玉音ちゃんradio 第3回「舞天(ブーテン)特集」

エプスタの読者の中には、
鎌田浩宮ってぇ奴は、阪急電鉄の発車チャイムのよーな
いわゆるヴォーカルのない音楽を創っている
と思う人も多いと思うんだけど、
実は同時並行で、ロックバンドも、やってます。

既に当サイト[youtube]をクリックしてもらうと出て来る
トランキル・オーヴァーというバンドも、そう。

そして今は、
舞天(ブーテン)
というバンドをメインに活動してます。

鎌田浩宮;ヴォーカル、ギター、ピアニカなど
山中清紫郎;ギター、コーラス
タカツカアキオ;ギター、コーラス

して、今回、臆面もなく
自分のバンドをラジオに乗せようなんて
これには理由がありまして。

うちら、この大震災の何年も前から
反原発ソング、やってまして、
今頃になって騒いでやがる
そこらのへっぽこミュージシャンとはラベルが違うだよバカヤロウ、
と思ったからです。

ついでに書くとだな、
俺は生まれてこの方、
原発を推進している自民党にも民主党にも
1票たりとも選挙で投票したこたぁねえんだ。

あえて苦言だけど、
こういう事態になって
原発はいけない
と思った人へ。

これまで原発を推進している党へ投票してたんじゃないかい?

世の中には
国語や算数よりも得なければいけない知識ってぇのがあって
何を差し置いても抵抗しなきゃいけねえことが
あるんだよ。

それでは今日の1曲目
「親愛なるりんだへ」
聴いてくれるかい。

 

作曲;山中清紫郎
作詞;鎌田浩宮
2010年11月14日 渋谷・多作にて

りんだ、
俺はあの地震の後、
友達に電話をしてたのさ。

夏休み、どうするの?
なんて、呑気に話してたのさ。

そしたらテレビは、
あの映像を生中継してたんだよ。

放射能は漏れているのか?
ひょっとしたら、東京も、
もう、被曝しちゃってるのか?

楽しみにしてる夏休み、
そんな呑気なことを考えられるのは
もう金輪際なくなるんだ、
俺はテレビを見ながら
電話の口調が
どんどん棒読みのように
なっていったんだ。

りんだ、聞いてるかい?
あのニュースを見て
平気でいられたかい?

しばらくしてから
「放射能漏れはありません」
ってアナウンサーは言うのさ。

でもりんだ、
俺が感じたのは
そんなことじゃあないんだ。

もう、何が起こってもしょうがない、
そんな街に、そんな国に、
既になっちまってたんだ。

20年くらい前に
チェルノブイリがあって
反原発の本がブームになったりして
俺達ゃ大騒ぎしたもんだけど、
もう、しょうがないんだ。

【もう、このよは、完成してしまいました。】

悪夢の3連休が終わって
会社の同僚と話したんだ。

ある奴ぁ、
温暖化を止めるためには安全な原発がいい、
あのニュースもそんなにおおごととは思わなかった、
って言うんだ。

りんだ、
俺の方が、気がふれちまってるのかい?

あんな事故があったって、
アベは年金問題の方が大事だし、
誰も、全ての原発を止めろ、
なんて、言いやしないんだ。

今すぐにでも
チェルノブイリの子供たちのように
なれるかもしれない、
なんて思ってるのは、
なんだか俺だけのようなんだ。

新潟にいた人は
ここにいる俺は、
これからも被曝しないんだね?
りんだ、
返事をしてくれないかい?
話を聞いてくれないかい?

これは2007年に起こった
新潟中越沖地震による
柏崎刈羽の原発に起こった事故を
ポエトリーリーディングの形で歌っています。

 
せっかくなんで、
もう1曲、聴いておくれよ。

昔から、太平洋戦争の際の沖縄戦の悲しみを
歌にはしてたんだけど、
去年、鳩山政権が、
期待させるだけさせといてトンズラした
普天間基地移設問題についてだけは、
あの大集会をした県民の皆や、俺達の気持ちを
あらためて歌にしねえといけねえな、
と思って創ったんです。

「エル・スール」
スペイン語で、「南へ」って意味だよ。
 

作曲作詞;鎌田浩宮
2010年8月29日 下北沢・mona recordsにて

その島は 君のもの  太陽と海の 素敵な島
その島は 君のもの  僕らも憧れる 君の島

フェンスの 向こうは       君の町が昔あった     所
豊かな緑 花 咲き誇り 微笑み絶えなかった 所
君の祖先が 歌 歌い   豊かに暮らしていた  所

その島は 君のもの   彼等の物ではないはず
その島は 君のもの   彼ら居座ったままだけど

夢の ように と つぜん  フェンス消え去り 飛行機消え去る
豊かな緑 花 咲き誇り 
この 島 遂に 自由に   どこ までも歩ける のさ

僕の歌詞は、
オブラートに包まず
「ふざけんじゃねえ!」
って曲が多いんだけど
この曲は、あえてそうしなかった。

極力、抑制した歌詞にした。

ちなみに、
舞天というバンド名も、
戦後間もない頃、
沖縄のチャップリンと言われていたコメディアン、
小那覇舞天さんからもらったんだ。

小那覇舞天さんは、
人口の1/4とも1/3ともが亡くなったと言われる沖縄戦の後、
焼け野原を歩き、
今日はこの村、明日はこの家と、
巡り回っては
面白おかしい歌を歌って
悲しみに打ちひしがれた人々を
笑わせていた。

ある日、いつものように
とある家に行くと、
皆が泣いていた。

それでも小那覇舞天さんは
いつものようにおかしな歌を歌いだす。

家の人が1人、怒って言った。
不謹慎だ、と。

小那覇舞天さん、こう言ったね。
「こんなにも沢山死んだ中で、私達は生き残ることができた。
生き残れたことを、お祝いしようじゃないか。」

人々は全てを理解し、皆で笑って聴いたという。

 

・・・これこそが、ブルーズなんだよ。
小那覇舞天さんのようになれるよう、
僕等はバンド名を決めたんだよ。

ちなみに、舞天の試聴サイトは
http://www.myspace.com/booten1945
だよ。
他にも色んな歌が聴けるよ。

これからも、
面白おかしい歌を
沢山歌っていくぜ。
よろしくね。

2011.04.26