沖縄の宮古島には「おと―り」というものがある。
基本的には皆で車座になって、一つのグラスで、一人一杯ずつつがれたお酒を、メンバー内で順繰り飲む習慣。これをエンドレスで続けるとゆーもの。
モンゴルに行った時も同じ習慣があって、ゲルの中で遊牧民の人達がお祝いの時のために大切に取っておいたウオッカを注がれ、モンゴルのおちょこでグイッと一気飲みし、隣に回したよなあ。

さてさて、大勢で映画館に行って、一緒に同じ映画を観るって、しなくなったよなあ。後でコーシーなんぞすすりながら、感想を言い合って。

そー、今や、映画館じゃなくて、1人で家でDVD。

ならば、映画で「おとーり」しましょ。同じ映画観て、感想、言い合いましょ。
記念すべき最初の夜は、去年の映画賞を総なめにした、あの映画にしましょ。
エンドレスで、楽しみましょ。
鎌田浩宮

第1夜「ディア・ドクター」

「ディア・ドクター」 

movie1lead

http://deardoctor.jp/
原作・脚本・監督/西川美和
出演/笑福亭鶴瓶/瑛太/余貴美子/井川遥/香川照之/八千草薫
音楽/モアリズム
原案小説「きのうの神さま」西川美和(ポプラ社)

 

鎌田浩宮

movie1kamada去年、会社の経営が傾き、リストラ騒動に巻き込まれ、映画館にちっとも行けなかった。
だから、去年の映画賞を総なめにした映画を観られるのは嬉しい。
ちなみにこの西川美和監督は、若くすこぶる美人で、キャストと並んだ写真を見た時、この人もキャストか、と思ってしまったほどだ。
そして、生まれて初めて、映画のDVDをレンタルした(原始人だな俺は)。

人というのは、たったヒトカケラの事で、見る目がころっと変わる。
8年4ヶ月、頑張って働いた。
誰よりも低く頭を下げた。
営業部で成績は1番だった。
評価にならない事こそ、誰も見ていなかろうが、した。
雪かきをし、ご近所と仲良くし、上司に指示されなくても新人の教育係となり、同僚のミスのフォローをし、同僚の抱えた仕事を手伝い徹夜し、パワハラや過労で苦しんでいる同僚に酒を奢り話を聞き、誰もやらない忘年会の幹事を買って出て、社員旅行で皆が寝たふりをしている中、親会社の連中を接待した。
「ここの村の人は、足らんという事を受け入れてるだけや。元からそうや、俺がどうこうやないねん。俺が死んだら、村も人も死ぬんか。俺はこの村好きでいてんのと違う。ただずるずると居残ってしもうただけや。金は稼げるし、ひっきりなしに球飛んでくる。飛んでくるから打つ、打つからまた飛んでくる。けど、打ち始めたら不思議とその気んなってのめり込んで、のめり込んで打ちまくってたら、その間は何もかも忘れてな。」
鶴瓶扮するニセ医者のこの台詞を、村という単語を会社に置き換え、この映画ができるずっと昔から僕なりに理解していたつもりだった。
なのに彼と同様、し続けていた。

去年、親会社から、十数名しかいない会社なのに5人のリストラと、次年度残留する社員に関しても、基本給20%の減給という、人を人とも思わない命令が来た。
僕はそれに反対の意思表示をするとは別に、社員が相互に意見交換して、相互理解を深めるべきだと思った。
同僚や部下と、職場の端っこで煙草を吹かしながら「お前はどう思う?」と聞いて回った。

社長や上司は、それまでの8年4ヶ月の僕の裏方ぶりを3秒で忘れ、会社によからぬ計画を首謀する者として、頻繁に呼び出すようになった。
その様子を見る同僚や部下も、僕に近づかなくなった。

鶴瓶演ずるニセ医者がその村を出ていった時に、村の人達は、いなくなったニセ医者を罵り、なじった。
しかし刑事は、それが本心か疑念を持つ。

今は何でも1クリックで説明しないと、スルーされる時代だ。
1クリックで判らなければ、違うサイトへ行くだけだ。
しかし西川監督は、前作「ゆれる」でもそうだったが、説明しても野暮なところは、胸を張って省いていく。

