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第8便「柴又の、トイレの、落書き。」
文と写真 鎌田浩宮
エプスタも1周年を迎え、
弊社社員も、ぎょうさん原稿を書いてくれた。
これは僕も初心忘れるべからずだな、と思い、
スピンオフ企画でお茶を濁すのではなく、
あらためてトイレの取材に行こう、と決意。
しかし。
調べてみると、霞が関にあるよーな官公庁は、
かなりセキュリティーが厳しいではないか。
嗚呼、省庁のトイレ、覗きたいのに。
ここは戦略を変更して。
昨日、8月4日は敬愛してやまない渥美清さんの15回目の命日。
柴又には何度となく行ったけど、
去年まではサラリーマンをやっていたので、
渥美さんの命日は平日が多く、行けないでいた。
よし、行ってこよう。
柴又の人たちは、そして柴又を訪れる人々は、
渥美さんの命日をどれだけ覚えてくれているだろう?
柴又は遠いんです。
僕の住む世田谷・三軒茶屋からだと、
隣の県の横浜の方が近いくらい。
金町駅に着いた。
ここから京成線に乗り換えて、柴又駅へ行くのだ。
おお、バス!
皆はまだ覚えていてくれているか。
切符売り場もこげな風になっているのは、
柴又で降りる人が多いからだろう。
着いた。
静かだ。
平日だからかな。
自動販売機は、柴又も節電中。
診てもらいたいくらい素敵な名前の病院。
さ、トイレを取材しよ。
なんでかトイレの左には、どでかいもんじゃ焼き。
さい先よく、早速落書き発見。
「喫煙者ブッ殺セ」とのことです。
渥美さんはヌード小屋で軽演劇の役者として活躍、
お客さんや踊り子たちを、
どかんどかんと笑わせていた時に結核になりました。
当時まだ死の病と言われていたのを、
片肺を切除し奇跡の復活をした時から煙草をやめたんです。
だから、最近若手の芸人さんの間で、
「渥美さんは東京・小野照崎神社で
『煙草を一生吸いませんので仕事をください』と願をかけたら
『男はつらいよ』の主役をつかんだ、
だからこの神社で禁煙の願懸けをすると売れっ子になる」
という間違った話が広まっているのは
ちぃと勉強不足ってやつですね。
「男はつらいよ」の数年前から渥美さんはヌード小屋を卒業し、
テレビに映画に引っ張りだこでしたから。
と、改札を抜けようとすると、
やあ!寅さん、帰ってきてたのかい?!
これも最近の噂、
この左足の親指をなでるといいことがあるんだってことになってます。
いまだに渥美さんに関する新しい話題が生まれるのは、嬉しいもんさ。
駅のすぐ傍には、こんな素敵な名前のキャフェーが。
そしてすぐに参道が現れる。
人通り、少ないな…。
入ってすぐの店が、寅さんではなく
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のグッズを売っている。
寂しくなる。
もう、あれから15年も経つんだもの、
仕方がないかなあ…。
くるまやのモデルであり、
ロケの際は渥美さんらの休憩所になっていた
「男はつらいよ」にはなくてはならない存在、
高木屋さんはすぐに現れます。
早速入り、草だんごの食券を買う時、
僕は無意識に店のおばさんに言いました。
「今日は渥美さんの命日ですね」
すると、驚愕の反応。
「え?そうでしたっけ?」
僕は相当にがっかりしちまい、
もう取材をやめて帰ろうかと思うくらい疲れてしまった。
晩年病魔に侵され、
ロケ中全ての挨拶を断っていたが
下の写真のように
高木屋さんの写真だけは受けていた渥美さん、なのに。
呆然とだんごをほおばると
急にスコールが降りだし、
渥美さんの涙雨かと思っていたその時でした。
女将さん(よくテレビにも出てらした方なのですぐに分かった)
がさささといらして、ファンの方ですかとお尋ねになった。
「ええ、今日は命日ですし」
と答えると嬉しそうな顔をされて
東京新聞の方が渥美さんの取材に見えているので、
受けていただけますかとのこと。
さすが東京新聞だぜ!
渥美さんを忘れちゃあいなかった。
ほぼ毎年、命日の翌日には記事を載せているとのこと。
僕が高校1年の時新聞配達を始めた縁で
その時から愛読し
沖縄基地問題や原発も昔から追い続け歯に衣着せぬ
闘う新聞、東京新聞。
「明日の掲載分です。
貴方の話をそこに載せるかは分からないんですが、
色々聞かせてもらっていいですか?」
渥美さんが当時座っていた席に通されました。
現在そこには「予約席」の札が置かれ
いつでも渥美さんが戻ってこられるようになっています。
すると別の店員さんが、
お通しに出していたのとは違うお茶を出して下さり
かき氷まで出して下さった!
