walkin’ to the beat everlasting②

写真・文/鎌田浩宮

中学生になって、岩ちゃんと友達になった。それまでロスで暮らしていた岩ちゃんは、ビートルズにとっても詳しくって、ギターも飛びぬけてうまかった。中学生と言えど、ビートルズを聴いている者はほぼいなかった。YMOやRCを好きな者だって、クラスに2人くらいしかいなかった。よくチャボが「日本中でビートルズが人気だったって言うけど、好きな者はクラスに2人くらいだった」という話をしてくれるけど、僕の頃もそんなもんだった。ほどんどの中学生は、たのきんトリオや聖子や明菜やKYON2といったアイドル歌謡しか聴いていなかった。RCサクセションが「キモちE」をシングルで切って沖田浩之が「E気持」という曲を出して糸井重里がヘンよいの見出しに「気持A」と掲げた時期だった。

キャマダ家蔵、ビックリハウス

岩ちゃん家に遊びに行って、お兄さんが使っているシンセサイザーを見せてもらった。鼻血びゃん。お兄さんは学生バンドをやっていて、先日出たコンテストに筋肉少女帯という面白い名前のバンドがいたとのこと。岩ちゃんはYMOも好きだった。英語も堪能なので、小学生の頃から疑問だったことを訊いてみた。

「『NICE AGE』の歌詞の冒頭だけど、あれ、どういう意味なんだろう?」

岩ちゃんは若干顔を赤らめ、うーん、分からないなあと言った。ごまかしているのが分かった。

her toys are broken boys

54歳になった今でも、何も見ないで空で書ける。そのくらい印象的な歌詞だった。当時の僕はbrokenの意味が分からなかったのだが「彼女のおもちゃは男の子なのだ」というところまでは分かっていた。やはり、ちびっとイヤらしい意味なのだろうか。その後、岩ちゃんといまことバンドを結成し、音楽室で練習するようになった。 岩ちゃんは、目をつむって聴けばスタジオミュージシャンと思われても不思議じゃない腕前だった。 だが、岩ちゃん以外のメンバーはひどい演奏で、特に僕の演奏技術は話にならなかった。

YMOファンは1クラスに2人しかいない。だが、G組までの7クラスが揃えばそれなりの人数になる。皆の毎月のお小遣いはおおむね1000円。全く経済が追い付かない。おおちゃんが「BGM」を買って、やまが「出口主義」を買って、ジョーが「ロマン神経症」を買って、おおちゃんがさらに「ボク、大丈夫?」を買った。それで、仲間で貸し合う。当時、YMO関連のレコードは断続的に発売された。各々のソロアルバムのみならず、各々がプロデュースしたアルバムの量が物凄かった。ユキヒロも教授もハリーも、いつ寝ているんだろうと思っていた。赤貧家族に生まれた僕の小遣いは毎月700円。子供にとって300円の差は大きかった。当時、LPレコードは2500円。EPを買うのがやっとで、仲間の輪の中に入れなかった。カセットテープ(これを買うのもやっとだったりして♫)を渡し、渋々録音してもらった。

6年2組のトガった奴等も「BGM」でふるい落とされた。「BGM」以降も聴き続けていた、おおちゃんややま達は大したもんだった。「暗いYMO」が大好きだった。その頃から今に至るまで「BGM」「テクノデリック」は何千回聴いてもびゃんびゃんする。ジョーは直後にヘヴィーメタルへ、岩ちゃんはブルーズへ傾倒していった。

でも「カモフラージュ」を聴きながら涙が出てしまうのは、今日が初めてだ。幸宏さん、素晴らしい。とてつもない。幸宏さんこそがYMOだ。幸宏さんが旅立ってから、何度も涙をこらえることができたのに「カモフラージュ」は駄目だ。駄目だ。先週バラカン方式でかかった「バレエ」は大丈夫だったのに。駄目だ。

以前、このエプスタインズでYMOベスト10曲という主旨の記事を掲載した。HASYMO以降の曲も採り上げた。そのうえで「カモフラージュ」を1位に挙げた。いや記憶違いだ、今調べたら3位だった。相手にさえされないだろうと思いつつ、幸宏さんにツイートした。びっくりした。「興味深い」という言葉を添えて、リツイートして下さった。

そのツイートから数年後、大病を患った岩ちゃんが旅立った。幸宏さんよりも先に旅立った。

つづくよっ

ビックリハウスでの連載「YMO SYNDROME」

2023.02.12