キャマダの、ジデン。㊾實おじさんの異変

鎌田浩宮・著

 

小学2年の3学期に
一家離散した僕の家族が再集結し
僕と弟は
恵子おばさん實おじさんの家から
親元に戻る事になった。

仕事が終わると
まっすぐ帰宅して
僕らと遊んでくれたおじさんは
僕らがいなくなった後
家にまっすぐ帰らず
飲み歩く事が増えたそうだ。
寂しかったのかな…。

しかし、
その数年後
次男・健次くんが生まれた。
その4年後
長女・三喜子ちゃんも生まれた。

おばさんおじさんは
家族皆でよく
三軒茶屋の僕の家に
遊びに来た。

ビッグマンとか
大五郎とかの
格安な焼酎の
2.7ℓか4ℓペットボトルが
手土産だった。

「姉ちゃんのは絶品だよ!」
とねだるおじさんに乗せられ
母はいつも
大して美味くないお好み焼きを
沢山作ってくれた。

すき焼きを作る
時もあった。
三軒茶屋にある
肉のハナマサへ行くと
實おじさんが
「カルビが安いな」
と言い出し
セールのカルビを箱買いし
帰宅しすき焼きの鍋に投入した。
脂でギトギトのすき焼きが出来上がり
僕らは大笑いした。

そもそも母のきょうだいは
結びつきが強かった。
母が高校を卒業し
東京に出てきた時も
先に上京し働いていた
修おじさんのアパートに
居候したのだった。

母が結婚し
實おじさんが高校を出て
上京した時
實おじさんは昼休みに
代官山の職場から
自転車で代沢までやってきて
母の作った昼ごはんを食べて
また出勤するのだった。

昔の家族は
どこも仲のいい
兄弟姉妹が多かった。
特に、
生みのお母さんが
30代でなくなった母方は
継母にいじめられた
辛い経験があり
母のきょうだいの結束は
固かったのかも
知れない。

そして、現在。
ビッグマンとお好み焼きの
楽しい日々のある日
小岩から電話があった。
おじさんが
交通事故に遭った。
おじさんは自転車で
車にぶつけられたのだった。
100%、車が加害者だった。

修おじさんや母や
皆が集まって相談をした。
「親族の中で浩宮が1番賢い」
当時20代後半だったか30代前半の
僕が加害者との
交渉役に選ばれた。

加害者も
わざと事故を起こした
わけではない。
先方も辛いだろう
僕は極めて相手を慮った。

最初の交渉の後、
「ちょっと親切すぎやしないか」
と皆から言われた。
今から思うと
その通りだ。
情けは持ちつつも
金銭面などは
冷淡に話を進めるべきだった。

2回目からは
僕の出る幕は
なくなった。

その数年後
おじさんに
異変が起きた。
体の動きがおかしいのだ。

パーキンソン病
と診断された。
難病中の、難病だ。

事故との関連性はない
とも診断された。
パーキンソン病が難病指定なのは
発症の原因がつかめていない
からであった。

しかし、
おじさんの家族の
心は憤った。
交通事故さえなければ。
加害者を絶対許さない。


2015.07.17