メンバーにお題を出し、それに必ず回答しなくてはいけないとゆーこのコーナー、記念すべき第1回は、金輪際最も好きなテレビドラマ、いや、我がジンセイのテキストでもある「ムー」「ムー一族」の演出家、久世光彦に敬意を表して、彼の著書から、お題を拝借しました。

「死の直前に、いまわの際に聴きたい音楽、そいつを書きたまえ。」

では、メンバーの皆さん、第1回なので、張り切りすぎるくらいで、答えなさいね。

鎌田浩宮

【読者寄稿】 NOMOTTIさん

「僕と彼女と週末に / 浜田省吾」
 
このお話を頂いたとき、ラストソングは瞬時に脳裏に浮かんだ。
 
ただ、それをいつ、どんな形で聴きたいか・・・
 
その答えがなかなか見つからなかった。
そうこうしているうちに、このラストソングを思わぬ形で
目にする事になる。 しかも、ふらりと寄ったCDショップで。
浜田省吾の最新ベストアルバムのタイトルが
「僕と彼女と週末に」だったのだ。 

「この星が何処へ行こうとしてるのか もう誰にもわからない」 

壮大なスケールで始まるこの曲は1982年に発売されたアルバム収録曲。
30年近く経って浜田省吾本人が、そして時代が求めたのだろうか。
僕自身が初めて聴いたのは二十歳の頃。
東京で今の仕事の修行をしていた時だった。
想像以上に厳しい職人の世界でのた打ち回りながら、
いつも口ずさんでいた曲。
そしていつしかこう思う。
将来、嫁にしたい女ができたら、この曲を一緒に聴き、
プロポーズをしよう・・・と。
 
時は流れ、その野望は成就した。
だから、願わくば嫁に看取られながらこの曲を聴きたいと思う。
そして傍らには娘もいてくれたら思い残すことは何もない。
この曲「いつか子供達に この時代を伝えたい」という行がある。
結婚すれば当然のように子供が生まれ、自分の遺志は
受け継がれていくものだと思っていた。
ただ、我が家は子宝に恵まれなかった。
 
それでも、半ば諦めかけていた夏の日。
奇跡はおきた。
結婚してから10年が過ぎていた。
彼女がきっと、僕の遺志を継いでくれるに違いない。
この曲の意味を理解できる年頃になったら
一緒に聴いてみたいとも思っている。
どんな感想を口にするか楽しみだ。
それまでは死ねないと思う。
趣味のバイクでひっくり返り救急車のストレッチャーのうえで、
一人で逝くのはごめんだ。
願うのは自宅の布団のうえ。 傍らには愛した嫁と娘。 そしてこの曲。
 
それ以上、なにもいらない。
 

 
この星が何処へ行こうとしてるのかもう誰にもわからない
権力と権力のSeeーSawーGameから降りることさえ出来ない
人は一瞬の刹那に生きる子供は夢見ることを知らない
君を守りたい 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい いつの日か
 
昨日の絵の具で破れたキャンバスに明日を描く愚かな人
売れるものならどんなものでも売るそれを支える欲望
恐れを知らぬ自惚れた人は宇宙の力を悪魔に変えた
君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい いつの日か
 
週末に僕は彼女とドライブに出かけた 遠く街を逃れて浜辺に寝ころんで
彼女の作ったサンドイッチを食べビールを飲み水平線や夜空を眺めて
僕らいろんな話をした 彼女は彼女の勤めてる会社の嫌な上司のことや
先週読んだサリンジャーの短篇小説のことを話し
僕は今度買おうと思ってる新車のことや二人の将来のことを話した
そして誰もいない静かな海を二人で泳いだ
 
あくる日僕は吐き気がして目が覚めた 彼女も気分が悪いといい始めた
それで僕らは朝食を取らず浜辺を歩くことにした
そしてそこでとても奇妙な情景に出会った
数えきれないほどの魚が波打ち際に打ち上げられてた
 
いつか子供達にこの時代を伝えたい
どんなふうに人が希望を継いできたか
 
君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の愛を信じたい いつの日か
君を守りたい ただひとつの 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい今こそ
 
 
 

 

2010.11.16

【読者寄稿】 村田啓治さん (俳優)

