第二夜:「わすれもの」

diary_002

こんばんわ。 細うで繁盛記のけい子(仮称)です。
ま、特に繁盛もしていなければ、腕ももう細くはないですけど。 はい。
今日もようやく一段落したので、厨房室で一人これを書いています。
何故そんなところでと思われるでしょうが、ここは食事時が過ぎれば
一番静かだったりします。 あと、ブーンという巨大冷蔵庫の音も、
私には少し心地よかったりもするのです。
書き終わったら、今日は最後にある作業をしなくてはなりません。
それはお客様の忘れ物を送り返す為の梱包作業。
今日のは滋賀からお越しくださっていたご家族の、お子さんの玩具。
いわゆるチョロQってのです。

お客様は本当に色々とお忘れになります。
財布、携帯電話、家の鍵、オモチャなどはしょっちゅう。
でも結構多いのが下着。 これは困ります。
ある中年男性のお客様が下着をお忘れになりました。
ブリーフです。 白の。
そのまま返すのも何ですので、通常ハンカチやら下着など
洗えるものは洗濯してから送り返します。
しかし・・・戻ってくるんです!!
こちらが住所を間違えたのかと思い、もう一度発送しても戻ってくる。
その住所は違うと。
困ったので、その方の携帯電話に電話をしてみました。
これが繋がるんです。 その方は仕事の関係で転居したからと、
新住所を教えて下さいました。 そしてそこに下着を送りました。
これで一安心。
でも・・・戻ってくるんです!!!
再び電話をすると、また用事が出来たから転居したんだと。
で、再び送る。 で、また戻ってくる。
携帯電話だけは繋がるから、その度に新住所を聞き、送り返すが、
すぐに戻ってくる。
一体全体どんな人生をその方が歩まれているかは私には分かりませんし、
想像する気も起きませんが、もう、パンツ郵便のやり取りはそろそろ
終わりにしたいです。  ええ、まだ続いているんです・・・。

忘れるといえば、あの方。
もう二年ほど前になるでしょうか。 山々の紅葉が見頃になった、
そんな秋晴れの日でした。
通常のチェックイン時間よりも随分早い時間に、女性が一人玄関に
立っていました。 かなり御歳を召したその女性は和子さん(仮称)と
いう方でした。 和子さんはもう何度も御夫婦で当旅館をご利用頂いている
方で、御夫婦共に大変品のある、柔らかな物腰の女性でした。
しかし、その日御夫妻の予約はなされておらず、隣にいるはずの
ご主人の姿もありませんでした。
私がお声をお掛けしてもその場でぼんやりしたまま、玄関からロビー内を
眺めて、主人は先に来ているからと、それだけを言い続けていました。
話しかけても私の事は覚えていないようでした。
しかしお得意様である御夫妻でしたから、私は予約の事もご主人の事も
気にせず、夫妻がいつも御泊りになるお部屋に案内しました。
和子さんの手には旅行カバンなどもありませんでしたが、ご主人は
御到着が遅れているだけ、お荷物もご主人がお持ちだろうと、
そう思おうと、思いました。
お部屋に着くと和子さんは窓辺の椅子に座り、紅葉をぼんやりと
眺めてみえました。 今想えば、あのお姿は酷く寂しそうでした。

夜になってもご主人は現われませんでした。
私は気になって和子さんのお宅に御連絡をしました所、大事になって
いました。 和子さんは数日間、失踪されていたのです。
そして、和子さんのご主人は三ヶ月ほど前に亡くなられていました。
御家族のお話によると、ご主人が亡くなられてからすぐに、和子さんは
認知症を現すようになったそうです。
私共は和子さんの御家族が到着する翌日まで、和子さんと亡くなられた
ご主人をもてなすことにしました。 お出ししたお料理を美味しそうに
頂く和子さんの姿は以前と何ら変わりませんでした。
ただ、時折ご主人が座っていた場所を見ては不思議そうな顔をして
「遅いわねぇ」と口にするのを、私と仲居頭はぎりぎりと締め付けられる
想いで見ておりました。
その晩は、怖いほど綺麗な月が出ていた事を覚えています。

昨年末、その和子さんも亡くなられたとの連絡が
御親族の方からありました。
最後にこんな遠くの旅館まで来て頂けた事を嬉しく想う反面、
もう二度とお越し頂けない事を実感するのもやはり辛いものです。
仕方のないことと理解はしていても。
忘れて尚、忘れないこと。 そこにはどのような基準があるんでしょうね。
私もまた、主人に先立たれた身。
忘れてしまうなら、私も主人以外の事から忘れたい。そう願います。
 
 
このチョロQ。
後ろに引き戻さないと、前にはぜったい進まないオモチャなんですね。
なんだか人生のようで、ひどく皮肉っぽいです。
 
 
 
 

2010.07.28