没後17年「渥美清さん夢をありがとう」小諸より

取材/写真/文・鎌田浩宮

小諸

愛した
渥美さん

ために。

8月4日は、1996年に亡くなった、渥美清さんの命日。
毎年この日は柴又で過ごすようにしてたんだけど、今年は違います。

先日もエプスタでお伝えした、長野県小諸市にある「渥美清こもろ寅さん会館」の営業再開に奮闘している、轟屋いっちーこと一井正樹さんが代表を務める「コモロ寅さんプロジェクト『いつもココロに寅さんを』(通称:ココトラ)」が主催する、「渥美清さん夢をありがとう」というイヴェントにお呼ばれされ、行ってきました!

いっち―との出会い、そして渥美清こもろ寅さん会館の現状については、エプスタのこの記事をお読み下さいね。

小諸のあちこちに貼られてある、このチラシ。
前日の8月3日に到着した僕の最初の仕事は、このチラシを200部コピーし、彼らとこのチラシを街頭で配ること!

東京のように、近くにコンビニ、ないからね。
ちょいとちょいと歩いて、やっと1軒。
コンビニの店長さん、親切だったなあ。
せっせと、コピー。

ちょうど8月3日はお祭りの日で、地元の人や観光客で一杯。
この僕も宿が取れず、大変だったのよ。

街頭のチラシ配りは、初体験。
見知らぬ土地で、見知らぬ人に受け取ってもらうのは大変、なんて事ぁ思わず、ココトラのために、渥美さんのために、懸命になって笑顔絶やさず声を出して配りました。
すると。
東京のように、拒絶する人、皆無。
「あああ、もう17年も経つのかね」
お喋りを返してくれる人や、自分から手を伸ばして受け取ってくれる人も。

チラシを配り終わった後は、こんなに景色のいい所の芝生で車座になって、楽しい交流会。
どんどんココトラのメンバーが集まり、20人くらい。
「男はつらいよ」で衣装部を担当されていた方もいらしたりして。

皆お酒とおつまみを持ち寄る約束で、僕も三軒茶屋からワインと豆菓子を持ってきました。
荷物が重いだなんて、関係ないんです。
ココトラの皆さんの、普段のご苦労に比べれば。

陽が落ちて、遠くで花火大会。
どなたかが持って来てくれた、茹でたとうもろこしに、ビール。
渥美さんが下さった、最高の、夜。

 

手作り
だから
素晴らしい。

 

当日は、朝8時集合。
いやあ、僕、実はばりばり二日酔いです。
しかし、10時の「開映」に向けて、懸命に設営。

会場は、寅さん記念館の中庭。
実は、現在、館の所有者となった小諸市から、館内の使用の許可が出なかった。
なので中庭に、自分らで用意した日よけのテントを張り、椅子を並べ、献花台を設置し、スピーカー等を設置し、等々…。
皆、持ち寄りよ。
予算なんぞないので、献花の花も含めて、ココトラの人々が身銭を切って、ね。
そして丁寧に、渥美さんの像を拭くスタッフ。
もう、手作り感、満載。

命日にこのようなイヴェントをやるのは、小諸では今年が初めて。
天気は、曇り。
これなら熱中症も安心。
これも、渥美さんが計らって下さったのかなあ。

10時、献花式、開始。
小諸市長の代理で来て下さった方や、市議会議員、商工会の方もいらしてたっけ。

来賓挨拶が、続きます。
そして、我らがココトラ代表、轟屋いっちーこと一井さんの弔辞です。

テレビ局や新聞社も、取材に来ています。

自分が死のうかと思うほど辛かった時に「男はつらいよ」と出逢い、今に至る話をしています。

そしてこの後、この中庭にある、山田洋次監督による碑の文を、僕が朗読させてもらいました。
映像は、ありません。

わが友、寅さん

寅さん、おまえと日本中を旅して歩いたあの長い年月のことを、僕はどれほど懐かしく思い出すことだろう。
ああ、旅先でおまえと語り合った楽しい日々!
おまえの馬鹿馬鹿しい失敗話に笑いころげ、お前の家族を思う気持ちにしんみりさせられ、そしてお前の数えきれないほどの失恋話についホロリとさせられたりしたっけ。
寅さん、今頃どこで何をしてるんだ。
日本のどこかで相変わらず美女に恋をしているのか。
それとも信州は小諸あたりの道端で、小さな店をひろげて例の調子のいい口上を叫んだりしているのかい?
たまには帰ってこいよ。みんな心配してるんだ。せめて便りの一本ぐらいよこせ、あの金釘流のものすごい葉書でいいからさ。
なあ、聞こえてるのかい、寅さん。
一九九七年八月

