の差別やいじめはあった。
場合によっては村八分という、コミュニティーが丸ごとその人を攻撃する事さえあった。

ただ、この連載で既に書いた通り、10年前までは、メディアに投稿されても確実にボツにされたような、インモラルで安直で無責任な揶揄や差別発言が、インターネットで匿名かつ簡単に発信できるようになった。
潜在的には昔からある一定層の人達が持っていた考え方が、ネットにより顕在化しただけだ。

だからこそ、この国を憂う、心あるネトウヨと呼ばれる人達に言いたい。
この国をどうにかしなくちゃ、という思いは一緒だ。
だが、バッシングは多くの人達の命を奪ってきたんだよ。
宮崎勤のお父さんも、自殺された。
先日起きた佐世保での高校生による同級生の殺害でも、そのお父さんが自殺された。
後藤さんの家族のやり取りに、コミュニケーションに、何があったかなんて、本人同士にしか分からないじゃないか。
世間ではあまりないとされている事だって、親と子が許容し、通じ合っているなら問題ないじゃないか。
100%うまくいっている家族って、完璧な家族って、そんなに沢山あるのかい?

家族って、単純なものじゃないよね。
映画でもテレビでも小説でも、家族は永遠のテーマだよ。
他人には分からない家庭の事情って、あると思うんだよ。
それをあげつらい、嘲笑し、罵倒するのって、下品だよ。

このお2人の笑顔は、何よりも美しく、微笑ましい。
バッシングを承知でメディアに登場した後藤さんのお母さんを、素晴らしい人だと思う。

エプスタインズでは、様々な人から原稿を取り寄せ、今週から集中連載をしています。


2015.02.05