応募作品#1 胡桃割られ人形

編集:鎌田浩宮

ブログのくせに長めの事業でこざかしい
エプスタインズ創刊11周年記念特別事業
「第2回エプスタ随筆大賞」

スズキスキーが提案した
9つのテーマから選び
随筆を、書く。
大賞決定前に、応募作品を1作ずつ掲載していきます。


1作目は、名無シーによる随筆です。

彼は、2020年に開催した
第1回エプスタ随筆大賞にて
作品「昭和四十五年九月十七日木曜日 火山、川、犬、人のことなど」で
Mr.Boo!ギャンブル大賞 」を受賞しました。


あれから、1年。
彼は、どのような随筆を書いたのか。
さあ、読めばいいさ!

題・胡桃割られ人形
著・名無シー
テーマ・ 胡桃割られ人形

「胡桃割られ人形
 バレエ音楽。
 両目に鬼胡桃の目玉を埋め込まれた民芸品 我ら胡桃人形 については くるみゆべし の  町おこし 土産品 置物 を参照。
 ロシアの作曲家 チャイコフスキー のバレエ音楽については くるみ割り人形 を参照。」

窓の無い休憩室で、いつもの白いご飯に白湯だけの昼食をとっていたが、不意に恍惚境が見えてくる。その入口がいきなり目の前に迫って、やがて飲み込まれそうになる。
知らない言葉を耳にしたとき、目にしたとき、それはやって来る。
中でも訳の分からないような言葉であればなおその質は高められ、あるいは人跡未踏の地底世界のように底知れない闇、微かで朧気な光が燦然と輝く眩しい太陰たりうる深い闇に包まれる。

これだ!という言葉を聞いたときに頭の中の有明の月のまわりに色の滲みがじわじわと沁み広がって、暁を押し戻すように世界が暗転して行くところからそれが始まる。

胡桃割られ人形? 何だろう、それは? 未発見だった昭和の不登校児更生ドキュメンタリーのタイトルか、鬼のような形相の越中褌に白足袋のおじさんが三角の鞍に跨がり苦しみ悶える和風SMビデオの新作か、時代錯誤なダサすぎるバンド名か(後に乙とかZとか付く)、人形じゃなく坂とかにすればメンバーが無限に増やせるのではないか、などと言った連想の洪水に流され、入口からもう出られない奥の方に一気に取り込まれて行った。

既にその瞬間、つまり2021年1月10日午後3時頃、会社の休憩室で、某超ミニコミサイトを表示させたまさに閲覧中のスマフォンを握りしめた手を震わせ、クローネンバーグの「スキャナーズ」の例のシーンの爆発直前のような状態になって…… (同僚によく「さっき白菜みたいになっていましたよ」等と言われる)

「胡桃割られ人形は、日本の音楽家チャイコフスズキスキー作曲のバレエ音楽とされるもの[1]。また同曲を伴奏とする舞踊作品。初演は 平成11年12月24日 夕刻、バレエダンサー ニンジンダイスキー 単独での三笠公園公演[2]。会場での後述する死傷事故・事件を俗に 胡桃割られ人形事件 と呼ぶ。同バレエ音楽の唯一の音声記録は事件被害者のデジカメに残された1分に満たない映像データの抄録のみで[2]、それも現場の騒音に掻き消され録音状態が非常に悪い。[要出典]」

ライトアップされた戦艦を背景に、その光を利用して影絵となった孤高の、いや孤独な不遇の老ダンサーが、素肌に黄金の全身タイツを身に纏い、重心を片脚に、もう片方の脚は膝を曲げて軽く踵を浮かせている。新雪が全ての音を吸い取ってしまったかのような静寂を思わせるオーケストラの音がどこかから微かに聞こえ始める。手は親指以外は指先を揃えて下に下げた特徴的な小さい前へ倣えの格好をして、苦労の皺を刻む清貧のすまし顔で身の程を知らぬもののように脂下がる。腕を少しずつ前後運動させ、低速で力強く前進し始めた蒸気機関車の動輪の連結棒の動きを再現、それに合わせて腰を前後に平行運動させるが、マイケルJのダイレクトな影響と思われるその動きは、ゆっくりとした曲調の高揚の階梯と共に徐々に速度を上げて行った。老人はしばらくの間汽車がどこか遠くに行ってしまいそうな程ひたすらその動きを単調に続けていたが、気付くと腕と腰のスピードはいつの間にか淫猥なほど早まっており、人間の限度に近付いていて、途中からは早過ぎてもう体の中心付近は見え難くなっているのではないだろうか。

単調なのにどこか行く末を見届けずにはいられない誘惑に駆られるその動きの合間合間には、曲中の華やかな短く装飾的に変奏されたモチーフに合わせ、連続的なジャンプが挟まれ、吊り出しにあった幕下力士のように、両脚をパタパタさせる。
アントルシャカトル、アントルシャシス。