「深夜高速 / フラワーカンパニーズ」
「死ぬまでに自分でつくる歌」

歌は好きです。
週一くらいで独りカラオケする程度には好きです。
部屋の中で熱唱してしまうくらいにも好きです。
ただ、リスナーとして大雑把というかイージーすぎるというか。
その時々でなんとなくお気に入りの歌を聴いたり歌ったり、
というスタンスなので、特に「この歌!」みたいなのがございません。
ひとつの歌に対するこだわりみたいなのが薄いんですね、きっと。
そんななので「いまわの際の聴きたい音楽」と訊かれても…すみません。
 
 
 
いやいやいやいや、それだけじゃあまりにも。
というわけで考えます。
どんな状況で死を迎えるのかにもよるわけですが、
とりあえず今でいうと最初に思い浮かんだのは、
フラワーカンパニーズというバンドの「深夜高速」でした。 

生きててよかった  そんな夜を探してる

そんな歌です。
もしこの文を書いている今この瞬間に突然死にそうになったとしたら、
慌ててPCのフォルダをmp3→フラカンと開いて、クリックですよ。
そして歌のラスト、 

生きててよかった……

で息を引き取れたら大成功!
ただ、一曲にこだわれない性格上、一年後には別の「いまわの際の歌」
を挙げていると思われます。 一ヵ月後でも違う歌かもしれません。
もっと言うと明日のもわかりません。グダグダでごめんなさい。
 
 
 
っていうのでもまだアレだと思われるので、もう一回改めて考えます。
そして、思い出しました。一生の目標のうちの一つを。
十代の頃に決めたんですよ。
「死ぬまでに一曲でいいから歌をつくろう」って。
その為に何か努力してるかって言うと、まあちょっと忘れかけてた
くらいの温度で絶賛放置プレイ中でした。
でもこれからはその目標を忘れないようにして生きようと思うので、
どうか許してください。
そしていまわの際は、その、自分の中から絞りだした歌をと思います。
死という状況に相応しい種類の歌になるかどうかはわかりませんが。
言ってみれば、コミックソングみたいなのになる可能性もありますか。
まあそれはそれで。
 
 
 
っていうところで、さらに考えました。 そして、気がつきました。
実は、何か引っかかってたのでございます。
いまわの際に「聴きたい」っていうか……。
僕は、
聴きながら死ぬより、
歌いながら死にたいです。
声を出せる死に方かどうかはわかりません。
声帯は震わせられないかもしれないけれど、
聴いて死ぬよりも歌って死にたいです。
その歌は「生きててよかった……」かもしれないし、
それまで創りあげた「自分の歌」かも知れません。
つまり、自分の歌としてコミックソングみたいなのを歌いながら
息を引き取る、ということになるかも。
まあ、それはそれで、ユカイ。
満足です。
 
でも、ああ、お題からズレちゃいました。
申し訳ないです。
  

青春ごっこを今も 続けながら旅の途中
ヘッドライトの光は 手前しか照らさない
真暗な道を走る 胸を高ぶらせ走る
目的地はないんだ 帰り道も忘れたよ

壊れたいわけじゃないし 壊したいものもない
だからといって全てに 満足してるわけがない
夢の中で暮らしてる 夢の中で生きていく
心の中の漂流者 明日はどこにある?

生きててよかった 生きててよかった
生きててよかった そんな夜を探してる

年をとったらとるだけ 増えていくものは何?
年をとったらとるだけ 透き通る場所はどこ?
十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる
若さはいつも素裸 見苦しい程ひとりぼっち

生きててよかった 生きててよかった
生きててよかった そんな夜はどこだ

僕が今までやってきた たくさんのひどい事
僕が今まで言ってきた たくさんのひどい言葉
涙なんかじゃ終わらない 忘れられない出来事
ひとつ残らず持ってけ どこまでも持ってけよ

生きててよかった 生きててよかった
生きててよかった そんな夜を探してる
生きててよかった 生きててよかった
生きててよかった そんな夜はどこだ

いこうぜ いこうぜ 全開の胸で
いこうぜ いこうぜ 震わせていこうぜ
もっともっと もっともっと見たことない場所へ
ずっとずっと ずっとずっと種をまいていく
全開の胸 全開の声 全開の素手で
感じることだけが全て 感じたことが全て

