第九十七夜:「いきものアルバム最終回 <イヌ>」

 

あと三夜となりました。
これまで私の飼ってきたペット達のお話をしてきました
「いきものアルバム」は今回で最終回となります。
元々、さくらももこさんの「いきもの図鑑」が大好きで
始めたという、パクリ根性丸出しのシリーズ(笑)
集英社さんに訴えられても文句は言えません。
 
 
さて、今回は「イヌ」でございます。
何故このタイミングでかといいますと、
ウチの息子がイヌを飼いたいと言い出しまして・・・
ヤドカリのトゲオ事件から、息子のペットに対する愛情の薄さを
私は未だ許していませんでしたから、私はイヌ、いやペットとの
共存の難しさを切々と語って聞かせたのでありました。
そして、息子を程なく撃沈させてやりました(笑)
ヒトでも他の生物でも命の重さに違いはないのです。
それもまた、経験したからこそ覚えた事ではあるのですが…
 
 
「ジロ(イヌ)」
 
ワタシのペットブームは衰える事はありえなく、
小学校6年となった私は、とうとうペット界の金字塔
「お犬様」まで毒牙にかけようとしていました。
それは当時公開された映画「南極物語」の影響からでした。
なんにでもカンタンに感化されるワタシは、日本中に吹き荒れるイヌブームに
巻き込まれない訳はなく、じいちゃんと映画を観に行った後からは
四六時中「イヌ飼ってー!」「イヌは賢いんだよ?」「何かあったら
ウチの家族を守ってくれるんだよゼッタイ!」という何の裏づけもない
勧誘の言葉を毎晩のように家族に伝えたのでした。
それでもこれまでのワタシのペットへの悪行を知っている家族は
首を縦にはけっして振らない。
なんて分からず屋しかいないんだワタシの家族は!
と、ふつふつとワタシは恨みすら抱えるようになっていきました。
それでもワタシは諦めず、一策を投じるわけです。
 
 
題して「無垢なココロに大人は逆らえない作戦」でした。
 
 
それは、可愛いワンコが沢山載っている図鑑を持ってきて
居間で見ています。そしてコドモなんですぐに眠くなると何処ででも
眠ってしまいます。そこに両親や祖父母は訪れます。
するとどうでしょう。
そのいたいけな娘は、欲しいワンコを指さしながら
眠っているではありませんか!
その姿に、両親も祖父母も心を締め付けられるわけです。
 
「ああ、そんなにもこの子はイヌが飼いたいのか・・・」
「私達はこの子の真摯な気持ちに気づけていなかったのね・・・」
 
となるのです。
その効果はすぐに現われ、3日後にはじいちゃんの老人会つてで
最近子犬が産まれて貰い手を捜しているという話が舞い込みます。
ワタシとじいちゃんはすぐに子犬がいるお家にいき、ほどなく
ワタシは子犬をもらいました。
そして名前は南極物語からパクリ、「ジロ」と名づけられました。
鼻の部分が薄黒い、雑種の柴犬でした。
 
 
ジロは頭が良く、可愛い子でした。
でも頭が良すぎて、物凄く飼い主の順列がしっかりしていました。
ワタシと両親、ばあちゃんにはなつきましたが、何故か
じいちゃんと妹だけにはあまりなつきませんでした。
可愛がるも、あまり相手にしてくれないジロに、
じいちゃんと妹はいつもションボリしていました。
今考えれば可愛そうな事をしましたが、当時はそんなじいちゃんと妹を
ワタシは指をさして笑っていたと思います。最悪な孫であり姉です。
ジロはワタシが棒を投げれば必ず持ってきてくれるし、色んな芸を
軽々とこなすスーパードッグでした。
ワタシはジロのおかげで誇らしい気分を充分に満喫し、その横で
じいちゃんはやっぱりしょんぼりでした。
 
 
 
しかし、いつの頃からか、ワタシの悪い癖はやはり始まり、
ワタシは散歩にもあまり連れて行かなくなりました。
その頃からジロは物悲しい遠吠えをするようになりました。
ワタシはその声を聞くのが本当にイヤでした。
中学終わりになって友達の事や好きな人の事、家族との事に
苛立ちを感じるような、多感な時期に入っていたワタシもまた、
多分毎日ココロの中で遠吠えをしていたからかもしれません。
だから同属嫌悪のようにジロをキライだしていたと思います。
それに同調するように、ジロは家の近くを通行する人々に
吼えるイヌとなっていきました。
それはエスカレートしていき、とうとう父はジロを棒で小突く事で
ジロを抑えるようになっていきました。
その光景を見るのも本当に辛かった。
今思えば、飼いたがったワタシがすべて悪いのに、
ジロを疎ましく思いながらも、
ジロを折檻する父を「最低だ」と想ったりして。
 
  
今思えば、ジロは私が失くしてしまった、もう一つの姿でした。
ワタシの失くしてはいけない部分を、ずっと守っていたのは
ジロだったのでした。
 
 
その後もジロは長生きを続け、ワタシが大学卒業する頃に
ジロは死にました。
ジロの死ぬ前の夏、ワタシは大失恋から実家に戻ると、
そこにはガリガリに痩せたジロの姿がありました。
おしっこには血が混じり、もう目にも力はありませんでした。
ワタシは捨て置いていたジロを、ようやく見つけた気がしました。
もはやその頃は家族からも可愛がられる事もなく、
檻の中でエサをもらうだけの毎日だったジロ。
何年かぶりにジロに近づいたワタシに、
ジロはあの日と同じように嬉しそうに近づいてきました。
ワタシはそれまでの自分を全て謝罪するように泣き崩れました。
ジロは「何をそんなに泣いているの?」という顔で
ワタシを舐めました。
すぐに車にジロを乗せ、幼馴染の動物病院に連れて行きました。
しかし、もう手遅れでした。
1ヶ月後、ジロは天国に行きました。
 
 
 
あとで母に聞いたら、ジロはじいちゃんを嫌ってはいませんでした。
じいちゃんが亡くなる間際の頃、じいちゃんが一人で思い出話を
する時だけはジロはじいちゃんの近くに寄ってきて座り込み、
その話を聞いているようだったと。そしてじいちゃんも
ジロには屈託無く話しかけていたそうです。
 
 
愛想のないジロを最後まで可愛がったじいちゃん。
愛想だけを受け取り、可愛がらなかったワタシ。
 
 
他の動物よりも頭のいいイヌは、人間の鏡となるのでしょうね。
ワタシにとってイヌとはそういうものでした。
ワタシの汚いところ全部、暴露してくれた。
今はジロの事をよく思いだします。 そして謝るのです。
そして天気のいい日にはジロに「いい天気だね」、
寒い日には「今日は寒い日だね」と語りかけています。
それはやろうと想ってしているというより、ごく自然に
始めていました。
それはもしかしたらじいちゃんと同じ事をしているのかもしれません。
もしかしたらイヌと人間では、人間が中年から老人に掛からなければ、
理解しあえないのかもしれません。
そんな風に今は思います。
今は、ジロとじいちゃんはお空でくだらない思い出話を
のほほんしていると思っています。
 
 
 
息子には様々な経験をさせてはあげたいのですが、
でも申し訳ないですがワタシの子。
これ以上、別の生物を虐げる事はさせたくもありません。
でも命の重さをヒトが知るにはもはや
ペットの力を借りなくてはいけない時代になってしまったのかも?
とも想うと、身がよじれる想いもします。
 
ねえ?どうしたらいいのかな?ジロ?
 
とそんな返事のない語りかけをする、人生終盤にさしかかる女なのでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2012.10.31