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ラストデイズ「忌野清志郎×太田光」を観て
文・鎌田浩宮
ゲージツ家とゆー生き物には、いろんなタイプがいるんだと思う。
40年経っても、江の島が見えてくる浜辺で涙のキッスをしていたいというようなラブソングを描き続ける人もいれば、ピカソのように、作風を次々と変える人もいる。
だから、40歳になっても50歳になっても、人々が求めるような歌、それは例えば、車の中でカーラジオに耳を傾けながら手を繋いで眠ったり、授業を抜け出して屋上で過ごしたりという、10代から20代にかけての日常を鮮やかに切り取ったような歌を歌い続けること以外に、興味の対象が溢れ出し、それを描き変化していく作家も、当然いるだろう。
そのピカソは、ゲルニカという絵も描いている。
反戦をテーマにした、モノクロの、抽象的なニュアンスも混じった絵だ。
発表当時は批判もされたが、現在では傑作、とされている。
だったら、この作品が、カラーで、紅い血も描き、写実主義的な作風にし、安全ですと言いながら37の原子力発電所が建っているところを描くと非ゲージツ的な駄作とされるのかと言えば、決してそんなことはない。
僕も、全く売れていないが、ゲージツを創っている。
2001年の9月11日、アメリカで起きたテロと、その報復と嘘をつき仕掛けたイラク戦争。
第3次世界大戦が始まったのか、と恐怖に怯えた。
やっと21世紀になったのに、これからも戦争の世紀となるのか。
これらを経てから、描きたいものが、変わってしまった。
キヨシローが、それまでは純芸術的、詩的な表現が素晴らしかったのに、「カバーズ」では直接的な表現に変じてしまった、という意見がある。
僕は、どの時代でも、キヨシローの歌詞は、変じているようには思えない。
「市営グラウンドの駐車場」にしても、反原発の歌詞にしても、キヨシローは、多くの人が見逃しがちな、しかしありふれた物として、多くの人が無意識に認識している物を顕在化し、言葉として切り取ることができる人なんだと思う。
さらに言うと、キヨシローが初めて核について歌ったのは、「SHELTER OF LOVE-ツル・ツル」なのだけど、そこから「カバーズ」へ移行していく過程の中で、もっと「市営グラウンドの駐車場」のような、平易な言葉に置き換えていこうと研磨しているのが分かる。
バンドというものは、難しい。
それ以降、僕のやっているバンドは、反戦や反原発を歌ったりしているのだけれど、メンバーの中には、選挙に行かない者もいる。
ひょっとしたら、ジミントーに投票している者も、いるかも知れない。
そもそも、メンバーの中には、僕が全く好まない音楽を、好んで聴いている者もいる。
バンドというものは、それで普通なのだ。
そんなメンバーの1人が突出して、今までと違った方向の歌を歌いたい、恋だの愛だのを歌いたい、10代20代の日常を鮮やかに切り取った歌をアルバムにしたい、と言い出した時、僕はどうするだろうか。
自分が今歌いたいこととは違う、きつい、ヘヴィーだ、けれどもついて行こう、とするだろう。
それが、信頼し合うゲージツ家同士なのだ。
加えて、言ってしまおう。
それが仲間だ、それが友情なのだ。
そんなことは、NHKの素晴らしき職員たちだって、解っている。
だからこれまで、忌野清志郎に関する素晴らしき番組を、数々創ってきた。
その中の2つは、今年の5月2日の周辺に再放送された。
今観ても、NHKはキヨシローを好きなヤツがいるんだなとほくそ笑んでしまう。
でも、NHKには、籾殻ヤローや百ヤローだの、“薄汚ねえサイテーのヤツら”も、いる。
忌野清志郎を太田光に語らせてみよう、5月2日という大切な日に、敢えて「カバーズ」だけを抜き出して語らせよう、というダメな企画を考えるヤツだっているのだろう。
僕は東京新聞を愛読しているんであるが、ラテ欄の読者投稿に、この番組を観た、おそらくキヨシローのことをそんなには知らない年配の読者から、
「反核・反原発などの、忌野清志郎の素晴らしい歌を知ることができた。でも、ナビゲーターの人はそのことを理解できないようでいて、人選を誤ったのではないかと感じた」
という主旨の投稿があった。
すこぶるシンプルに、この番組を理解してくれている。
良識ある視聴者は、解ってる。
僕は、忌野清志郎が大好きだ。
仲井戸麗市が大好きだ。
RCサクセションが大好きなのだ。
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