「作曲者の チャイコフスズキスキー は殆ど詳細な情報が無い謎の音楽家とされているが、昭和末期から平成、令和年間の現在も世界的に活躍中の名前のよく似た電子音楽家 スズキスキー と同一人物であると言う無責任な説もある[5]。一方で盲目もしくは目が光に非常に弱いとも言われ、常にサングラスを着用[6]、更に未確認情報では、聴覚を失っているとされる。[要出典] 味覚と嗅覚も無い。[要出典] チャイコフスズキスキーは表看板であって、実際に作曲しているのは藝大出身のゴーストライターだとする説もある。[要出典]」

あのベートホーフェンも聴覚を失っていたと聞く。空気の振動としての音は、意識内容としての巨大複合クオリアである音楽世界とは異なるものだ。空気振動は飽く迄文字だ。文字が読めなくとも歌を歌えるように、聴覚を失っても音楽の大宇宙は構築できると人々はどこかで信じている。あるいはベートホーフェンのゴーストライターは口が非常に堅かったという可能性も無いではないかも知れない。

しかし、説明では聴覚を失っていると言うそこだけ未確認情報みたいに言っているが、全部未確認情報みたいなものなのではないのか、皆で作る事典というものは…… シ”ミーよ。また金が底をついたと言うシ”ミー。コーヒー一杯分の金でお前を活かすも殺すも……

「チャイコフスズキスキーは、空手の嗜みもあり(一説に黒帯[要出典])、富裕家庭出身の妻をその空手を使って実家から奪い去ったとも言われている。[要出典]」

目も見えず、音も聞こえない、匂いも味も感じない、空気のような、そして刀も持たない座頭市をも凌駕する空手の達人が、嵐吹きすさぶ中、奪い去った女を抱きかかえ逃走しながら作曲したバレエ音楽……

第六感だけで生きるサムライの形而上的な龍笛。

あるいは地球の裏の草原を舞台にナイフで決闘するカウボーイ、第六感の手綱で馬を操るガウチョの詩、命のやり取りの霊魂流体ガウチョ詩。

サムライ。 ガウチョ。 サムライ、ガウチョ。 サムライガウチョ。 サムライガウチョ サムラィガウチュ サムラ……(早口で)

あの、マイケルJの様な指の絆創膏は空手のためなのか……

上演開始後1時間、「胡桃割られ人形」のいかにも冬らしい煌びやかな曲調に誘われて、駅の方から岸壁へうっとりした気持で身を寄せ合ってそぞろ歩き、戦艦のまわりに集まってしまった恋人たち、たまたま、汗だくになった狂気の老黄金ダンサーの腕と腰の高速前後運動を目撃してしまったクリスマスイヴのカップル達は呆気に取られ、目が離せなくなり、あの異常なスピードを確かにその目で見た。いや、早過ぎて見えなかった。何より老人はその時には物凄い汗の湯気を蒸気機関車の蒸気のように噴出させながら踊っていたため、元々本体はよく見えなくなっていた。光る戦艦の前の夜闇を入道雲のようなものが右往左往する。

 三笠の艦橋に、サングラスをした男の影を一瞬見たような気がする。ヘッドフォンを小首に挟み、両手を忙しそうに動かして目の前に並ぶ無数のツマミを意味あり気にひねる。
その指先の加減で、あっ、交響詩が変化した!  bpmが…… レゾナンスが、ローパスフィルターがっ……
 あの男が、蒸気と化した黄金の影絵、孤独な老人を操っているのだろうか……
 盛大な湯気の間から時々覗く老人の腕と腰は、低速から徐々にスピードを上げ、早過ぎて一旦見えなくなったかに見えたものの、次の瞬間には目の錯覚でゆっくり逆回転して行くように見え、その逆回転も徐々に、そして突然急激に高速化して、非常に高い金属音のような、飛行場に鳴り響くジェット音のような大音響で一帯を覆い尽くしていった……
(よく聴くとそれは今は亡きは京急のドレミファインバータみたいな、ファソラシドレミファソ~、ソ~)

音量が空間の飽和振幅を超えて、「もう、耳が壊れそう!」カップルの一人の女性が耳を両手で覆ったその瞬間、何人ものバッターがトタン板をバットで激しく連打するような凄まじい大音響と共に、ニンジンダイスキーの両腕がバラバラに分解して、白煙の尾を引きながら四方八方に鏑矢のように鳴りながら飛び散り、胴体も腰を中心に上下に分断して、激しく血と蒸気を噴出させた。

詩でもない、散文でもない、蒸気   フォルヌレ
 

カップル達は、映画「トワイライトゾーン」撮影中、制禦を失ったヘリコプターのローターの直撃を受けたヴィク・モローの様に、激しく飛散したニンジンダイスキーの両腕に射貫かれて命を落とし、またごく僅か幸運な何人かがその後何日も救急救命室で生死の境をさまよった末に生還したという。しかし、命を取り留めた者もそこで知るのは辛すぎる最愛の人の訃報だった。

