渥美清こもろ寅さん会館は。

文/写真・鎌田浩宮

そして僕は
上田から
ローカル線に乗り、
小諸で降りた。

ローカル線は、
いいね。
1時間に、
1本か2本しか
ないんだもんね。

  • 朝は、切符切りの駅員さんが「おはようございます」と乗客1人1人に声をかけてくれる。

 

小諸。
シリーズ第40作「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」のロケ地でもあり。

本当は上田と軽井沢の間にあるこの駅にも、新幹線が乗り入れるはずだっただず。
当時の市長が、環境破壊とか景観破壊とかで反対し、新幹線は迂回し佐久平に停まるようになったそうだず。
田んぼしかなかった佐久平には、イオンモールだのの大型店舗だのホテルだのマンションだのでピカピカした街になっただず。

おかげで小諸は寂れちゃってよう、と人は言っていたけれど、僕にとっては、昔と変わらない駅舎が嬉しかった。
そう、小諸には、かつて来たことがあるのよ。
それに「サラダ記念日」も、何度となく観てる。
映画の中の小諸、なるべく変わってほしくないから。

  • 駅から徒歩5分。広大な駐車場。鉄筋の大きな建物。

 

さあ、小諸に来た1番の理由は勿論、渥美清こもろ寅さん会館へ行く事!
駅から少し離れた観光案内所へ、レッツ・ラ・ゴン。
小さな案内所には、受付の女性が1人と、僕1人だけ。
こりゃあ上田同様、じっくり話を聞けるだに。

「あら。寅さん会館、休館してるのよ」

ヴェ!

  • 無造作に放られた看板。涙が出てくる。

 

後頭部を鈍器で殴られたかの如し。
でも、そういえば以前、風の便りに聞いた事があった気がした。
資金難による、休館。

「冬のストーブ代だって結構かかるのよ」

受付のおばさんは、丁寧に教えてくれる。
しかし、参っただ。
今日、やる事が、なくなってしまっただ。
寅さん会館をたっぷり堪能し思いを馳せ、できればそこで渥美さんら山田組がロケで泊まった宿を教えてもらい、そこに泊まろうかと思っていただ。

  • 「休館中」と紙を上貼りする時、どれほどつらく悔しかっただろう。

 

「あのね、すぐそこに寅さん大好きな人がいるから、その人とお喋りしていけば?懐古園の入口にいるわよ」

な、なんちゅうざっくりした観光案内だ。
三軒茶屋のハナマサに買い物に来たら休みだったので、ハナマサでよく買い物するキャマダとお喋りしていけば?ぐらい、なざっくりさだ。
でもって観光案内所で、観光地じゃなく人をお勧めするってのも、ある意味画期的。

しかし、他に夜まで過ごす案もない。
旅は、人との出会い。
面白いおじさんと楽しくゆんたくできれば、それもいいだか。

  • 美しいデザイン。来る前は、小さな民家の一室でも利用した館なんだろうと高を括ってた。

 

教えられた通り、有名な小諸懐古園の入口に行く。
そこで人力車を商っている人が、その人だという。

人力車、あった。
だけど、看板が置いてある。
「只今給油中につき、少ししたら戻ります」の旨。
こんな遅い時間にお昼ごはんかあ、大変だねえ。
こうなりゃ気分が寅さんだ、こちとら時間だけはたっぷりある、ベンチに座ってのんびりするか。
誰もいない懐古園に、ぽつり。

…小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ…

  • 柴又駅同様、寅さんの銅像が立っている。何を見つめているのだろう。

 

遊子、
小諸の雄

出逢う。

 

少しすると、人力車夫の服装も凛々しい若者がやって来た。
彼こそが、生涯の友になってしまった、轟屋いっちーこと、一井正樹さんだった。

事情を話すと、いっちーはお昼ごはんの入ったコンビニ袋を放り投げ、僕にお茶を出してくれた。
旅の途中というのは、とかく喉が渇くもんで、ああありがたい、いただきます。