僕は結局、去年会社を辞めた。
リストラに立候補したのだ。
他の同僚が辞めていくのを横目で見ながら、のうのうと仕事をし続けるのは嫌だ、というのも本音だが、もうこの村から逃げ出そうと思った、それも本音だ。
そんな僕の気持ちは、僕がもう辞めたあの村の同僚には、1クリックで判りはしない。
でも、奴等と再会する時があったら、この映画のラストシーンのように、微笑んでやってやろうと思ったりもする。

 

倉田ケンジ

movie1kurata『ヒトは皆、病を
 隠して生きている』

山深い実家の街から、都会と呼ばれる場所で暮らすようになってからもうどのくらい経つだろう。未だこの地ですらよく理解できていないのに、年に数回でも実家に帰ってみれば、その町並みでさえかなり速いスピードで移り変わっていっているのを見る。
知っていた場所が、幼い頃の風景が、消えていく。それでも山道を車で少し進めば、まだまだ変わらない地域もある。永遠に変わらないのではないかと錯覚するほどの寂れた風景。若者はすぐに外に出て行って戻ってはこないだろうから、地域住民の平均年齢だけはごいごいと上がっているのだろう。
私の故郷は日本で最大の市となった。それは遠い山々の農村もごっそり取り込んだだけに過ぎず、映画の舞台と同じように無医村や診療所のみという所もまだまだ多い。
合併で住民は何を得たのだろうか。もしも私の知る地域で映画のような事件があったならばどうなっただろう? ふと、そんな事を思った。

映画を観終わり、思ったのは「健全な人間は一人もいなかった」様に
感じた事。免許を持たないニセ医師・伊野(笑福亭鶴瓶)はともかく、一番近くにいた人間も又、伊野がそうでない事を承知の上で嘘に加担している。住民もあれだけの信頼を伊野や観客に見せていても伊野の正体が判明するや手の平返し。事件の真相を追う刑事ですら、自身の行動や職務に疑念を感じ出す始末。 しかしこの映画の登場人物達は多くを語らない。
この監督は語らせない。伊野の偽りの素、看護婦の大竹(余貴美子)や製薬会社の斉藤(香川照之)が伊野の正体を知りつつ伊野を持ち上げ続けた理由、鳥飼さん(八千草薫)の娘達に隠したい気持ち、そして鳥飼さんにこだわる伊野の本心・・・。

この映画は誰にでも観やすく作られてはいるが、語らない人々の心の内を探るには目を凝らさないと見えてはこない。伊野がしていた事の実態だけは他の人間から少しは語られはするが、それもまた確信かどうかは想像するしかない。伊野がやった事は、全てのヒトが密かに抱えている「病」を暴露していった事かもしれない。

時系列を前後させている本作の構成はさほど特筆すべきではないと思う。映画への導入を易しく、観客を楽しませやすい方法を考慮しただけだと私は感じた。それほどにこの監督の技量ならば、時系列通りの並びであっても観客に意図は伝えられたと思う。
もっと言うと、その方が観終わった後に残るものは増えたのではないか、彼の真意を深く想像する旅に出られたのではないか。
それは黒澤明の『生きる』の様に。
冒頭から伊野が居なくなる事を知って観続けるよりも、彼が消え去る事を知らない方が、観客は最後に喪失感と伊野への不信をより強く感じたはずである。それはニセ医者と何処かで感じていても、観客は伊野に、伊野の振る舞いや存在に、眼差しに、癒されていたはずだから。それが、あの地域住民の気持ちと重なるはずだから。
この映画は無医村で生きるという実態を理解できなければ真意は永遠に見えてこないと私は思う。田園を凪ぐ風、すれ違う程もいない住民、迫る黒い雷雲、シンクに落ちるアイスクリーム、時折差込まれる風景や小物の描写からも酷く匂い立つ。これらはただ美しい風景のチョイスではない。
語らない登場人物達よりも饒舌だ。

