第五十九夜:「いきものアルバム <キンギョ> 」

diary_kingyo

ヤドカリのトゲオが冬を知る前に天に召されました。
息子もさぞや悲しんでいるかと思いきや、息子のヤツは
すでに夏の思い出の中にトゲオを置き去りにしていたので、
涙を流す事もありませんでした。(ずっと私が世話をね…)
二人でお墓を作って手を合わせ、息子が言った言葉。
 
「ヤドカリって人生楽しいのかな?」
 
息子よ… それを想う前に彼の人生を楽しませてあげなさいよ…。
とはいえ、何がヤドカリの最上の悦びかは私も知らないですけど。
だから言ってやりました。 アンタが面倒見なかったからトゲオの人生は
最悪だったよと。 唯一の友人に見捨てられて死んだんだからと。
その後は「ごめんね…」としっかり手を合わせて深く拝んでいたので
説教はそれくらいにしておきました。
まるで昔の自分を見ているようでした…。
 
 
 
「金魚(キンギョ)」
 
今でも日本全国の歴代最高のペット率を誇るのが「キンギョ」でしょう。
祭りの宵、子供たちはキンギョすくいの魔力に毎度のように負け、
一度や二度では飽き足らず、大量のキンギョを手に入れるのです。
キンギョ達にとっては、「祭り」とは仲間や親兄弟、そして
最愛の人と引き裂かれる、悪魔なる行事のはずです。
 
例に洩れず、私もキンギョを飼った事があります。
祭りの夜、小学一年の不器用な私は一匹のキンギョも掬えず、
店のオジサンセレクトのキンギョを二匹もらって帰りました。
今思えば「掬う」事が醍醐味のはずなのに「掬わず」の報酬でも
あれだけ喜べていたわけですから、私にとってはメインゲームである
「掬う」行為なぞいらなかったんでない?とも思います。
だってあんなん悔しいだけだし…。
 
私の元に来たキンギョは、当時家の近所にあった祖父の家の
大きな水槽に入れられました。大きな水槽の中で楽しそうに泳ぐ、
私の赤と白の貴婦人キンギョとワイルドブラック出目金。
私は祖父と眺めながら、たーんと餌をやりました。
それからも祭りの度に水槽にはキンギョが追加されていきました。
水槽いっぱいのキンギョは私の心を躍らせ、増えれば増えるほどに
私はキンギョが好きになっていくようでした。
多い事こそ美徳!キンギョは数多くてナンボ!そう思ってた当時の私は
キンギョの個々のパーソナリティなどガン無視でした。
  
私の成長と共に、私のキンギョ愛は当然薄れていき、
全ての面倒は祖父と祖母がみていきました。 酷いものです。
そして気づけば私も高校生。久しぶりに水槽を見てみたら
貴婦人キンギョは当時の姿から10倍ほどの大きさになっていました。
貴婦人だけでない、皆が異常なサイズになっていました。
今でも分からないのですが、キンギョとはフナとかコイの仲間では
ないんですか?じゃないと説明がつかない大きさでした。
理由は祖父もワイルドブラックも教えてはくれませんでした。
自分達を誘拐しときながら、ほったらかしにした悪魔の誘拐犯(私)に
キンギョ達は結託し、肥え太る事で負けてないと言いたかったのか。
それでも巨大化した彼らを見た祖父と私は、彼らの気持ちなど知らず、
「食べれたらいいのにねえ」と言って眺めてました。
結局キンギョたちは私が大学行く頃まで元気にしていたと思います。
 
キンギョの思い出をもう一つ。 幼稚園に入る寸前の頃です。
私の家の隣には美容室があり、そこには幼馴染のマミちゃんがいました。
美容室にも水槽があり、沢山のキンギョがいました。
その日私達はどんな遊びをしていたかは覚えていませんが、
いつしか椅子に載って水槽を上から覗いていたと思います。
すると水面に一匹、死んでプカリとしたキンギョがいました。
「あ、死んでる」と私が思った瞬間、マミちゃんはそのキンギョを
ひょいと掴み、口に放り込みました。
子供ながらに「すごいものをみてまった!」と思いました。その後は
マミちゃんのママが顔色変えて飛んできたトコまでは記憶してます(笑)
 
私もキンギョには相当恨まれても仕方ない人間ですが、
実際にぱくりと食べたマミちゃんに比べれば
私なんてぜんぜん可愛いものだったなあと今では思います。
 
 
 
 
 
 
 
 

2011.10.19