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See you soon,Paul !
写真/文・鎌田浩宮
もう、
何週間も、
落ち着かない。
ポール自身から、
「もう、すっかり良くなったよ」
と言われないと、
やはり重症なのではないか、
と
気を病んでしまう。
あちこちからの事情で、本当の事が発表できない。
ハンブルグの頃は、きつくて、ひもじくて、でも本当の事はいつでも言えた。
いつまで、ツアーの人生を続けるんだろう?
いくつになっても、慣れない街での病気は辛い。
不安で、たまらなくなる。
ドナルド・ダック・ダンだって、東京で、ライヴの後、急逝したんだ。
ノロウイルスじゃないかって、医者が言う。
なんだよ、その聞いた事もない菌は。
放射能の影響かい?
…、家には、帰れるのだろうか?
實おじさんと、ポールを観ることができなかったのは、一生の後悔だ。
だからなおさら、修おじさんと、今回ポールに会えるのは、ひとしおの感慨があった。
實おじさんというのは僕の母の弟で、僕は小学1年の頃、家庭不和が原因で實おじさんの家に1年間預けられた。
その時實おじさんが、僕にビートルズを教えてくれたのだ。
僕は虜になり、聴き漁った。
僕の人生に、音楽は、不可欠なものになった。
僕の人生は、この時、決まっちまったのだ。
そんな實おじさんは、パーキンソン病と糖尿病で、2012年に亡くなってしまった。
“when I’m sixty-four”だ。
恩返しできなかったという思いが、ずっとつきまとう。
小学2年で家族が1つに戻り、母は自分の兄である修おじさんの下で働き始めたのだった。
僕はしょっちゅう修おじさんの事務所に行き、ビートルズを聴かせてもらった。
まだ恋さえした事のない齢の僕は修おじさんに、
「『イマジン』って曲は、ビートルズの曲?ジョンのソロ?」
と訊いて回った。
壁には、大きなビートルズのポスター。
FENは、ウイングスをよくかけていた。
修おじさんは、ポールとほぼ同い年。
この機会を逃すと、修おじさんにさえ、後悔する事になる。
僕は、なんとかチケットを手に入れた。
当日は、修おじさんの妻、律子おばさんも、沢山の手料理を作って、一緒に来てくれた。
うちの母も、再婚した新父(ニューパパ)を携えて来た。
僕の鞄の中には、實おじさんの遺影。
6人で、まるでゴキゲンなピクニックのようだった。
当たり前だ。
僕らはポールにも、主催者にも、悪態をつかなかった。
隣の公園で、車座になって、律子おばさんの手料理を味わった。
律子おばさんの手料理、10年ぶりだろうか、もっと前だろうか?
子供の頃は、しょっちゅう食べさせてもらってたのに。
美味しいなあ、何度も言いながら食べた。
もう2度と、古き佳き国立競技場には、来られない。
どうぞ、ゆっくり休んで下さい。
そして、まだツアーを続けられる気力と体力があるようだったら、ジェイルにさえ容れられた事もある相性の悪い日本だけど、ぜひ、僕の夢をかなえに来て下さい。
放射能の方は、まだ当分不安ですが。
韓国の人たちも、可哀想です。
また来てくれる時は、ぜひソウルでも演ってほしいです。
こんな遠くの国に、その年齢で、去年から立ち続けに2度も訪れてくれた事を、本当に心から感謝しています。
こういう事になっても、その思いは変わりません。
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