玉音ちゃんradio 第20回「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」本編

DJ・鎌田浩宮

矢野顕子
の、
新譜。
忌野清志郎
の、
新譜。


2月6日。
レコード屋さんへ、久々に、うきうきした心持ちで、歩いて行った。
大好きなアッコちゃんの、新譜。
それは、アッコちゃん、嫌がるかも知れないけれど、僕にとっては、キヨシローの新譜のようでもあるから。

「ここまでやっといたからさ、後は、よろしくね」

キヨシローが途中までしていた作業を、アッコちゃんに委ねて。

僕は前回、なぜ1曲目に、カヴァーのカヴァーである「500マイル」を用いたのか分からない、と正直に書いた。

家に帰って、コートを脱いで、暖房をつけて、途中で買ったお豆腐を冷蔵庫に入れて、CDプレイヤーの電源を入れて。
聴いていて、1曲目の「500マイル」が、お別れの歌だということが、分かった。
まるでキヨシローが、虹の向こうへ旅立つ時の歌のように。

「優しい人よ 愛しい友よ 懐かしい家よ さようなら」

シンプルすぎるくらいシンプルな歌詞の良さを、改めて噛みしめることができるのは、なぜだろう?
シンプルさとは逆に、原曲よりも遙かに複雑にアレンジされたコードワークと演奏法によるところが大きいんだと思う。

 

聴く、
正座
なんか
して。

 

歌詞カードを読みながら聴くと、なお、染み込んでくる。

僕は今まで、キヨシローがヴォーカルを取る曲は、歌詞カードを読むことがなかった。
歌詞カードがなくっても、自然に歌詞が耳の内に入ってくる、日本では稀有のヴォーカリストだったから。
妙な英語のように聴き取りづらく歌う、そこいらのミュージシャンとは全く違うのだから。

アッコちゃんのヴォーカルは、キヨシローと同じほどに聴き取りやすい。
だけど、そこをさらに歌詞カードを読みながら聴くと、以前既に聴いたはずの歌詞の味わいが変わってくる。
ほんの若干だけれど、歌詞を省略したり変えたりしているのも分かる。
そこがまた、興味深くって。

アッコちゃんは、絶対そんな風には語らないだろうけれど…、キヨシローの形見が入った箱をそっと開けて、1つ1つを取り出して、大切にしているタオルケットで丁寧に拭いて、それを抱きしめ、思い思いに並べて、宝物をしまうための新しい箱に、壊れないように閉まっておくような、そんなアルバム。

箱を開けた時は、涙が流れたかもしれない。
でも、泣いちゃだめだ、きちんと拭かなきゃ、と自分に言い聞かせて、それからは最後まで一切涙を見せず、隅々まで拭くことを全うする。

こんな風に情緒的に書くことを、アッコちゃんは極端に嫌うだろう。
実際アッコちゃんは、例えキヨシローが虹の向こうへ旅立っていなくっても、このアルバムを創っただろうと言っている。

先日、坂本龍一さんが
「今後『戦場のメリー・クリスマス』を弾く時は、大島渚さんのことを思い出してしまうだろう」
と言った。
これは当然のことだし、全然おかしな話なんじゃない、僕らも思い出しながら聴くかも知れない。

ただ、その楽曲という作品を評価する際は、その曲そのものだけを聴くことに徹していなければならない。
だからアッコちゃんは、キヨシローの曲そのものを聴くことだけに集中した。

そうすることによって、見逃されがちな後期の作品を中心に選曲された。

そうした後期の曲というのは、80年代前後の最も「注目されていた」頃の
「市営グランドの駐車場」
「ぼくのお正月の 赤いコールテンのズボンができあがる」
のような、時にはロックでは使わない言葉を取り入れて、キャッチコピーのようにイカシたフレーズを紡ぎあげてしまうという曲ではなくなっていた。
「誇り高く生きよう」
「胸が張り裂けそう」
と、表現したい思いを、技巧に依らず率直に、一握の詩にしていた。

シンプルすぎるくらい、シンプルな、詩。
ストレートに表現された思いが、アッコちゃんが普段抱えている思いと共鳴したようです。

あと、改めて気づかされるのは、三宅伸治の存在の大きさ。
今回収録された11曲中、伸ちゃんとキヨシローの共作は、3曲もある。
どのように作曲作詞されたのか、どのように伸ちゃんが肉付けしていったのか、改めて訊いてみたいです。

 

弾き語り
とは、
何か。

カヴァー

コピー

違い。

 

そういった楽曲を、原曲がバンド編成の場合、本人がギターだけの弾き語で歌ったりすると、その曲の良さが再度輝くことがある。

だから年に1度開かれる「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー」で、様々な人がキヨシローのカヴァーを歌うけれど、僕はひねくれているので、その多くが、胸に響いてこない。
ただのコピーバンドじゃねえか、と思えたりする。

ギター1本でキヨシローを歌う人で胸に響くのは、圧倒的にチャボだ。
伸ちゃんのそれも、胸を熱くする。

それはもちろん、チャボとキヨシローの唯一無二の関係性によるものも大きいのかも知れないけれど、これはきちんと言っておきたい。
誰の曲でも自分の歌を歌う場合でも、チャボの弾き語りのテイスト自体がすごいのだ。
ギターも、歌うのだ。
強弱や音を出さない時の間を、綿密なほど大切にし、間奏に入っても音圧が変わらない。

それと同じことが、今回のアッコちゃんの弾き語りにも言える。
ピアノは、ただの伴奏ではない。
コードを8分音符でただ刻んでいるわけでは、ない。
その細部に至るまでの吟味は、コードやメロディーまで変えてしまうこともある。

そうして出来上がったカヴァーを、キヨシローも笑って聴いているんじゃないか、と思う。

もっと何回も聴いていたい、そんなとっておきの、ニューアルバム。

最後の曲として、敢えて以前CDで発表した、アッコちゃんとキヨシローのデュエット「ひとつだけ」を再録したのは、聴く前の予測を越えて、とってもよかった。
キヨシローが、虹の向こうへ旅に出たはずなのに、まるでふらりと帰ってきたかのようになるんだ…。


2013.02.08