福島県相馬市のダチからの便り 第12便

文・鎌田浩宮

というわけで、杉ちゃんとお父さんと3人で暮らしていた
おばあちゃんの急逝で相馬に戻っていた彼が
羽田空港経由で宮崎に戻るため
僕の家に1泊することになった。

といっても、
東京に出てくるのも一苦労、なんである。
原発事故のため、東京への直通電車は区間不通でダメ。
そのため、
海側の相馬から、内陸の福島まで1時間半バスで行き、
そこから電車で東京へ、となる。

何時頃会う?と訊いたら
東京駅付近の大きな書店で目一杯立ち読みがしたいから、その後に、
と言われた。
そうだよなあ、
八重洲ブックセンターみたいなものは
宮崎の山奥にも相馬にもないものね。

ようやく彼と会った。
以前より痩せて、白髪の多さに驚いたが
正月のショートメールのように元気そうだった。

おばあちゃんへの悲しみを携えつつも…。

晩飯、美味しいものを食べようよと言うと、
流行りの270円均一居酒屋がいいんだって。
なにゆえ?
「席に着いて、ああいう、ピッピッとiPadみたいなメニュー盤を指で押すと、店員が持ってくるんでしょ?ああいうの、宮崎の山奥にも相馬にもないから」
ああ、
確かに物珍しいかもしれないけど、
10分で飽きるよ。
食べ物は皆レンジでチンしたようなものばかりだし、
店員は愛想悪いし。

納得してくれて、結局エスニック料理を食べに行った。

一緒に帰宅すると、
真っ先に浪の遺骨に手を合わせてくれた。
僕の家の来客には、事情を知っていても、
何のポリシーだか解らないが
手を合わせないどころか、遺影にさえ振り向かない人もいるので、
彼の素直な心が胸に染みた。

杉ちゃんごめんね、
浪のいた頃のことを忘れたくないから、
それに、何をするにも気力がなくってね、
浪が旅立った時から
家にある物を何も動かさずそのままにしているし
掃除もしていないんだ、
汚い部屋だけど、ゆっくり休んでいってよ。

「鎌田、頑張らなくていいんだよ。悲しい時は、いつまでも悲しめばいいんだ」

僕は驚き、嬉しかった。
震災と原発で大変な目に遭った彼、
そしてそのせいで肉親を救えず、死に目に会えなかった彼が、
人の痛みを自分のことのように、そういう風に言ってくれたこと。

テレビをつけた。
杉ちゃん、テレビ、久しぶりだろ?
たっぷり見なよ。

相馬に戻った時、震災直後と変わらず今でも
テレビでは天気予報と同時に放射線情報が流れているという。
SFの世界が現実になっちまっている、と思った。
しかもその数値さえ、信用できるかどうか判らないのだ。

新聞も心ゆくまで読んでもらった。
色んなことを喋った。

疲れを取らなきゃ、そろそろ布団を敷こうか。
灯りを落とした後も、まるで初めてお泊りした子供のように
お喋りは続いた。

杉ちゃん、おせっかいだけど、
お父さん1人になって、寂しいんじゃないかい?
新潟から戻ってきた妹の家族が近所に住んでいるとはいえ
男同士にしか話せないこともあるかも知れないから
ちょくちょく電話してあげなよ。

俺も今1人きりで、これ、とっても寂しいもんなんだよ。
「ああ、そうするよ」

翌朝、
浪が旅立って以来初めて料理をして
彼と2人で朝飯を食べた。
昨夜のエスニック料理より沢山食べてくれた気がした。
手作りの家の飯って、美味しいでしょ?

えっ?
3月末まで?
そんな短期の契約だったの?
「そう、宮崎の仕事はそれで契約終了なんだよ。更新してくれると嬉しいんだけど…
そうか、更新がない場合はまた職探しか。
そりゃあ大変だよ。
ずっと宮崎で働ければいいなあ。

あいつは、最初から3月末までの契約と分かっている上で、
あんなに希望に満ちたショートメールを
正月に送ってくれたんだ。

杉ちゃん、すごいよ、尊敬してるぜ。


2012.02.07