キャマダの、ジデン。③成増

そうして幼稚園に上がる頃、
うちの父が、独立して会社を興すと言い出し、
鎌田家は成増に引っ越した。
父・鎌田重昭、未だ三十路手前であった。
在籍した会社から20代で独立するなんざぁ、
これはよっぽどの勝算があったか重昭。
常に進むと書いて、常進金属株式会社、設立。
ババーン!

成増。
うら寂しそうな割には
急行かなんかが停まる不思議な街だが、
うちの家はそこからバスで
さらに谷原という所へ行く。
当時は、畑もあって平屋が並ぶ、
のどかなところ。

幼稚園は楽しかった。
いぶかしがられるかも知れないが
2歳で数字、
3歳でひらがな、
4歳でカタカナが、
完璧に身についていたそうだ。
父の顔を描くという授業で
皆が唇を赤で描く中、
そんな色はしていないと
僕だけ茶色で描いて散々褒められた。

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僕は今のところ生涯で唯一
ここで一戸建ての家に住んだ。

ただ、家はごく狭い。
庭の細い梨の木は、
毎年毎年ひなびた実りしかなく、
すぐに虫が食って
へろへろ~なものであった。

そして、鎌田家も、マッハで
へろへろ~になるのであった。

なにせ婚前から母に借金をし、
就職の世話まで母にしてもらった父。
もー、だらしないという言葉を2文字で表すと
【重昭】
になるっつーくらいなもんで、
独立といっても
麻雀ばかりやっていたそうである。

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すぐに事業は失敗、
父は無職。
常に進まねえじゃねえかっ!

金がないので母はスナック勤めをする。
当時の女性は、
ましてや一家4人を支えるのだから、
極端に仕事の種類が限られてた。

夜、家族がいないっつーのは、
4~5歳ほどの子供にゃひどい寂しさなのだが、
なんと父は、子供を置いて
「夜の散歩に行ってくる」
と、どこかへ遊びに行っちまうんである。
女遊びか、飲み屋だか、
今となっては分からんのであるが、
夜な夜な、僕と弟で2人きり。

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それでも、当時人気者だった
ずうとるびのバラエティ番組がある日は、
大丈夫だった。
弟と腹をよじりながら笑って見てるんだが、
その番組が終わると、もう駄目。

弟と2人で泣きまくるんである。
寂しくて。
どうしても我慢できなくなって、
母のスナックに、
駄目と言われても電話をする。
母はなんとか励ましてくれるんだが、
電話が切れると、また、泣く。

11pm1

ようやく寝られそうな頃に父が帰ってきて
困ったことに「11PM」を見やがるのだ。
僕らは寝ているふりをして我慢をした。
幼稚園児に、あの映像は、キツイ。

父が母と喧嘩をして
ガラス窓を割ってしまった部分に、
ビニールが貼ってある。
外で風がそよいでいるのが分かる。
ああ、一軒屋、成増・・・。

あれから成増は、
通りがかったことしかないけど、
機会があったら、あの梨の木、
見てみたい。
大きくなってるかなあ・・・。

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嫌な思い出なんか、思い出さないさ。
そのくらいには、
幼少を客観視できるんである、
僕はもう、この歳だから。
ご安心あれ。

のっけからヘヴィーブローでちぃーっす!
次回は、ライトだぞっ?

2011.06.07