“Endless Transit” 第1便 「旅の“OMOTENASHI”に想う。」

新連載 “Endless Transit ・・・今日もまた経由地。”

旅にまつわるエトセトラスイッチョスイチョエコエコアザラクを連載してきた
このコンテンツ「Epstein Visits Kyoto」に、新たな連載が始まります。

タイトルは「Endless Transit」、執筆者は弥生(YAYOI)さん。

彼女の昔の経験も含めて、実際に旅に行った事も書くでしょうし、
例えば昨今の旅行代理店に物申したい!ってことも書くでしょうし、
人生の旅立ちである「死」についても書くでしょうし・・。
旅に関する本や映画を観たら、それをネタにするかもしれません、
というユルさでGO、のエッセイです。

それではどうぞ、お楽しみ下さいね!

 

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 日本人は「旅」に疎い。

それは、日本が島国だからなんではないかと思う。

長きに渡り、日本人にとって「旅」とは、

温泉で治療したり、
神仏に詣でたり、
郷里に帰ったり

することであったわけで。
それは、日本国内の「A⇒B」の移動であって、
目的もとても明確。

一方欧米など大陸に住む人たちは、「旅」という言葉のニュアンスが
もっとずぅーっと広い。

山をひとつ越えたら、肌の色も、食習慣も、言葉さえも違う人たちが住んでいる。

それは、英語では「Journey」も「trip」も「travel」も「sightseeing」も、
すべては「旅」をあらわす言葉だという事からも想像がつく。

旅の定義が広いんだよね ────

本来「旅」とは、無限の可能性を持った言葉なのだと思う。

各地の名所を見て回ったり、ショッピングに赴くのだけが旅ではなく、
「死」をも含め、人生に訪れる大切な“移動”はすべて「旅」とも言える。

私は、あらゆる意味を豊かに含んだ「旅」が大好き。

日本でも、そんな「豊かな旅」をたくさんの人にして欲しい……
そんな思いから、縁あってココに「旅」に関する文章を書かせて頂く
ことになりました(って、ナンデここだけ敬語?(笑))。

以後、お見知りおきを。

さて。で。

今回のテーマは「旅の“おもてなし”」について。

ここ数年、日本は「YOUKOSO JAPAN」キャンペーンとして、
国を挙げての外国人観光客招致に熱心。

国内の人口が減り景気が急速に冷え込む中、
海の向こうからやってくる人たちの落とす外貨に活路を見出そうというのは
大変わかりやすい発想だと思う。

日本には世界に誇る独自の文化がたくさんあるわけだし、
外国人に日本のことをたくさん知ってもらおうという考えは
個人的にも大歓迎なのだけど、その中で気になることがひとつ。

某政治家は、「日本の誇る“おもてなし”の心を持ってすれば、
ツーリスト達の心に必ず響くはずだ」と、言う。

「旅のおもてなし」 ……って、ナンダロウ?

今の日本は、この「おもてなし」の解釈の仕方に、
かなり偏りがあるんじゃないかなと、個人的に感じることが多い。

以前、日本人の海外パックツアーのツアコンをしていた友人は、
深夜に客に電話で呼び出され、20分かけて
(=スタッフは安価なホテルに泊まるため、客のホテルまで時間がかかる)
部屋に赴いてみると、「バスタオルが足りない」と言われた
・・・なんてことがしょっちゅうあったんだそうだ。

そんなん自分でフロントに言えっ! じゃない?

しかもそういうお客に限って、後日わざわざアンケート用紙を郵送してきて、
満足度の欄で「5.非常に不満」なんてところにマルを付けてくるらしい(苦笑)。

そんなお客ばかり扱っていれば、旅行関連業の人たちが過敏になるのも無理はないのだけど、日本のツーリズムは

「とにかく、頭からつま先までお世話して差し上げます。なにしろお客様は神様ですから」

という方向に向いているように思う。
そして、そのサービスを受けるお客側も、それを当然と受け止める傾向がある。

でもさー ・・・・・「旅」って、そういうもの?

個人的には、本来旅というのは「FREE」なものだと思っている。
「FREE」という単語には、「自由」という意味以外に「無い」という意味があるよね。
「シュガーフリー」とかさ。

旅は自由なもの。が故に、何も「無い」状態から、
すべて自己責任で作り上げられていくべきものなんじゃないのかな。

もちろん、パックツアーを否定はしない。
あれはあれで、安全で、時間を有効に使える合理的な手段だとは思う。

ただ、たとえ“連れて行ってもらった場所”であっても、そこで心に残る体験をし、
それを自分の血肉にしていこうという心がけを持つのが、本来の旅なんではないかと思うわけなのですよ。

となると、今の日本の「おもてなし」は、
果たしてこのままでいいんだろうか、と。。。

私自身はバックパッカーなので、海外の高級ホテルの“おもてなし”には
トンと縁がないけれど、少なくとも海外のホテルやツーリズムは、
お客さんの「快適さ」は考えても、「お客を甘やかす」ことはしない。

私は以前ニュージーランドで、路線バスを乗り間違えたことがある。

宿からどんどん離れてゆくバスに乗った事に気がついた時には、
既に宿から遠く、遠く離れていた。

青くなって運転手に事の次第を話しても、ちゃんと話を聞いてくれない。
「ちょっと待ってろ」と言うばかり。「降りる」と言っても「いいから待ってろ」と。
その間にも、目的地はどんどん遠くなっていく。。。

私は諦めて座席に腰を下ろした。
時間は既に20時過ぎ。交通機関はバスのみというこの国で、
今日中に帰れるんだろうか・・・・と、途方に暮れていた。

ところが、運転手はすべてのお客を降ろすと、
おもむろに私に話しかけてきてこう言った。

「これから車庫に帰る時に、君の宿の近くを通るから
 そこで降ろしてやるよ」

と。

・・・・もーね。ドライバーのおっちゃんが神に見えたね。

運転手にしてみれば、
「すべてのお客を降ろすまでは、つたない英語を話す
このガイジンの相手はしてらんないが、帰りついでに
乗っけっててやればいいか」という事だったんだと思う。

日本はガチガチのルール社会なので、
もし「帰りの回送バスにお客を乗せた」だとか、
「規定路線を外れて走った」なんてことがバレたら大変なことになると思う。

だけど、私にとってこの経験は、その時の旅の何よりの想い出になったし
これこそが「おもてなし」の精神なのではないか、と思ったりする。

「OMOTENASHI」の心とは、する側が何もかもに「YES」と答え、
お客側もそれを当たり前のこととして受け止めることでは決してない。

女が男に「いい人ネ」というと、それは褒め言葉ではなく
「いい人なんだけどね~・・・」という“対象外”のニュアンスになる事と
同じようなもので、これをこのまま続けると、日本は世界から
「いい人なんだけどね~」の評価を受け続けることになるんじゃなかろーか?

旅行業に携わる人に限らず、多くの日本人が、
国外からツーリストを迎える時に「“おもてなし”とはなにか?」という事を、
もう一度考える必要があるんでは ないかなあ~。

【Photo Collection】—————————————————————–

先日訪れたネパールにて。
ポカラという湖畔の町で「麻布店」を発見!
姉妹店で六本木店があるはずだ!と、探し始めた瞬間、
それが「アザブ店」ではなく「アサヌノ店」であるという事実に
ハタと気が付く。
Hemp cloth store ・・・・・・ナルホドネぇー。そうきたか。

azabu

2010.12.20