それから2人は時が経つのも忘れ、寅さんと渥美さんについて語り合ったんでぇございます。
寅さん会館が閉館してしまい、いっちーがあちこちを駆けずり回って会館再開を訴え、遂にそのめどが立ったとのこと。
すごい人物なんだ。
市を動かしちゃったんだ。

いっち―、昼ごはんは食べなくていいの?
ごめんね、相手をしてくれて。

それにしても、なぜ小諸にこそ寅さん、なのか?
単純に、「サラダ記念日」のロケが縁だとばかり思ってた。
いっち―が、教えてくれた。
それが、違うのよ。

書き間違いがあるとよくないので、いっちー達が以前行なった署名運動の文面を、転載させてもらいます。

小諸は、寅さんの心のふるさとです

なぜ小諸に寅さん会館があるのか、それは小諸が映画「男はつらいよ」(第40作寅次郎サラダ記念日)の舞台になったからというだけでなく、一番の理由はそもそもここの館長であられた井出勢可さんと寅さんを演じた俳優故・渥美清さんとの長年の友情によるところが大です。井出さんとは同い年でありながら「小諸のお父さん」と慕うほど格別の想いを持って接し、その30年以上に及ぶ深い交流から、幾度となく小諸を訪れた渥美さんは、豊かな自然と歴史ある街並み、そして何より地元の人々の温かい人情に触れ、いつしか「小諸は俺の心のふるさと」「(晩年は)小諸に住みたいなぁ」と漏らすほどこの街を愛するようになりました。

そんな思いから渥美さんは自身の所有する映画関係資料やプライベートの品々を惜しみなく井出さんに譲りました。井出さんは、これを自身のコレクションにだけとどめておくのはもったいないとの想いから、できるだけ多くの人々にも観てもらえるような記念館を造りたいと考えました。これに渥美さんや山田洋次監督はじめ松竹と小諸市も賛同し、全面的なバックアップのもと実現したのがこの会館なのです。さらに渥美さんの死後に授与された国民栄誉賞も、夫の思いを尊重した奥様の意思により、その本物の楯が小諸に預けられ、葛飾柴又の記念館とは一味違った貴重な寅さんの殿堂となりました。このことからも、小諸は映画のいちロケ地にとどまらず、寅さんを演じた俳優・渥美清さんが愛した街、いわば“寅さんの心のふるさと”といえる街なのです。

ところが、昨年10月に井出館長がお亡くなりになって以降、後継者不在から存亡の危機に陥り、もはや市に頼るしか術がない状況でしたが、肝心の市には積極的に守ろうという姿勢がなかなか見受けられませんでした。そこで、先日私たちは市長に要望書と会館の再生案を持って再度交渉に臨みましたが、残念ながら前向きなお返事をいただくことはできませんでした。

しかし先にも申し上げたように、この会館が設立された理由や背景を考えれば、これは小諸にあるからこそ意義のあるものです。渥美さんと井出さんの想い、そして今までここを心の拠り所としてきた全国各地のファンの想い、それすら無にしてしまうような今の状況を看過するわけにはいきません。

なるほど!
だから世界広けれど、小諸にのみ、会館設立が許されたんです。
だから国民栄誉賞の楯も、東京にある葛飾柴又寅さん記念館ではなく、小諸に寄贈されたんです。

いっち―は、若い。
30代前半、かな。
「男はつらいよ」を、リアルタイムで映画館では観た事がなかったそうで。
でも、「男はつらいよ」を、渥美さんを、小諸を愛する気持ちは誰より大きな、純朴でいいヤツなんだ。

  • 「男はつらいよ」を愛する事は、山田監督をも愛する事。

 

雨が降ってきた。

テキヤ殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいい。

商売あがったり、人力車は店じまいにするという。
遠慮しないで何でも言って下さいと、片づけを手伝った。

「よかったら、今夜、一杯やりませんか?」
いいですねえ!
僕はたった1時間喋っただけの、裏も表も見知らぬ青年の誘いを快諾した。
「男はつらいよ」が好き、たったそれだけで、全幅の信頼を寄せる事が出来たんだ。

つづく・・・


2013.06.28