生きててよかった 生きててよかった
生きててよかった……
 
 
 

 

2010.11.09

【読者寄稿】 長尾順也さん

「つばさ / 本田美奈子」
 
 これしかない。
 俺はライダーだ。
 俺にはバイクという翼がある。
 その翼は俺に自由と勇気と希望をくれた。
 そしてその翼を羽ばたかす時は、死と隣り合わせでもある。
 いまわの際に何を想うのか、色々考えてみた。
 
 結果、未練しか残らないだろうと思った。
 愛する妻、まだ幼い娘を残して潔くなんて死ねるわけがない。
 俺はまだまだ死にたくない。
 どんなことがあってもだ。
 死を逃れる為なら、どんな悪魔とでも契約してやる。
 だが、それでも死から逃れられないとするならば、
 せめてこの曲で眠りたい。
 死を旅立ちに置き換えて、未練を希望に変化させたい。
 本田美奈子の優しく、楽しそうに歌う顔を思い出し安らかに逝きたい。
 
 とかなんとか、色々もっともらしい事を書いたりしてみたが・・・
 妻がこの歌が好きなのだ。
 この歌を口ずさみながら、娘と晩御飯の用意をしてる姿を思い出す。
 もし俺が死ぬときは、楽しそうな家庭を思い出しながら死にたいね。
 最愛の妻、最愛の娘の歌声を聞きながら逝きたいもんだ。
 
  

私つばさがあるの 太陽にきらめいて
はばたきながら 夢追いながら
はるかな旅を つづける
 
私希望があるの 心からかがやいて
夜明けの色 夕日の色に
つばさを染めて 飛ぶのよ
 
自由が私には 勇気と光をくれたわ
 
あなたもある つばさがある
飛び立つのよ 空へと
美しいわ 幸せでしょう
風にのり 虹を渡ろう
 
みんなつばさがあるの
未来へと華やかに
月日を越えて 悩みを越えて
あなたの道を たどるの
 
つばさが大空の 蒼さと優しさ教える
 
あなたもある つばさがある
飛んでいるわ ひとりで
誇り高く そのつばさで
なないろの 虹を抱こうよ
 
広い宇宙だわ あなたきれいだわ
雲のなかで私と つばさが重ねるよう
 
あなたもある つばさがある
飛び立つのよ 空へと
美しいわ 幸せでしょう
風にのり 虹を渡ろう
 
 
 

2010.11.02

【読者寄稿】 清水信宜さん (映像作家)

「津軽三味線」
 
お題の「ソング」という点で異なってしまうかもしれませんので、
今回は「マイ・ラスト・ミュージック」という観点で…。
 
普段は音楽を聴かない生活なのですが、以前に津軽三味線を5年程
習っていた時期があり、その乾いた音の魅力にとりつかれました。
今でもたまに自分でも弾いているのですが、
マイ・ラスト・ソングは「津軽じょんがら節」です。
  
かなり浮いた答えになってしまうと思うのですが、音楽に触れると
いえば、間接的にドラマや映画のサントラくらいのもので、
その中でも特にコレというものがないんです。 そう考えると、
学んだ津軽三味線の音色を最後にしたいという想いがあります。
 
津軽三味線の良いところは、それぞれの演奏者が自由に弾けるという点。
一言で「じょんがら節」と言っても、演奏者によってバリエーションは
様々。 どんな曲を弾いても「これが自分のじょんがら節です」と言えば
それがその人の「津軽じょんがら節」になる。
  
格式とは程遠く、演奏というより大道芸に近くて変幻自在。
そんなカオスの香り漂う音色が津軽三味線の魅力です。
最後の最後は、自由奔放に旅立ちたいという想いを込めて
「津軽じょんがら節」で締め括りたいです。
  
 
 
 

2010.10.26

【読者寄稿】 Nさん (30代 / 女性 / 会社員)

「Heaven / Talking heads」

もちろん自殺願望はまったくない。

自殺という手段は「卑怯」とすら思っている。

でも、駅のホームに電車が滑り込む瞬間、
ふと「いま飛び降りたら死ぬんだろうか・・」と、
思ったりすることは、ある。 なんでだろう?