誰しも、少なからず後ろ暗い思いや過去を持っている。
その裏には、小さな希望や願いが隠れている事もある。
鳥飼さんの小さな背中から伝えられた約束から、嘘を共有したように、理解し合えているように感じられた伊野。伊野をもう少しだけ深く受け入れ出せた鳥飼さん。
「病」があるから、ヒトは通じる事ができるのかもしれない。

 

タカツカアキオ

movie1taka『ディア・ドクター』と聞いててっきり『ディア・ハンター』のことかと勘違いしてしまったのは普段、映画にあまりにも接していないからですかね。ああひどい。
しかしですね、無知にもほどがあるのは認めますが、普段日本映画を観ない私がつくづく思うのは、なぜこのタイトル?ということですよ。
タイトルだけ聞いても内容がわからないように、ということ?
まあ、それであればそれで良いのですが、いや、他の映画もだいたいがタイトルだけでは内容は分からないものです。そもそもタイトルだけでなんとなく内容が分かりそうなのは…、『釣りバカ日誌』とか『エレキの若大将』とかそんなものですが…、いやいや、やっぱりそれらも内容を知ってるから分かるってだけでタイトルと内容との違和感とは別な気がします。
とすると違和感を感じるのは横文字ということでしょうか。
最近多い気がします。ALWAYSなんかももそうだし、横文字タイトルの邦画にいきなり感を感じるのは。
ちょっと考えてみましょう。
例えばですよ、『釣りバカ日誌』が『Fish Person’s Diaries』、『若大将』シリーズが『Young Guy』シリーズだったらどうします?
え?どうもしない?
じゃあ、この『ディア・ドクター』がどんなタイトルだったら自分で納得できるのか…。
うーん、しかしそれも難しいですね。
命名者は監督さんなんでしょうか?なぜ横文字?このタイトルに作者はどういった意味を込めたかったのでしょうか?識者の方、教えてください。
ってなわけで日本映画に疎い私はこんなところで躓いてしまうのでありました。

 

竹原トモヒロ

movie1takehara2009年6月27日に公開された、笑福亭鶴瓶の初主演となる、西川美和監督の日本映画。
キャッチコピーは、”その嘘は、罪ですか”とある。

日本映画といえば、
まず、一般的にくるのが、黒澤映画。

私的に、映画評でまず語りたくなるのが、
小津安次郎監督の”東京物語”である。

小津作品に影響されたのがタランティーノと云われ、
私が屋台をひき、商いのまねごとをしていたアバウト20余年前、
当時来日したタランティーノは、小津作品ではなくエロビデオを、
約200本も買い占めて帰国したそうな。

話しは戻り、感想ですね。

まずは、笑福亭鶴瓶(さん)主演でデジャブるのが”おとうと”
たしか、深作ぢゃなくて、とらさんの監督?
兎に角も、出演者で既成概念ちゅうもんが働いちまいます。

あと、”おくりびと”を即座に思い浮かべてしまった。
こちらも、既成概念故なることだと思う。

ジャンルというか、日本アカデミー賞ノミネート作品ポイのが第一印象。

クレヨン新ちゃん、ポケモン、ワンピース、ドラえもん
釣りバカ日誌、とらさん。
ジブリももちろん日本代表。
北野武、松本人志もそう。
Vシネの帝王とやらの、哀川翔も好き嫌いとは別にして。
TVドラマの劇場版etc…

兎に角。多種多様な日本映画の世界。

んで、標題の件。

何を主題に感想を書けば解らないので、主観で。

ワタシハタンジュンナンデ、カンドウノ、バメンデハ、ナミダスル

以上です。

映画は、エンターテイメント

映画は見て、泣こうが笑おうが辛くなろうが、考えさせられようが、ボクが納得すればそれでよし。
音楽もそう、小説もそう。仕事だって、家庭だってそう。

感想文というより、感情文となってしました。

最後に、八千草薫がやっぱいい、だから笑福亭鶴瓶が活きてくる。
と、思いました。

追伸、私の地元のレンタルビデオ屋では、
1/7準新作として2本しか扱っておらず
たった2本だけに、
平日、休日問わずにレンタル中。

ルーキーズやら20世紀少年やらは、20本以上もあるのに!

といったところです。

はじめての映画評。素人の戯言にてこれにてお終い。

2010.06.23