浪日記㉒  撮影/文・鎌田浩宮

撮影/文・鎌田浩宮

一生頭が上がらない、
一生感謝し続ける、
この人達のためなら何でもしていきたいと
心から思えるようになった話です。

浪の看病が24時間体制になってから
土日の数時間だけ母に交替してもらい、
その時間に三軒茶屋へわざわざ来てもらい
酒を酌み交わした親友が2人います。

2人とも、終電がなくなっても会社で働いているのに
土日さえ働いていることも多いのに、
こんな僕なんぞに、疲れも見せず付き合ってくれました。

しかも「今、お前は働けない状態だから」と
奢ってくれた友もいて。

浪の死後、家に閉じこもっている僕を
キャッチボールでもしようと呼び出してくれ
そんな時は言葉なんぞ少なくてよくて。

親子2人で励ましてくれる友達もいました。
あの、脱原発デモを小学校で敢行した、クエ星人くんとお母さんの梨乃さんです。
彼はこの4月で中学校です。
閉じこもっている僕を、沖縄料理屋へ連れて行ってくれました。
3人とも、沖縄が大好きなんです。
彼が小さな胸を痛めて、心配し声をかけてくれたことの、
なんと嬉しかったことか。
こんなに心の綺麗なお母さんに育ててもらっているから
人を思いやれる子供に育つんだなあ。
お母さんの方は、以前飼っていた猫を亡くしたことがあり、
僕の言葉が足らなくても、つらさを分かってくれていました。
「うちは長生きで大往生だったけど、そんなこととは関係なく、とってもつらいものなんだ」
そんな風にメールをくれました。

浪の火葬に同席してくれた、唯一の家族がいます。
すぐにその翌週には寂しかろうと僕を呼び出してくれ
その後も何度となく声をかけてくれ
酒やご飯をご一緒しました。

その家族3人が、それぞれ別に声をかけてくれる時も多かったのです。
お母さんは、浪の曲を聴いて号泣してくれました。
浪がそばにいるようだ、
浪がそばで「遊ぼうよ」と言っているみたいだ、
と泣いてくれました。

長女はまだ自分の子供が小さくて手がかかるのに、
浪の生前も死後も、しょっちゅう時間を割いてくれました。
浪の調子が良い時は、映画を観に行きました。
どれだけ気分転換になったか知れません。
忙しいのに浪日記をよく読んでくれて
大丈夫かとメールをくれました。

長男は全部段取りをつけてくれて、
浪の死後塞ぎ込んでいる僕を、群馬の温泉に連れ出してくれました。
僕は遠出をするのが久しぶりでした。
1番最近で覚えているのも
会社の出張で2010年に1泊で大阪へ行ったくらいです。
その後は浪の体調が悪化し、東京を出ることさえなかったんです。
だから、外泊自体が久しぶりでした。
その温泉は湖の見える露天風呂があり、
雪が降ってきて、えも言われぬ美しい風景になりました。
この親友と浪がここに連れて来て、見せてくれているんだなあ、
感謝してもしきれなかったです。

浪のペンダントを作ってくれた友人もいました。
浪の毛と髭と爪のかけらが入っているガラスを
首から下げる形状になっています。
デザインは友人にお任せしたんですが
海のそばで産まれた浪ということで
紺色の紐で丁寧に編んでくれてあり、
浪の眼の色、エメラルドグリーンの石が
ところどころにちりばめてあります。
一生、このペンダントを離すことはないでしょう。

こんな人達のおかげで、
僕は立ち直りつつあります。
今、浪と東北へ向かっています。
最初に紹介した激務に追われている親友の1人が、仙台へ転勤するんです。
東北の復興支援の仕事です。
激務で引っ越しもままならないだろうと、
その手伝いを申し出たんです。
今度は、僕が役に立てればと思います。

その後は福島県相馬市へ寄り、例のダチに会いに行きます。
去年亡くなったおばあちゃんへ、お線香をあげに行くんです。
「もうちょっといてくれよ」
と言われれば、うんと泊まらせてもらおうと思っています。

浪の、初めての東北です。


2012.04.20