きっと私は、死にたいのじゃなくて、「死んだらどうなるのか?」
という事に関心があるんじゃないかと思う……。

「死ぬ直前に聴く曲」

と聴いて、わりとすぐ思い浮かんだ曲がコレだった。
Talking headsで好きな曲は他にたくさんあるけど、
死ぬ時ならやっぱりこれだろうと思う。

死んだその先は、

nothing ever happens で、なのに
they play my favorite song で、
There is a party で、
so exciting で、
much fun なんだ。
でもやっぱりそこは、nothing ever happens。

私の(期待する)世界観に近い。

私よりずっと死に近い父は、
死んだら太平洋の真ん中に散骨して欲しいという。

英語のできない父に、「そしたら天国で言葉が通じないから友達できないよ。」と
言ったら、結構本気で「そうか! じゃあ日本海だな」と言っていた。

うーん。明るい。
アカデミックな死生観も、崇高な志も 何もない。
でも私は、そんな父を尊敬している。

布団の上で死ぬとは限らないけれど、
海に沈んで死んでも、ひとり孤独に死んでも、
私も明るい 死 でありたい。

だから この曲がいい。

Everyone is trying to get to the bar.
The name of the bar, the bar is called Heaven.
The band in Heaven they play my favorite song.
They play it one more time, they play it all night long.

Oh heaven, heaven is a place, a place where nothing,
nothing ever happens.
Heaven is a place, a place where nothing,
nothing ever happens.

There is a party, everyone is there.
Everyone will leave at exactly the same time.
When this partys over it will start again.
It will not be any different, it will be exactly the same.

Heaven is a place, a place where nothing,
nothing ever happens.
Heaven is a place, a place where nothing,
nothing ever happens.

When this kiss is over it will start again.
It will not be any different, it will be exactly
the same.
It’s hard to imagine that nothing at all
could be so exciting, could be this much fun.

Oh, heaven, heaven is a place, a place where nothing,
nothing ever happens.
Oh, heaven, heaven is a place, a place where nothing,
nothing ever happens.

2010.10.19

【読者寄稿】 むらかみとおるさん

「イケナイコトカイ / 岡村靖幸」
 
今、「死を宣告されたら」と考えてみた。想像出来ない。
「余命、3ヶ月」の自分を想像してみた。ラストソングどころではない?
という気がしてきた。しかし・・・
 
なぜ、『イケナイコトカイ』/岡村靖幸を選んだのか?と考えてみた。
 
彼の曲の独特な感じが、今も「聞きたい!」と思わせる事がある事実。
彼の詩が独特でオタクっぽくもあり、ひ弱な一面もあるが、
正直である事。
 
インパクトが強かったのか、何より青春時代の1ページを
思い出させる内容。 今もいろんなことを思い出す。
歌詞とはかけ離れている部分も多いが、一人の女性を愛する純粋であり
ある意味、病的とも受け取れるが「正直でいいじゃないか!」と思う。
  
歌詞と自分の人生を全て重ね合わせる事は出来ないけど、
どこか共感する。
 
この歌に登場する女性が、妻なのか?昔愛した女性なのか?
私にとっての誰なのか?は、わからないが・・・
 
しかし、自分は一人ではなく、誰かと支えあい、
時には病的に誰かを愛し、今を迎え、死んでいくんだなぁと。
 
イイ格好ばかりしているのではなく、
もっと情けなく、純粋に、恥ずかしがらずに、
と思うと、この曲がマイ・ラスト・ソングになったのではないかと思う。
 
 

いけないことかい?
傷ついても二度とはもう離したくない Baby
息ができないほど愛してるよ
 
あなたが住んでるマンション
床にはたぶん バーボン ソーダ グラス
抱きしめてよ 今もしも叶うなら
裸でまだいましょう
週刊誌は ぼくらのことを知らない
おねがいだよ 僕だけのひとになってよ
 
