行く、東北へ。⑩相馬、海沿いを。

取材/写真/文・鎌田浩宮

相馬

走る。
311
から
変わらないの
か?

カーナビ。

2012年4月18日(水)。

午前中、レース鳩小屋の掃除と、ワンちゃんのシャンプーに散歩。
びっしょり汗をかいたので風呂を沸かしてくれ、ひとっ風呂。
その後はおじさん、2人の娘さん、赤ちゃんと家でひるめし。
沢山働いたから、と言ってごはんのおかわりを持って来てくれる娘さん。
ありがとう。

お礼に、皆の分のコーヒーを淹れました。
授乳期の赤ちゃんがいる娘さんには、ココアを。
そしてもちろん、おばあちゃんの仏壇にも、コーヒー。

午後、娘さんの姉の方が、夫の待つ宮城へ帰っていった。
残った者で、相馬の被災した近辺をドライブしようとなりました。
ちなみに杉ちゃん、本日は出勤です。

海のすぐそば。
ゴルフ場が再開して、お年寄りが楽しんでいます。

そのすぐそば。
松川浦という港町。
ボート達の傍らに、丹下左膳の碑がありました。

この写真のみ借用。
元々はこんな場所だったわけです。

そこから少し離れて。
ここにもボート達が。
1年以上経ってもこの風景は、つらいかも知れません。

 

津波


に、
ふたたび、
建てる。

 

海沿いからは、こんな風景が続きます。
津波で全てが、流されています。
右上にある一軒家のように、新たに建て直した家も、たまに見かけます。
高台の、他の場所へ移るには土地代が必要になる。
だけど建て替えるだけの余裕がある家庭は、また同じ場所に家を建てるんです。

同様に、海沿いにあった民宿も、いくつかは営業を再開していました。
新しい理容室が開店して、祝いの花輪が飾られていました。

海沿いでまた、商売を始める。
また津波が来るかもしれない、というリスクを承知の上で、様々な思いの上で決断したのでしょう。

娘さんはこの辺を通るのが久しぶりだったようで、おじさんにずっと
「ここの民宿はどうなったの?あそこは?」
と尋ねてました。

http://www.tamezon.net/nlink/fukushima11.html

このサイトを見てもらうと分かる通り、港町の松川浦にはこんなに宿があって、休業中の宿もこれだけあるわけです。

川沿いを、走ります。

水面が、あまりに美しい。

放射能による禁漁で、海に出ることを禁じられた漁船達。
でも、この原稿を書いている6月25日、遂にこんな報道が。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012062502000200.html

福島沖のタコ、ツブ貝販売 相馬のスーパー
(東京新聞2012年6月25日夕刊)

福島県沖で水揚げされたタコとツブ貝の販売が二十五日、福島県相馬市のスーパーや小売店などで始まった。福島県沿岸で取れた魚介類の販売は、東京電力福島第一原発事故後、初めて。

相馬市のスーパー「中島ストア」では、ミズダコとツブ貝計約三十キロを入荷。「販売開始 セシウムは検出されませんでした」と表示し店頭に並べた。価格は通常より四割程度安く、タコは百グラム当たり九十八~百四十八円。

ミズダコを二パック購入した相馬市の農業斗蔵満(とくらみつる)さん(63)は「今日は買うと決めていた。地元だから応援しないと。刺し身でおいしく食べる」と話した。

相馬双葉漁業協同組合(相馬市)が二十二日の試験操業で水揚げし、市内の加工業者がボイル加工。放射性物質が検出されないことを確認し、出荷した。福島県漁業協同組合連合会は、売れ行きや市場価格を調べる「試験販売」としている。

販売対象は、ミズダコ、ヤナギダコ、シライトマキバイ(ツブ貝)の三種類。相馬市の沖合約五十キロ、水深一五〇メートル以上の海域で取れたもので、いわき市や郡山市など県内市場にも出荷した。

二十七日にも試験操業を行い、販売を県外に拡大する予定。

 

相馬の魚をこよなく愛するおじさんも、今日は買いに行ったかな?

おじさん、この橋は津波にやられなかったの?
「ぎりぎり大丈夫だったんだ」
橋のすぐ下まで津波が来たそうです。
橋に波がかぶっていたら駄目だったかも知れない、と。

松川浦大橋といいます。
写真で、この高さが伝わるでしょうか。

 

 

カハツ
と、
ゲンパツ。

隣町の、新地町にある火力発電所。
地元の人達は「カハツ」と呼びます。
「ゲンパツ」との対義語になっているのかな。
それにしても、こういった煙を見ると原発を想起させられ、どきっとする。

相馬市内にがれきの山を見かけないのは、この写真のように、火力発電所を含む工業地帯の土地にがれきを集積できたから。
この中で、がれきの分別をしています。

 

 

甦る
記憶。
蘇らない
実景。

 

ちなみに、先日の連載分、行く、東北へ。⑦相馬、海、荒野。で杉ちゃんと一緒に行った、元々海沿いの松林の公園だった所とは、大洲公園のことで、震災前の写真を見つけました。

上下とも、写真借用。

風景の変わりよう、見比べて下さい。
信じがたい…。

震災前の写真にある千鳥ヶ池は、この写真右手にあるものと思われます。
遙か遠くに、流されずに済んだ松の木が僅かに見える…。

つづく・・・


2012.06.29