悲しい恋の海。あの悲しすぎる色。もし時間が逆転し、ヒ力ゲマネージャーがセーヌ川に行く前に何かの偶然でこの岸壁に立っていたなら、未来に転生する恋人達のためにオキとの思い出のリングをこの海にこそ投げ込んだかも知れない。 数百年後の恋人達のために……

仇であるニンジンダイスキー自身は、両肩と胴体からシャワーを全開したように大量の血を放出、焼け石に水を浴びせたような蒸気を噴き上げながらその場で瞬時に絶命。その遺骸は全身から激しく吹き出し続けた汗の塩分だけが固まり、黄金を透かした塩の結晶で包まれていた。そのヒト形の塩の塊は、カッと目を見開いているが、水分を奪われ乾燥した角膜は皺だらけになり、丸で鬼胡桃だったと脚色して語る者もある。

老ダンサーは、容疑者死亡のまま不特定多数への殺人および殺人未遂容疑で送検された。

警察と消防が到着したときには既に、戦艦の艦橋にはDJ風の男の姿は無かった。
ニンジンダイスキーの分解の後、三笠の甲板から、大きなケースを抱えたシュノーケルにウエットスーツ姿の影が海中に身を投じるのを見た等という目撃談を報じる女性週刊誌もあった。それがチャイコフスズキスキーなのだろうか。

人の命、幸福な未来は、不意に奪われたりしてはいけない。

それ故未来のニンジンダイスキー達よ、次に蒸気を噴き出しながら体の一部分を超高速運動させるときは、鉄格子の箱の中でやり給え。たとえ誰かに操られて高速運動するとしても、操られた体の動きに抗してカクカクと歩いて行き、先ずは鉄の箱には入るのだ。

会社の休憩室で、同じくクリスマスの音楽であるチャイコフスキーの、積もりたての雪の輝きのように煌びやかなオーケストラを空想し、鉄柵の中で狂ったように腕と腰を高速回転させる老人の姿を象ったオルゴールをイメージした。どう言う仕組みか体全体から白煙をも立ち昇らせている。
細部にこだわり、時々宙に浮いて脚をパタつかせる。アントルシャカトル、アントルシャシス。
その人形はどこにも胡桃を感じさせるものは無いが、曲と事件に因み誰からともなく「胡桃割られ人形」と呼ばれる。
細か過ぎて見え難いが、実は良く見ると目玉は鬼胡桃になっていて、その目を直視すれば、人は生きてはいられない、等と言うものの、実際には誰も死ぬものはない。ただその形相が目に焼き付いてよく眠れなくなるだけだ。
オルゴールの曲は勿論「胡桃割られ人形」で、クライマックスに差し掛かると、ファソラシドレミファソ~、ソ~と言うモチーフが奏でられ、柵の中で唐突に……

最期に人形がどうなるのか、曲が速度を落とし途中で息をしなくなったら、ぜんまいを巻き直さなければ見届ける事は出来ない。

クリスマスイヴの夜、無数のツマミならぬオルゴールのぜんまいを巻くのは、サングラスをした謎のDJ、あるいはウエットスーツにシュノーケルの謎の男だろう。

どこにも窓の無い会社の休憩室でのひとときは、そして無明なる人生というものは、いつもこんな風に静かに、激しく浪費されて行く。

書きとめていなければ単なる時間の浪費だし、書きとめてみても有限な時間の湯水のような無限なる浪費だ。

オフィスに戻るとき通る休憩室脇の吹き抜けを見下ろす廊下から眺めると、警備員のおじさんが、玄関先で腕と腰をシャカシャカ動かしているのが見える。妄想を掻き立てさせるあれは、マイケルJの真似だろうか。お爺さんと言っていいくらいの年齢のあのおじさんは、誰から聞いたのか同僚の女性によれば、独身で、孤独なのだという。

社員達の出勤時「オハヨウゴザイマス!」と、又帰りには「オツカレサマデシタ!」と連続的に何百回となく滑舌よく挨拶し続ける時の海軍式に縦の敬礼の、誰かを切ってしまいそうな、空手の型のようなキレは、やはりあの運動の賜なのだろう。

明日の休憩時間は、鬼の形相のおじさんが出演するSM新作ビデオバージョンの「胡桃割られ人形」の物語に取り組もう。
御台所(ミダイドコロ)役の主演は大女優、イ左久間艮子(嘗て自由すぎる男 ミキシ”口ウ・夕イラーの奥さんだった)。あの人が厳しい顔をすると本当に怖い。

うん、これは思い描き甲斐がありそうだ。

(全て妄想です。私の存在も、あなたの妄想の……)

エプスタインズ創刊11周年記念特別事業
第2回エプスタ随筆大賞
応募締切:2021年11月23日(祝・火)
ジャンル:随筆
形式:文字、点字
枚数:制限なし
賞品:福島県相馬市の新米及び新米酒
選考委員:後日発表
発表:2021年12月25日(土)
応募先:info☆epstein-s.net ☆を@に変換して送信して下さい
郵送は〒154-0024 東京都世田谷区三軒茶屋2-20-13-410 鎌田浩宮まで

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2021.11.23