walkin’ to the beat everlasting③

写真・文/鎌田浩宮

昨日2023年2月18日土曜日、世田谷美術館に行ってきた。「それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱」展関連トークイヴェント「もう、アートの祭りだ!ビックリハウスでムーンライダーズやヒカシューが遊んだ!」。慶一さんや巻上さんはもちろんのこと、編集長(女)ことアッコちゃん、高橋章子さんがこういったイヴェントに登場するのはいつ以来か。行ぐ!

決して自慢ではないのだが、高校生の頃「YOU」に出演したことがあった。その時のゲストがアッコちゃんと竹中直人さん。憧れの2人だ。物凄く嬉しくって、当時僕がデザインと編集を担った文化祭のパンフレットを見ていただいた。「高校生だからって手加減しないよ。ちゃんと批評するからね」とおっしゃりながら笑顔でページをめくる竹中さんに感激、卒倒しそうだった。

昨日は、スクリーンにビックリハウスの記事を投影しながら、当時を楽しく振り返る内容。当時ファーストアルバムを出したばかりのビートニクスも連載を持っていた。慶一さんが相撲取り、幸宏さんがフラメンコダンサーに扮する写真が投影され、皆で笑った。幸福な時間。昔からお世話になっているイノリンさん(ビックリハウス編集部)とも再会でき、本当に嬉しかった。

トークの後、巻上さんと慶一さんのライヴがあった。慶一さんは弾き語りでビートニクス3枚目のアルバムから「道路には」を歌った。フラメンコの幸宏さんで爆笑していたのに、この歌で涙が止まらなくなった。このイヴェントのチケットを購入した時は、まさか幸宏さんを偲ぶことになるとは思っていなかった。

ビックリハウスを読み耽っていた中3キャマダ、1983年。幸宏さんのオールナイトニッポンが始まり、聴取率が悪くたった9ヶ月で打ち切られた。同時にYMOが散開した。招待券抽選に当選し、武道館での散開ライヴを観ることができた。びゃんびゃんだった。映画「プロパガンダ」も走って観に行った。

このラジオで、幸宏さんと細野さんの笑いのセンスは卓越していた。この最終回は僕も当時カセットテープに録音し、今でも大切に取っておいている。

翌1984年。幸宏さんのソロアルバム「WILD & MOODY」は素晴らしい曲ばかり。大好きな1枚だ。「Strange Things Have Happen」はソウルフルでグルーヴにうねりがあって、幸宏さんの新たな才能を拝見した心持ちだった。「NEUROMANTIC」「WHAT, ME WORRY?」「薔薇色の明日」のどれもが幸宏さんの代表作、大好きなのだが、このアルバムは特に大好き。

ただ、この時期の幸宏さんで1曲だけ選ぶのであれば、なぜかこの曲 「flash back 回想」 を挙げたい。教授が作曲したものであり、代表曲にはふさわしくないのかも知れない。でも、この曲はひとつの音楽として、本当に素晴らしい。そして、幸宏さんならではの素晴らしさに溢れている。幸宏さんのヴォーカルと歌詞があって、初めてここまで到達したのだと思う。さらに、幸宏さんと教授の友情が、この曲を至上のものに仕上げているような気がする。

2023.02.19

walkin’ to the beat everlasting②

写真・文/鎌田浩宮

中学生になって、岩ちゃんと友達になった。それまでロスで暮らしていた岩ちゃんは、ビートルズにとっても詳しくって、ギターも飛びぬけてうまかった。中学生と言えど、ビートルズを聴いている者はほぼいなかった。YMOやRCを好きな者だって、クラスに2人くらいしかいなかった。よくチャボが「日本中でビートルズが人気だったって言うけど、好きな者はクラスに2人くらいだった」という話をしてくれるけど、僕の頃もそんなもんだった。ほどんどの中学生は、たのきんトリオや聖子や明菜やKYON2といったアイドル歌謡しか聴いていなかった。RCサクセションが「キモちE」をシングルで切って沖田浩之が「E気持」という曲を出して糸井重里がヘンよいの見出しに「気持A」と掲げた時期だった。

キャマダ家蔵、ビックリハウス

岩ちゃん家に遊びに行って、お兄さんが使っているシンセサイザーを見せてもらった。鼻血びゃん。お兄さんは学生バンドをやっていて、先日出たコンテストに筋肉少女帯という面白い名前のバンドがいたとのこと。岩ちゃんはYMOも好きだった。英語も堪能なので、小学生の頃から疑問だったことを訊いてみた。

「『NICE AGE』の歌詞の冒頭だけど、あれ、どういう意味なんだろう?」

岩ちゃんは若干顔を赤らめ、うーん、分からないなあと言った。ごまかしているのが分かった。

her toys are broken boys

54歳になった今でも、何も見ないで空で書ける。そのくらい印象的な歌詞だった。当時の僕はbrokenの意味が分からなかったのだが「彼女のおもちゃは男の子なのだ」というところまでは分かっていた。やはり、ちびっとイヤらしい意味なのだろうか。その後、岩ちゃんといまことバンドを結成し、音楽室で練習するようになった。 岩ちゃんは、目をつむって聴けばスタジオミュージシャンと思われても不思議じゃない腕前だった。 だが、岩ちゃん以外のメンバーはひどい演奏で、特に僕の演奏技術は話にならなかった。

YMOファンは1クラスに2人しかいない。だが、G組までの7クラスが揃えばそれなりの人数になる。皆の毎月のお小遣いはおおむね1000円。全く経済が追い付かない。おおちゃんが「BGM」を買って、やまが「出口主義」を買って、ジョーが「ロマン神経症」を買って、おおちゃんがさらに「ボク、大丈夫?」を買った。それで、仲間で貸し合う。当時、YMO関連のレコードは断続的に発売された。各々のソロアルバムのみならず、各々がプロデュースしたアルバムの量が物凄かった。ユキヒロも教授もハリーも、いつ寝ているんだろうと思っていた。赤貧家族に生まれた僕の小遣いは毎月700円。子供にとって300円の差は大きかった。当時、LPレコードは2500円。EPを買うのがやっとで、仲間の輪の中に入れなかった。カセットテープ(これを買うのもやっとだったりして♫)を渡し、渋々録音してもらった。

6年2組のトガった奴等も「BGM」でふるい落とされた。「BGM」以降も聴き続けていた、おおちゃんややま達は大したもんだった。「暗いYMO」が大好きだった。その頃から今に至るまで「BGM」「テクノデリック」は何千回聴いてもびゃんびゃんする。ジョーは直後にヘヴィーメタルへ、岩ちゃんはブルーズへ傾倒していった。

でも「カモフラージュ」を聴きながら涙が出てしまうのは、今日が初めてだ。幸宏さん、素晴らしい。とてつもない。幸宏さんこそがYMOだ。幸宏さんが旅立ってから、何度も涙をこらえることができたのに「カモフラージュ」は駄目だ。駄目だ。先週バラカン方式でかかった「バレエ」は大丈夫だったのに。駄目だ。

以前、このエプスタインズでYMOベスト10曲という主旨の記事を掲載した。HASYMO以降の曲も採り上げた。そのうえで「カモフラージュ」を1位に挙げた。いや記憶違いだ、今調べたら3位だった。相手にさえされないだろうと思いつつ、幸宏さんにツイートした。びっくりした。「興味深い」という言葉を添えて、リツイートして下さった。

そのツイートから数年後、大病を患った岩ちゃんが旅立った。幸宏さんよりも先に旅立った。

つづくよっ

ビックリハウスでの連載「YMO SYNDROME」

2023.02.12