「夢をありがとう渥美清さん」十七回忌献花式へ行く

取材/撮影/文・鎌田浩宮
同行/一部撮影・ワオ君(仮名)

皆に
知られずに
寂しく
旅だって行った
渥美さん
だから
こそ。

渥美さんが
寂しくないように
皆で
言い続けよう。

夢をありがとう、
って。

 

今朝、早朝5時に「2012年8月3日(金)も、首相官邸前、行ってきたど!」を書き終え、2時間半だけ寝て、行ってきました。
この写真構成は、その記事をパロディーしてます。

どんなに疲れてても、行かないなんて、考えらんない。

柴又へ行く、京成金町線。
扇風機です。
風情です。


多くの人が、降りるではないか。
去年の8月4日、渥美清さんの命日は、平日ということもあって、寂しかったから、嬉しい。

第8便「柴又の、トイレの、落書き。」
http://epstein-s.net/archives/4413

こちらにたっぷりとレポートし、東京新聞から逆取材も受けたのであったのだよ。

今年も行こう、ずっと前から、思ってた。
したっけ、こんな案内がやってきた。

「夢をありがとう渥美清さん」十七回忌献花式のご案内
http://www.katsushika-kanko.com/tora/news/post-254/

渥美清さんが天国へ旅立ってから 早いもので16年が経ちます。

寅さん記念館では、渥美清さんへ「夢をありがとう」という気持ちをこめて、十七回忌の献花式を行います。

主 催  : 「夢をありがとう渥美清さん」十七回忌献花式典実行委員会
開催日 : 2012年8月4日(土) ※献花台は8月8日(水)まで設置します。
時 間  : 式典開始は午前11時、一般記帳及び献花は午前11時~午後5時
会 場  : 寅さん記念館 無料休憩室

1996年に、渥美さんが旅立って、もう17回忌だなんて、信じらんない。
多くの人にとっては過去のこと、かも知れないけど、僕にとっては今もなお、のこと。

高木屋さんの広告の下には、懐かしい有人改札。
やっぱし、寅さんが自動改札機なんて、似合わないよなあ。

駅員さんと、全くの無駄話をしてるおじさんが面白くて、撮ってしまった。

ショーゲキの事実。
この時刻表を、見よ。
朝のラッシュ時に、1時間6本しか走らない。
同じ東京・三軒茶屋では、朝のラッシュ時は2分おきに電車が来ます。
三軒茶屋だけじゃなく、どこもそんくらい、来ます。

柴又には、あまりサラリーマンがいないのかなあ?

駅を降ります。
昼の12時半です。

帝釈天参道の入り口。
敬愛して止まない山田洋次監督による碑。

この見上げたアングルは、「男はつらいよ」第1作目の、寅さんが纏を威勢よく回すカットを思い出させる。

高木屋さんの前で、同行したワオ君とお喋り。
その映像ですが、締まりのないお喋りですみません。
去年高木屋さんにて東京新聞の方に取材を受けた際、高木屋さんは軒先を提供しているだけなのに
「渥美さんのことを語ってくれるなんて嬉しいから」
と、かき氷をご馳走してくれたのです。

徹夜明けで、腹がペコペコです。
献花の前に、腹ごしらえ。
高木屋さんに入ります。

高木屋さんの中自体が、寅さん記念館のようなものです。
貴重な写真。
ここにいるだけで、何時間も過ごせます。

休日もあってか、去年の今日より、お客さんも多いです。
ああ、これ書いてて、またお団子食べとうなってきた。

一時の賑わいが失せたと言われる柴又ですが、今日は賑わってますぞ。

渥美さんを知らない世代が増えていっても、チャップリンのように語り継いで、柴又を賑わせてほしいですぞ。

いつも人が一杯、帝釈天。

寅さんの服を着たそっくりさんがいたので、
「寅さん、こんにちは!」
と声をかけた。
「よお!今日は献花してくれよ。山田監督も来るようだよ」
と返してくれた。

帝釈天を、裏から。
充て木をしてるのが微笑ましい。

 

語り
継ぐ
こと。

 

寅さん記念館に着きました。
ここが会場です。

案内が出ています。
ちなみに、会場には無料で入れます。

渥美さんの17回忌の献花式会場であって、カメラを向けるのも失礼に感じつつも、撮らせていただきました。

午前11時に式典があって、300人ほど集まったそうです。
なんと、初代マドンナ・光本幸子さんの挨拶もあったのだ。
嗚呼、知っていれば11時に来たのに。
残念。

献花の花は、りんどうです。
寅さんファンなら、納得の花です。

これは、なんだ?

