玉音ちゃんradio 第15回「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー」

一部写真/DJ・鎌田浩宮

oh,yeah !
年末近い今日のラジオは、
キヨシローを
皆で沢山聴きまくろう!
幼稚園児でさえ
インターネットに詳しい
この時代に、
こちとら
相変わらずの
疑似文字放送!
でも、
心のレコード針を
一緒に落としながら
聴いてくれい!

 

このことは、僕の胸の内だけに閉まっておけばいいんだと思い、
ずっと書かないでいました。
でも、すんごく考えた末、もしも共感してもらえる人がいるのならと思い、
書くことにしました。

2011年、2012年と続けて、
「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー 日本武道館 Love&Peace」
が催されました。

2011年のそれは、行ってよかったあ!と心から思えるものでしたが、
2012年のそれは、残念ながら居場所のないものでした。

ネガティヴなことを書く気じゃないんだ!
出演者に文句言う気じゃないんだ!
皆さんを不快にしたいわけなどありゃあしない。
ただ、来年はもっとよくなってほしい、
そんなこと考えてるヤツがいるんだ、
と思ってもらえれば…。

2011年にあって2012年になかったもの、
それは、清志郎の不在を悲しいものとして歌う、ということ。

僕は、今もなお、清志郎の不在が、悲しくて、つらいです。
そういう思いって、2年や3年だけじゃ、変わらないんです。
それでも普段は、それを乗り越えようと日々を過ごしています。
だから、5月2日くらいは、悲しみやつらさを、分かち合いたい。
だから、この日くらいは、泣いたっていいじゃないか。

2011年は、チャボが清志郎との最後の共作
「激しい雨」を、何かを決意し、遂にフルコーラスで歌い、

RCの最強極まりないコーラス、下北沢のジャニス・金子マリが
当時楽屋で遊んでいた子供・ノブアキとkenken、2人の息子を従え
疾走感溢れる「ミッドナイト・ブルー」を叩きつける。
スネアも、ベースの弦も、ちぎれるんじゃねえかと思うほどに。

ハナレグミが、今なお銀河を旅してる清志郎を想起させる
エフェクティブなギターの弾き語り「多摩蘭坂」「君を呼んだのに」。

こんなにソリッドなキレ味のあるロックだったのかと再認識させた
クロマニヨンズの「ROCK ME BABY」「ベイビー!逃げるんだ。」。
(クロマニヨンズヴァージョンは…こっちだ!)

泉谷は唯独りしっかりと反原発ソングをシャウトしてくれ
今現在、清志郎が如何に世界に必要かを唱えた。

細野さんにも、タブーなんか、ない。
「風邪ひいて弱ってるんだけど、放射能で弱ってるんだか解んないんだけど」
と呟く細野さんは、そこいらより、よほどロックしている。

でも2012年は、一部の出演者を除いて、
悲しみやつらさを乗り越えようとするあまり、
前向きに明るく振る舞おうとする姿が、逆に悲しく、辛かった。

それは、家族やベイビィズ、チャボやコーちゃん梅津さん片山さんら
RCサイドの意向があってのことかも知れないんだけれど、
2012年は、楽しく清志郎を歌おうというフェスのように感じたんですね。

小泉今日子と浜崎貴司が出てきて第一声、
「イェーイ!皆、kyon2とつきあいたいかーい?!」
で「つ・き・あ・い・た・い」を歌いだした時、
ひどく興ざめしてしまったんです。
僕はkyon2を嫌いではないし、
彼女が20代の頃、好きな本の中に清志郎の詩集
「エリーゼのために」
をあげていたことも知ってます。
でも、今日はkyon2とつきあいたくて、ここに来たんじゃない。

どうだ!
この映像、テレビ神奈川の、今は無き「ファイティング80’s」からだ。
ステージが狭い!

その次の吉井和哉は、
「なんで僕が出演しているか不思議な人もいるでしょう」と、
自分がそれほど清志郎のファンでなかったことを暗に吐露。
しかも1曲は、ジョン・レノンの曲を歌ってしまった。

その次の、大好きな元・憂歌団、木村充揮・内田勘太郎の
「上を向いて歩こう」は、RCヴァージョンを知らないかのような
完全な坂本九ヴァージョンでの演奏。
2012年はRCと同世代の出演者が減っちゃったから
2人には、とっても期待していたし
実際、木村の声も勘太郎のギターもよかったんだけど。

これが!RCヴァージョンだど。

そして、これこそが!RCヴァージョンだど。

斉藤和義と奥田民生が出て来た時も、
「楽屋のお煎餅を皆食べちゃって」
と、彼らの世代ならではの、ステージ上でゆるいトークが。
この、ゆるさが彼らの人気の大きな1つなんだけど、
それは、清志郎の疾走感溢れるステージングの継承では、ない。

舞台準備の合間に流れるVTRの出演者も、
明らかに清志郎と深い仲ではなかった、秋元康など。
だから、冨士夫ちゃんがスクリーンに出た時は嬉しくって、
「こういう人を出せよ!」
と野次を飛ばしてしまったんです。
よくぞ闘病の中、出てくれた盟友、ティアドロップスの山口冨士夫!
体調良くなったら、今度は歌いに来てくれよ!
客を呼べるミュージシャンばっかし集めたって、しょうがねえんだ。

この映像は、冨士夫ちゃんと清志郎の共作、「ピッカピカダイアモンド」。

そして、そんなゆるい空気を吹っ飛ばしてくれたのが、三宅伸治。
伸ちゃんは決して世間で有名じゃあないが、ローディーから始まり、
長年清志郎の右腕として、最後まで彼を支えてきた。
後年、清志郎の曲に更なる魅力が深まったのは、
作詞作曲録音、一連の伸ちゃんとの共同作業によるものだと思ってます。

2011年はスケジュールの都合か、それとも敢えて拒んだのか、
出演しなかったのがとっても残念だったんだけど、
今年はたった1人の弾き語りで、その場の雰囲気を一気に変えちまった。
ブルーズの古い奏法、ストンプで…。

映像は、伸ちゃんのデビュー20周年記念ライヴイヴェント
「BACKしよう」より、伸ちゃんと清志郎の共作、2人による傑作、
「JUMP」で行こう。

2年続けて出てくれたアッコちゃんは、その場の
「空気」
ってやつを、読もうとしない。
この映像の最後の、アッコちゃんの話を聞いてほしい。
暗黙のうちに誰も言わずにいたことを、彼女は言う。
それは、彼の不在を偲ぼう、ということだ。

彼の不在を偲び、
彼の精神を思い起こし、
彼のソウルに近づこうとし、
彼のステージを継承し、
彼の歌を噛みしめ、
胸に刻み込む。

それは、無理に悲しんで行う必要もないけれど、
無理に明るく振る舞う必然も、皆目ない。

だって、5月2日になると、未だに
「胸が張り裂けそう」
になるんだからさあ…。

最後の曲は、2011年にサンボマスターが演奏した
「キヨシローを世界中の人に自慢したいよ」で行こう!

このつたないラジオを、主催者の人が聴いてくれて
ちょびっとでも来年の参考にしてもらえたら嬉しいです。

今回は2011年、2012年のロックン・ロール・ショーで
歌われた曲を基に選曲したけれど、
こうして聴いてみると、原曲のすごさ、すごみに、感動します。
そして、それをリアレンジした出演者の素晴らしさにも、感動です。


2012.11.09