かき氷は、子供の時以来。
ああ、涼しくなった、こんなに美味しいんだ。
取材なんて面倒で邪魔に思う店も多いだろうに、
まるでおいちゃんおばちゃんのような人情の厚さ。
渥美さんのためになるなら、何でもなさるのだろう。
それにしても、あんなに「男はつらいよ」が好きなのに
いざとなると全く舌が回らなくて困りました。
さあ、新聞には載るのでしょうか?
記者さんはよそへ行き、
残ったカメラマンさんとお喋りしました。
スポンサーの圧力とかではなく、
本当のことを書くと国民がパニックになるから
原発の記事は抑えて書いている。
僕の友達も、九州に引っ越してしまった、など。
ちなみのこの方、若いからか、
「男はつらいよ」は全く観ていないそうで
それをあまりにも屈託なく話すから
店員さん、皆、失笑。
でも、店員さんと沢山寅さんの話ができて
とっても嬉しくって、疲れがなくなりました。
カメラマンさんと店員さんにお礼を言うと
渥美さんのことを話してくれてありがとうと
店員さんが言って下さいました。
ああ、スコールも上がった!
晴れやかな心で、帝釈天へ。
さすがにここは、人が多い。
これは帝釈天前に、あるじゃないか、トイレ。
さ、取材。
うん、きれい!落書きなし!
源ちゃあん、そろそろ、鐘、ついてくんないかなあ。
以前はなかった。こんなおみくじ。
商売っ気、出てきたか。
でも僕はこちらの「寅さんおみくじ」で。
お、松竹がやってるんだ。
今日は取材費がかさむのう。
「吉」でした。
「こころに残る寅さんの言葉
『男ってものはな、引き際が肝心よ。』
(第27作『浪花の恋の寅次郎』より」
と書かれてあります。
でもこりゃあ、思い出になるなあ。
おっと、お墓が売っておる。
貴殿も、いかが?
ああ、ここで寅さんみたいに、寝っ転がって休みたいなあ。
でも、そろそろ、行きましょか。
ここにも、何度来ただろう。
命日ということで、特別な何か、あるかな。
ここにはぜひ実際に足を運んでほしいので
細かくは書きませんが
入口をくぐるとまずあるのは
各スタッフの紹介なんです。
個人名は記されてないものの
撮影・照明・録音・衣装・美術・メイク・大道具・小道具・編集・助監督、
「男はつらいよ」の制作現場の映像つきで全ての解説があるんです。
山田監督は、この博物館で、
まず最初に、スタッフの重要性を語りたかったんだ、
痛く感動し、しかも現場のメイキング映像に
晩年の渥美さんが映っていることもあり
入口最初のコーナーに数十分も居てしまいました。
にしても、お客さん、少ない。
運営も厳しくならないだろうか。
そんな中でも多いのは、中年男性の1人客。
じぃっと展示物を眺めている。
寅さん、好きな世代なんだよなあ。
これは実際に長年使っていたくるまやのセットを
ここに移築したそうで、
僕らにとっては国宝級のものが、手でさわれちゃう!
きめ細かいヨゴシ。
敢えて釘や鋲の跡がついている。
素晴らしい美術スタッフ。
お兄ちゃん、上がるわよお。
素晴らしいのは、写真撮影を禁じていないところ。
ここにも山田監督のこだわりが感じられる。
何時間居たんだろう。
見応えが満点。
ファン必見です。
映画以外の展示もあり、子供の情操教育にもいいでしょう。
あっちゅう間に、閉館時間の5時。
急ぎトイレ取材。
もちろんきれい!
さあ、最後に江戸川へ。
空が広い、青い。
緑の香り、すがすがしい。
最近は浪の看病で、自然に触れてなかったからさあ。
寅さんと源ちゃんみたいに寝っ転がりたいけど、
放射能が気になるのは
僕の気にしすぎなんだろうね。
お、こいつぁ放射性物質が発見され報道された、
金町浄水場じゃないかい。
やっと見つけた矢切の渡し。
帰りも参道を通った。
5時で終わる店が多く、既にシャッターを閉じた店が多い。
その代わり、朝は早いそうです。
もう1度高木屋さんに行きたかったの。
迷惑かなあ、嫌がるかなあ、と思いつつ。
あ、よかった、まだ開いている。
さっきのかき氷の店員さんが気付いてくださり
「さっきはありがとうね」
「いえ、こちらこそありがとうございました。
もしよかったらでいいのですが、ここでビールを買わせていただき
渥美さんの席にお供えさせてもらえませんでしょうか」
早く店を閉めたいだろうに、困ってるかな…。
「それは渥美さん喜ぶわ!ビール代はこちらで持つわよ」
「それは駄目です!」
女将さんまでいらしてにっこりしている。
渥美さんの席にコップを置き、できるだけ丁寧に注いだ。
これだけで少し緊張する。
今日も暑かったですね、どうぞお飲み下さい。
闘病の時は、酒も飲めなかったでしょう?
僕も立たせていただいたまま、飲ませていただきます。
柴又の人たち、気持ちのいい人ばかりですよ。
そうそう、今朝の東京新聞、
どうだったんでしょうねえ?
ちょっと見てみますか。