眠れない夜は屋上にのぼって 風に尋ねてるんだ
「ねえ ドンファン 虚しいことなのか」
彼女の Love, Sex, Kiss 朝からずっと待っている
 
いけないことかい?
傷ついても二度とはもう離したくない Baby
息ができないほど愛してるよ
 
真夏の雨の様に 18, 19が蒸発したけど
このぼくらは 今ならば大人だろうか
 
切ない夜は 屋上にのぼって壁にもたれてるんだ
「ねえ ドンファン 正しいことなのか」
彼女の Love, Sex, Kiss 朝からずっと待っている
 
いけないことかい?
傷ついても二度とはもう離したくない Baby
息ができないほど愛してるよ
 
 

2010.10.12

【読者寄稿】 唐澤暁さん

「へそ天エリザベスカラー / 筋肉少女帯」
 
大槻ケンヂ、筋肉少女帯の曲は、一見ネガティブソングだったり、意味
不明だったり、コミックソングに聞こえることが多いと思いますが、彼
の歌はかなりの割合で、一対一、若しくは自己に向けての鼓舞というも
のが見受けられ、カラオケなどで歌うには、アルコールの力がかなり必
要な程、気恥ずかしいものが多いような気がします。
この曲も僕にとって、そういう「普段は聞き専」の筋少鼓舞ソングの内、
最たる例の中の一つになります。
 
さて、お題のいまわの際ですが、周囲は、何故このノイジーで変な曲を
選んだんだ?と小首を傾げる事になるとは思います。
そして、僕はソレを見て生きも絶え絶えニヤつくわけです。
ただ、歌詞の意味を読める俺も、これより死ぬぜ! という時に「現状
に立ち向かえ」と言われても、意味が無かったりするんですが、鼓舞さ
れる事自体は嫌じゃない、でも死んじゃうんですから意味が無い、けど
嫌じゃない。
こういうループする思考の中で最期を迎えられたら、僕個人としては
ステキかな、と。

 
腹の底 天に向けて 屈服するドッグのような毎日を
変えろ 変えろ
エリザベスカラー巻かれ 不自由なドッグのような今を
殴れ 殴れ
 
恋は 電光石火の早さで お前と 逆転無罪の裁きで
愛は 寸でのところでかわして 早く
 
腹の底 天に向けて 満足したドッグのような毎日へ
変えろ 変えろ
 
へそ天 痺れる相手に会ったら 
エリザベスカラー ぶっ千切れるよなキッスで
へそ天 寝っ転がるのさ今夜は
エリザベスカラー
 
へそ天で見上げてた 晴天の悔しさを
誰が 誰が 知っていたか
今共に見上げてる ひきちぎれ 心から 
へそ天エリザベスカラー
 
腹の底 天に向けて 屈服するドッグのような毎日を
殴れ 殴れ
 
恋は いかれたお前に出会えば
お前と がっつりたっぷり抱き合い
愛は 朝でも夜でもしまくり 早く
 
へそ天で見上げてた 晴天の青色を
君に 君に 見せてやろう
ひきちぎれ 走りだせ ひきちぎれ 心から
へそ天エリザベスカラー
 
へそ天 電光石火の早さで
エリザベスカラー 逆転無罪の裁きで
へそ天 寸でのところでかわして
エリザベスカラー
 
誰もみな望んでる 晴天のこの広さ
何処へ 何時へ 続いている
もし足が もつれても かけてみる 行けるだけ
ちぎれ 繋がれ 甘噛みを
ひきちぎれ 走りだせ ひきちぎれ 全てから
へそ天エリザベスカラー
 
 

2010.10.05

【読者寄稿】 松瀬理恵さん

「Today/Smashing Pumpkins」

自分の人生が、どんなかたちで終わってしまうのか、想像もつかない。
でも、きっと死ぬその日も、自分にとっては「今日」なんだろうなと思って、大好きなSmashing Pumpkinsの「Today」を選びました。

それまでに出会ったかけがえのない人たち、場所、ものへの永遠の愛や感謝の気持ちを胸に、ビリーの甘い声を聴きながら「今日もいい日だったな」と、最期までうっとりしていたいという希望を込めて。