山田洋次

そして、献花が始まりました。

BGMは、ラジカセから流れる「男はつらいよ」のサウンドトラック。
皆、長い時間をかけて、像を見つめながら、じっくりと花を捧げます。

お供えと共に、像の前に置かれた紙粘土の人形。
これも、ココトラのメンバーの1人が創った手作りのもの。
皆に、人気でした。

中締めは、19歳の若き寅さんファン・かっくんこと各務(かくむ)雄太君のハーモニカ伴奏に合わせて、「男はつらいよ」を合唱です。
かっくんは、前日のお祭りでも観衆の前で「男はつらいよ」の演奏を披露。

昨日のチラシ配りの成果か、地元から、遠くから、献花に訪れる人々。
小諸が舞台の人気アニメ「あの夏で待ってる」のコスプレをした若者たちも来てくれました。
東京から、21世紀寅さん研究会の人々も手伝いに来てくれました。
渥美さんをストリップ小屋時代から知る方もいらっしゃいました。
嬉しかったです。
熱中症にならないように、来て下さった方々へ、冷たいお茶やお菓子、すいかなどをふるまいました。

何せ午後からは、一転して、晴天。
スタッフも、汗だく、日焼け。
渥美さんは、晴れ男だったのかな。

 

柴又

皆さん、
小諸

奮闘努力、
元気

です。

 

そしてその頃、柴又・帝釈天では「佐藤利明の柴又トーク・ミュージアムvol.5」というイヴェントが行なわれていました。
これは、文化放送「続・みんなの寅さん」のパーソナリティを務める娯楽映画研究家・佐藤利明さんが、ゲストに「寅さんの伝言」の著者であり、朝日新聞編集委員の小泉信一さんを招き、「『おーい、渥美清さん。』-天才俳優を語る-」という追悼トークショウなんです。

僕は佐藤さんの文が大好きで、よくこのサイトを見ては、いい事を書く人だなあと感嘆しています。

そこで、柴又と小諸を電話回線で中継して、対談をやっちゃおうということになったんです。

インターネットが普及しているこの現代。
我々は、携帯電話をスピーカーフォンにして、それをマイクで拾い、昔からあるカラオケ用のスピーカーで音を出すというゲンシテキな方法で中継。
いいでしょ?

僕も、普段音楽をやっているおかげで経験が役立ち、マイクや音響のセッティングに奮闘努力です。

佐藤さんらが、小諸の会館再開を応援してるよと熱いメッセージを送ってくれました。
佐藤さんたちも、再開を心から願っているのです。
日本中の寅さんファンの思いなんです。

引き続き、「男はつらいよ」で衣装部を担当していた本間邦仁さんと、いっちーとの対談。

そして、コミュニティテレビこもろの取材に答えるいっちー。
いっちーも、一部のスタッフも、昼飯を取らずに頑張ってます。

そして渥美さんのおかげで、子供たちの憩いの場ともなりました。
親子連れで献花して下さった方、多かったなあ。

正直に書きます。
決して、何百人も何千人も献花があったわけではありません。
でも、小諸という小さな街で、決して多くない人々が立ち上がり、協力し合って1つのことを成し遂げたんです。
この達成感は、たまらないものでした。

大成功だね、大成功だね、と、皆口々に言い合いました。

最後に、ココトラ広報担当の渡辺広昭さんの挨拶があり、再びかっくんの伴奏で「男はつらいよ」を皆で歌いました。
予定の午後4時を少し過ぎ、「終映」。
5時には引き渡しをしないといけないので、大急ぎで後片付け。
そして、皆で固い握手、抱擁、記念撮影。
ココトラの人々との、素晴らしい出会いでした!

翌日の信濃毎日新聞には、この催しが、カラー写真つきで報道されました。

間髪を入れず、来たる8月31日(土)には17時より、こもろ寅さん会館にて、「男はつらいよ」第1作を、今では珍しい35㎜フィルムでの無料上映会を開きます。
これは初代マドンナ・光本幸子さんの追悼上映でもあります。
そう、会館には35㎜の映写機があるんですねえ。
すんごい、貴重。

僕もまた、手伝いに行きますよ。
皆この日は、小諸で、会いましょうね。

渥美さんが命を削って、僕らを笑わせ、泣かせ、豊かにしてくれました。
これからも、渥美さんに、恩返ししていきます。
そして、会館の再開、皆で頑張っていきますね。


2013.08.07