EPSTEIN TALKS ABOUT FUTENMA#42「高江を訪問」

写真/文・鎌田浩宮
協力・やんぼう

ベトナム

させられた
村。

辺野古から数十分車を走らせると、名護市から東村へと移り、高江地区となります。

辺野古の問題と比べると、高江はあまりヤマトには知られていません。
それでも、映画「標的の村」で、かなり知られるようになりましたね。
そう、高江にも、大きな米軍基地問題があるのです。

琉球朝日放送のサイトより、写真等の資料を転載しますね。

ご覧の通り、人口160人の高江集落はすでに演習場に囲まれています。
そこをなぜ、さらに6つのヘリパッドで囲み「オスプレイ」まで配備されるのでしょう。

沖縄・高江では、これまでも騒音を撒き散らしていたヘリパッド(青いマーク)に加え、集落を取り囲むように(赤いマーク)ヘリパッドが建設されようとしています。
そもそも「ヘリパッド」という言葉を、聞きなれない人もいますよね。
解説しますと、「ヘリコプターの簡易発着場。ヘリポートほど大掛かりではない施設で、ビルの屋上に設置するものなどにもいう。」とのことです。

琉球朝日放送「標的の村」サイトより転載。

人口160人の高江集落はアメリカ軍のジャングル訓練場に囲まれている。頭上では日常的にヘリが旋回し、住民らは「まるで自分たちがターゲットだ」と憤慨する。

それは消して大げさではなかった。実際にアメリカ軍は、高江区民を標的に訓練をした知られざる歴史があった。ベトナム戦当時、沖縄の山岳地帯に襲撃訓練用の村が作られていた。その「ベトナム村」に近くに住む高江の住民たちが連行され、ベトナム人役をやらせられていた。

現在建設予定の6カ所のヘリパッドも、ちょうど集落を取り囲む配置になっており、そこにオスプレイが来ることも明らかになった。住民らは、高江をさらに標的にするような基地建設は許せないと、10月のオスプレイ配備に向け、正念場の座りこみを続けている…。

そこで僕は、辺野古での取材を終えた後、高江に行き、反対運動を続けているテント村のスタッフの方に、インタビューをしました。
その女性の方は、笑顔を度々に交えながら、答えて下さいました。
その間にも、数十分のうち、数回ヘリコプターが低空飛行をし、会話が遮られました。
しかしその間にも、見たこともない美しいブロンド色の小鳥も、近くまで来てくれましたんですよ。
自然豊かな村なんです。
この時は米軍の工事部材搬入もなく、穏やかな時間に満ちていました。

テント村の中。他にも遠い所から訪ねてきた人がいて、
丁寧に笑顔で事情を説明していました。

 

外交
だけで
やって
これた。

 

Q ヤマトンチュに伝えたいことはありますか?

「高江のヘリパッド問題は、原発の問題と一緒。
自分がそこにいたら、どう思う?
ジョン・レノンの『イマジン』のように、想像してみたらいいと思う。
よく内地の人が、『中国が攻めて来たら怖い。だから沖縄に米軍基地は必要』と言うけれど、それじゃあ何のために外交があるの?
これまでも戦後70年、ずっと外交のみでやってこられたのだ。
軍事費ばかり上げて意味があるの?
国と国は、話し合いで解決すべきでしょ?
ここにいると、10代の米兵がトラックに乗ってくる。
彼らが殺されちゃうのも嫌だし、殺すのも嫌だ。
そんな風に実感できる、やんばるにぜひ来てね。」

 

明るく
豊かな
未来が。

 

Q ウチナーンチュに伝えたいことはありますか?

「反対運動をし続けるのは、大変なことです。
沖縄戦が終わり、70年近くも米軍に抵抗し…辛いだろうと思います。
高齢化も進んでいます。
ただ、その心の傷を、負の遺産として残していくのは良くないと思います。
やんばるは、ようやく世界自然遺産の候補地になりました。
そしてさらには、辺野古もさることながら、高江のヘリパッド工事についても言及した翁長雄志氏が沖縄県知事選挙で当選しました。
最悪の事態を、避けることができたわけです。
それはすなわち、継続して運動できるようになったということなんですよね。」

ご苦労をされているせいか、僕と同じ40代のお見受けする女性は、白髪も目立っていました。

この後僕と、度々エプスタに寄稿してくれる名護市在住のウチナーンチュ・やんぼうさんは、森の中にあるカフェに行き、小川の上に造られた部屋の中で、日が暮れる前までコーヒーを楽しみ、1時間かけて名護市街地まで帰りました。

それでは、やんぼうさんへのインタビューにつづく・・・。


2014.11.30