今日は今までで最高の日
明日のためになんか生きられない
両目が焼き尽くされてしまう
ここを出るまでに…

人生で許される以上のものが
欲しかった
面目を保つための雑事なんて
うんざりだったんだ

今日は今までで最高の日
明日を待ってなんかいられない
そんなに長くはもたないかも
心が砕けてしまう
ここを出るまでに…

ピンクのリボンが
忘れられない傷になる
そんな後悔を悔い改めようと
僕は必死だったんだ
僕の天使の翼は
傷つき、縛られて
僕の体が痛むんだ

今日は
今日は
今日は
最高の日

君をその気にさせたいんだ
君をその気にさせたいんだ
君をその気にさせたいんだ
君をその気に

今日は最高の
今日は最高の日
今日は最高の日
本当に今までで

2010.09.28

【読者寄稿】 Aさん (東京都 / 会社員 / 40代)

「旅姿六人衆 /  Southern All Stars」

どこで死ぬかはわからないし、どんな死に方かはわかりませんが 
何かを護って護り抜いて死ぬのが本望。 
それは、家族だったり、会社だったり、国だったり。 

ただそれは けして、
誰かが車で引かれそうになるのをドンと突き飛ばして代わりになるとか 、
上から岩が降ってくるのを、「ここはオイドンに任せるでゴワス」とか 、
会社がつぶれてしまうよという所に、
「ご安心ください。○○銀行から融資が確定しました。
 ギリギリまで掛かってしまいました。申し訳ございません」 
 ↑
なぜ、この後死ぬのかわからない。多分事故死だなw 

ヒーロー的な意味ではないです。 
(何かを成し遂げるという意味では本望かもしれない) 

当たり前の様に生き、当たり前のように働き、
いつもガハハハハハハハと大笑いで酒を飲みながら
ほんの少しだけ人より先を見て
そして水面下で静かに動いて
「私は何もしてませんよ」という顔で
それで何かを護りきれたのなら満足。
「なんだ、大丈夫だったんだ。よかったな。」と・・・
  

毎日違う顔に出逢う 
街から街へと
かみしめてる間もないほどに
Oh!No!Oh!No!

喜びや夢ばかりじゃない
つらい思いさえ mm
ひとりきりじゃ出来ぬことさ
ここにいるのも

お前が目の前にいるならいい
ステキな今宵を分け合えりゃ
また逢えるまではこの時を
忘れないでいて

華やかな者の影で今
動く男達
Mr.Suizuらがいてくれたら
今日も大丈夫
Oh!Baby!

Yeah yeah yeah
お前が目の前に
いるならいい
ステキな今宵を分け合えりゃ
また逢えるまではこの時を
忘れないでいて
oh yeah

 

2010.09.21

オーツカ

「THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN’」

そもそも、イマワの際に何を思うのか。ひと月後の事すら分からぬ矮小な身を持ってしては想像もつかぬところにして、つまるところ、その時の気分が分からない以上は、何を聴きたいかなんてことも分からない。

なにやら、このお題自体が、安らかに死ぬのが前提にあるよーな気がしてならないけれども、世に未練を残しつつ無念のうちにのたれ死ぬのか、家族やらに看取られて安らかに逝くのか、寝てるうちにポックリと逝くのか、死に様によっても無論、答えは変わるに違いない。化けて出そうな死に様に際して、安らかで綺麗な曲とかかかってたらば、自分が死ぬことよりも寧ろそのことがムカついて仕方がないかも知れない。と、そんなことをツラツラと思いつつ、世に、そうしたどうでも良いよーな情念やら何やらを全て吹っ飛ばして、その時その時の状況を素直に受け入れちゃえばいーかも~、とかいう気分にさせてくれる曲があるのならば、そういう曲こそが、最期と言わず、色々な節目節目において必要なのかも知れないですねぇ。

で、そうした視点から考えて見るに、個人的なところでは表題の曲。ディランて、なんだかどーでもいい気分になるんですね、聴いてると。中でも初期のシンプルでフォーキーなところが。ジョン・レノンが感じていたよーに、ビートルズ派で来た人間には、ある意味、あっちの世界の仙人、みたいな雰囲気のあるディランさん。此岸ではなく彼岸なディランさん。丁度、来日とかしてましたしいーんぢゃないでしょーか。2010年4月記。

2010.06.23