寅さんへのメッセージ。
東北へのメッセージ。
色々ある。

こういうことだったのです。
寅さんは、語り継がれていた。
よかったあ。

式次第です。
ものすごく読みづらくて、本当にすみません。
ソプラノ歌手による歌や、ファンクラブ代表の方による挨拶もあったようです。

さて、献花を終え、心当たりのあった店で献杯しました。
柴又駅前、徒歩数十歩。
「春」というカウンターのみの酒場です。

30年前からあるこの店には、渥美さんはじめ山田組の方々も撮影の合間に来ていて、何と僕の座っていた椅子は渥美さんの定位置だったそうで、恐縮して他の席に座り直そうかと思ったくらい。

山田洋次監督、関敬六さん、谷幹一さん、そしてなんと王貞治さんのサインも。

「すいません、渥美さんがよく頼んだやつ、もらえませんか?」
「じゃあこれね」
と~っても気持ちのいい女将さんが作ってくれた、納豆オムレツ。
これが美味いのなんの!

渥美さんがちょくちょく寄るんだから、女将さんが素晴らしいに決まってる。
美人で、お喋りが楽しくって、下町風情で、でもグイグイとは来ない、下品じゃない。
100点満点なんだよなあ。

「今日はここに来てから、新宿にある渥美さんのお墓参りに行く人もいるみたいよ」

その娘さんが若女将。
お店と同じくらいの年齢で、3歳くらいの彼女と、マドンナ役の田中裕子さんが一緒に写った写真が飾ってある。
女将さん同様、素晴らしい!

「柴又の人間は、柴又を離れないんです。嫁いでも、旦那に柴又に越して来てもらっちゃうんですよ」

お客さんがまたよかった。
千葉のニュータウンからいつも来る、下町風情の80歳のおじいちゃん。
「東電の孫会社に勤めててね、年収は1000万以上だったんだよ。ね?東電なんて、インチキでしょ!」
おじいちゃん、ナイス!

でも、ここでも渥美さんは酒を口にしなかったそうです。
ストリップ小屋時代に結核にかかり、生死を彷徨った渥美さん、それ以来煙草をやめた話はファンなら常識だけど、やはりその頃に酒もやめていたようですね。

来年

来ます
ね。

 

ちんどん屋さんが、やってきた。
男はつらいよのテーマを、奏でている。
夕方からは、第1回ビール祭りを開催するという。

皆、渥美さんの命日は、そうやって賑やかしてほしいなあ。
語り継いで、ほしいなあ。

だって、日本中の人々を笑わせて幸せにしたのに、本人は自分の病気を誰にも言えず、寂しく亡くなっていったんだ。
だから、夢をありがとう、っていつまでも言っていこうよ。
渥美さんに聞こえるように、ありがとう、って言っていこうよ。
渥美さんが、寂しくないようにさあ…。

来年も、来ますね。

 

 

渥美清さん17回忌(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012080502000090.html

映画「男はつらいよ」シリーズで、主人公の車寅(とら)次郎を演じた俳優、渥美清さんの十七回忌の献花式が四日、舞台となった東京都葛飾区の「葛飾柴又寅さん記念館」で開かれた。シリーズを手掛けた山田洋次監督も訪れ、渥美さんが優しそうにほほ笑む遺影に手を合わせた。

 山田監督は「東日本大震災を含め世の中がどんどん悪くなっている感じで、渥美さんも困ったもんだと思っているのでは」と話した。

 遺影には「こんな時代だからこそ、みんな寅さんのことを忘れられないみたいだよ」と語り掛けたという。

 遺影の前には、地元の小学生が風船に和紙と色紙を張って作った「花行灯(あんどん)」も並べられた。それぞれに寅さんへのメッセージや、「がんばれ東北」などと大震災被災者への応援が書かれていた。

 渥美さんは一九九六年八月四日、六十八歳で亡くなった。献花式では午前十一時から式典が約四十五分間行われ、午後五時までに約三百人が用意されたリンドウを供えた。


2012.08.04