第八十八夜:「コズミック・ブルースを歌う」

暑いですねえ・・・
ナツがアツいですねえ・・・
脳みそもダジャレに切り替えれないほど暑さに負けてます・・・
それでもお仕事は毎日つづきます。
皆様も日々に疲れたら是非当館へお越し下さいませ。
あ、こっち公式サイトじゃなかった(笑)
 
 
先日、社員と共にストレス解消としてカラオケに行きました!
昔からいる社員は知っていますが、新しいスタッフは
私の歌声に驚きます。
「けい子さん、歌えたんですね・・」
失礼にも程がある。マイクで数回殴りたくなる。
今や信州で第二、いや第三くらいの人生を送っておりますが、
こんな私でも過去はあるのです。音楽と少しだけ暮らした日々が。
 
 
 
 
私は音楽が好きでした。
小学校に入って通わされたピアノ教室。
ピアノは嫌いじゃなかったのに、その時の先生がだいっ嫌いで
通うのが本当にイヤでした。
「なんでできないの!?」が口癖の先生、顔はいつも般若でした。
でもフリフリの服着てて。
ピンクフリルな般若のせいで、せっかく芽吹いた音楽への興味や
音楽を純粋に楽しもうとする心を真っ先に奪われました。
今でも恨んでいます。
それでもピアノもクラシックもジャズも好きだったので、
小学生の頃は聞く専門、時折趣味レベルで弾いたりするくらいでした。
もう音楽は私と共に歩くものではないと想っていました。
 
 
それが中学に上がった頃、純朴で愛らしかった私に稲光が!!!
学校の文化祭で二つ上の先輩がバンドをやっているのを見て、
コレだ!コレしかない!ギターだ!ギターだけが私の武器だ!
と思い、エレキギターを始めました。
ピアノをやっていたとはいえ、根本的には不器用な女、
血まみれになりながら毎晩練習したのを覚えています。
その女の先輩のバンドに入れてもらい、一から教えてもらいながら、
私の高校入学を期に、自分でバンドをやるようになり、
次第に音楽の方向はソフトめなロックから、
どんどんヘビーでノイジーになっていき、
でもメタルはダメだったからパンク側にシフトしていって・・・
大学での数年は音楽をやっていましたが、
かなりノイジーでイングランドなモヒカン女でした。
周りにはドン引かれてましたが、私は内心嬉しかったのです。
それが私の本性でしたから。
初めて裸になれた!と思えていました。
 
 
私はおとなしい顔をしています。小さい頃からそうでした。
おとなしい顔が本当にイヤでした。
みんなは「おとなしい子」「頭よさそう」「ピアノとか似合う」みたいに
勝手に私を決め付けていきました。
わたしゃ小公女セーラじゃないやい!
わたしゃ赤毛のアンになりたいのさ!
そんな怒りが私の中を充満していました。
そういつも怒っている事もずっとイヤでした。
あの頃だってピアノより野球がしたかったし。
クラシックも好きでしたが、じいちゃんが好きだったジャジーな
ピアノの方がカッコイイとさえ想っていました。
でもフリル般若はやらせてくれなかった。
「ジャズなんて」と言いました。
音楽だけでない、女の私は、一般常識の「女の子」像には
あの頃全く勝てなかったのです。勝つ方法も勿論知りませんでした。
だからバンド音楽を初めて見て、いつもはおとなしそうな先輩が
ハメを外して、叫んで、歌って、飛んで、幸せそうな笑顔が
私の鬱憤を打ち壊してくれるもののように映ったんだと思います。
私は見た目とは裏腹に頭は良くなかったし、見た目から要求される
キャラを演じ続ける事が限界だったから、余計にだったんでしょう。
だから、ある種の、パンク・カミングアウトでした(笑)
たまたま私の解放は音楽ででしたが、
もしもパンクな絵画系とかに触れてたら、
私は壁という壁に絵を描きまくっていたでしょうね。
そして警察にご厄介になっていたでしょうね(笑)
 
 
 
 
こんな詳細な話は板前のマサさんくらいしか知りません。
言えませんよね・・
今や「若女将」という、真逆な職種についている私。
でもね、想うとですよ。
真逆を知ってるから、より出来る事もあるのですよ。なんてね。
でもね、カラオケではジャニスくらいで止めてますよ?
私も丸くなったもんです。
それ以上の趣味側に行くと、スタッフが辞めてしまいそうで・・・。
ま、その時は裸一貫で、
パンキッシュなシューゲイザー女将としてやっていきます。
ある意味、世界には打って出られる旅館になるかしら?(笑)
でもそんな趣味のお客様しかこない旅館も
ヤダーーーーーーーー!!!!!
 
 
 
 
 
 
 
 

2012.07.19