キャマダの、ジデン。㊷RCサクセション

鎌田浩宮・著

※ これは、僕がもらった色紙ではありません。

なんてったって、
「い・け・な・いルージュマジック」
だった。
1982年2月14日。
僕は中学1年生だった。

僕は小学2年でビートルズの虜になり、
小学校5年でYMOに狂った。
どちらも歌詞は英語で、
特にYMOはインストも多かった。
なので、
僕が音楽を聴く場合、
歌詞に注目して聴くということは
一切なかった。

僕の大好きなYMOの教授が
忌野清志郎という人と
曲を創った。
その曲を聴いた時
生まれて初めて
歌詞というものに感動したんです。

「他人の目を気にして生きるなんて くだらない事さ ぼくは道端で 泣いてる子供」

この詩は、そう、詩なんだけれど、
思春期の僕の胸ぐらをつかんだ。

思春期と言えば、
自我と他者=社会との
同調と不和を初めて意識する。
平たく言えば、
孤独が嫌で同級生と連れションするとか、
クラスにツッパリグループとそうでないグループの
階級意識が形成されるとか、
モテたくて皆同じ髪型にするとか、
そういうことなんだけれど。

そんなもの、くだらないことなんだよ、
そう教えてくれたんだ。

今の中学生が
どうかは知らないけれど
僕らの頃の中学生なんぞは
音楽、それもロックなんて
まるで興味がなかった。
よくチャボが
「ビートルズを好きだった同級生なんて、クラスに1人か2人だったよ」
と言うけれど、
RCや、またはYMOを好きな子なんて
同じ学年に、数人いればいい方だった。
アイドルの音楽でさえ
聴いている子は少なかった。
1学年に、6クラスもあったっていうのに…。

RCを好きな子の中には、
ごく典型的なツッパリの子もいた。
「DDはCCライダー」
とかが、好きなようだった。

でも、
RCが別格に偉大だったのは
ヘンタイよいこ
とされるカテゴリーの子たちを
包容したことだ。

それまでのロックというやつは
セイジョーわるいこ

ヘンタイわるいこ
のものだった。
そういう子たちが
矢沢永吉とかを聴いて
俺も成り上がりてえなあ
なんて、タオル巻いてたり
してたんだけど。

僕らのように
不良ではないんだけど
ひねくれていて
でも、誰にも迷惑をかけるようなことはしなくって
というヘンタイよいこは
居場所がなくって
アイデンティファイできずにいた。

リーゼントも嫌だし
長髪もダサい、
そんな僕は
「トランジスタラジオ」聴きながら
もみあげをテクノカットに
することができるようになった。
これなら、
親にも先生にも怒られないし。

少年少女を
ヘンタイよいこ
ヘンタイわるいこ
セイジョーよいこ
セイジョーわるいこ
の4種類のみに分別するという
発明をしたのは
今はやさい通信おじさんの、
糸井重里です。

そして僕は今でも、
RCサクセションを
聴いている。
RCサクセションが
流れてる…。

RCサクセションに救われ、
慰められ、
どこを歩いて行ったらいいのか教えてもらい、
時には共に怒り、
はにかみ、
街を闊歩してきた。
それはこれからもずっと続く。
ずっと、ずっと。


2014.04.30